2012年05月31日

日本の漫画

 海外では日本の漫画文化の評価が高いそうです。それは「鉄腕アトム」で有名な手塚治虫氏や、「もののけ姫」の宮崎駿氏など優れた作家が多いせいでしょうか。さらに、テレビドラマも今、漫画が原作の番組が好評だそうです。
 その中に、サッカーを題材にした日本漫画に「キャプテン翼」があります。今や全世界でベストセラーとなっています。あのフランスの有名選手・ジダンも、この漫画をきっかけにサッカーに打ち込むようになったそうです。
 主人公の「翼君」はフランスでは「オリーブ君」、イタリアでは「ホーリー君」。内戦に明け暮れたイラクでは「マージド君」として、子どもたちに慕われているそうです。
  

Posted by mc1460 at 11:51Comments(0)TrackBack(0)つぶやき

2012年05月30日

ごみゼロへの道

 今日、5月30日は「ごみゼロの日」です。一人一人の心がけで「ごみ」を少なくしたいものです。
 江戸時代、江戸は人口100万人を超える世界有数の大都市でした。さぞ、ごみ問題が深刻だったのではと思いましたが、調べてみると実はそうではなかったようです。
 古紙や古鉄は再利用していました。生ごみや排泄物は、畑の肥料として活用していました。農村地域から薪を積んで江戸に来た船は、大量の“肥料”を積んで地元に帰りました。まさに江戸は模範の循環型社会が実現された都市でした。
 現代の日本では、ごみ問題は深刻です。東京・町田市で「ごみゼロ市民会議」の代表を務めた広瀬立成氏が書いています。「行政が悪い、企業が悪い、市民が悪い」と責任のなすり合いでは、解決は遠のくばかり。だからこそ、会議では「納得の対話」を心掛け、「皆が自ら行動をする」大切さを訴えた。これが前進の力になった、と(『ごみゼロへの道』)
  

Posted by mc1460 at 11:42Comments(1)TrackBack(0)つぶやき

2012年05月29日

メール

 メールの件名は明確に――。そう実感するのは、自分がメールを受ける時です。
 正確・簡潔でありながら、配慮の行き届いた文面は気持ちがよいものです。反対に、何の用件か分かりにくいタイトル、ぶっきらぼうだったり冗長な文面には、ストレスが たまります。しかし、自分がメールを発信する側になった時はどうか考えると、細かい配慮が足りずに、相手に不快感を与えているのでは、と気になるものです。
 大切なのはメールだけで、百パーセント理解し合えると思わないことが肝要です。本当に大事なことは、電話で念を押して伝える。さらには、出向いて顔を合わせて話をする。相手と心を通わせたいなら、楽をしようと思わないこと。こちらが心を砕くしかない事です。「相手の立場になって考える」ことは信頼関係を築くための鉄則です。
  

Posted by mc1460 at 11:48Comments(0)TrackBack(0)つぶやき

2012年05月28日

チャレンジ精神

 老舗とは、昔から長く続いている店のことです。語源を調べると、「仕似せる」から出た言葉となっていました。「文字どおり先祖から受けついだ商売を<まねる>意です。ある点では、独創的の反対で、家業をできるかぎり現状のまま忠実に守ること」が元意という(杉本つとむ『語源海』)
 しかし現実は、単に先人がやったことをまねし、それに固執すれば経営が永続するわけではありません。ある老舗の味噌店は“お客様に分からないように、味も変わり続けていく”と語っています。また、歴史のある饅頭店は「欲しければ取りに来い」という姿勢を改め、百貨店などの店頭で売り出す方針に転換したからこそ、今も成功しているのです(鮫島敦『老舗の訓 人づくり』)
 この二つの例から思うことは、先人が築いた土台の上に、ただあぐらをかいていては、やがては滅びる運命です。味や品質など先代から受け継ぐべきものは継承しつつ、変化させ続ける事です。経営には「攻め」の姿勢を貫く。このチャレンジ精神にこそ、老舗の伝統があると思えてならない。
  

Posted by mc1460 at 12:00Comments(2)TrackBack(0)つぶやき

2012年05月27日

雑草

 畑や空き地、庭の隅、道ばたでひっそり生きる雑草。ふだんは気にもとめてもらえない。それどころか、厄介者扱いです。しかし雑草は、何度踏まれても生き抜きます。抜かれてもまた生えてきます。しぶとい、実にしぶとい。
 カタバミという雑草の一種は、家紋の図柄によく使われています。これは、子孫が末永く続くように、との願いが込められている先人の智慧から出たものです。
 雑草のたくましい生命力の秘密は「逆境」にあると、農学博士の稲垣栄洋氏が『身近な雑草の愉快な生きかた』(筑摩書房)に記しています。例えば葉が大きなオオバコ。このオオバコが人が通る道やグラウンドに生えるのは、どの草も避ける厳しい環境に身を置くことで、他の植物との競合を避けられるからだそうです。さらに、踏まれることで、葉も茎も鍛え上げられる。逆境を成長へのバネにしているそうです。加えて、人や動物の足に付着した種子も遠くへ運んでもらえる。氏は「どんな環境 であっても、必ず花を咲かせて実を結び、種を残す。これが雑草の生き方である」と綴っています。
 どんな人にも、咲かせるべき〝花〟があります。どんな逆境も、〝そこに 使命あり〟と決めれば、花を咲かせる最もふさわしい場所になります。野に咲く雑草のごとく、強く生き抜きたいものです。

カタバミの家紋
http://www.otomiya.com/kamon/plant/katabami.htm  

Posted by mc1460 at 11:27Comments(0)TrackBack(0)つぶやき

2012年05月26日

反応の速度

 あるファストフード企業の話です。客が注文してから商品を受け取るまでの待ち時間を1秒短縮すると、年間8億円の増収になると試算しました。なによりも、お客さんの喜ぶ顔が見えるのが一番でした。だからこそ、スピードにこだわっているそうです(原田泳幸『ハンバーガーの教訓』)
 「時は金なり」です。人件費の面からも、時間を短縮した分だけ、利益が上がります。反対に、時間を無駄にすれば、経費の浪費になります。ビジネスの世界で奮闘する者ならば、誰しも「時」の大切さを痛感している事でしょう。
 話は変わりますが、今から七百数十年前の事です。宗教家の日蓮大聖人は、門下の妙法尼から「夫の病気が重い」と聞くや、即座に激励の手紙を出されました。「亡くなった」との知らせを受けた直後にも御手紙を。一人の信徒に、11日の間に2通も送られた事もあったそうです。
 この鎌倉時代は、電話も電報もない時代です。「悲しみを一刻も早く癒やしてあげたい」との溢れんばかりの大慈悲が、反応の速度に表れていると思えてなりません。
 
  

Posted by mc1460 at 11:46Comments(0)TrackBack(0)つぶやき

2012年05月25日

悩みの壁

 仏法では、悩みが無くなることを目指してはいません。むしろ煩悩即菩提と説くように、悩み(煩悩)があるから悟り(菩提)が得られると受け止めています。
 人は、悩みに直面すると、その解決法を模索します。しかし、目先の解決ばかりを考えると、後にまた同じような“悩みの壁”にぶつかることがあります。では、どうすればいいのでしょうか。本当の解決には、“自己変革につなげる悩み方”が重要ではないでしょうか。
 フランスの作家・サン=テグジュペリは言っています。「人生には解決法なんかないんだ。あるのは、前に進む力だけだ。解決法は、後からついてくるものさ」(齋藤孝訳)。悩みの壁を破るとは、停滞する自身の“生命の壁”を破ることにほかなりません。

サン=テグジュペリ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%86%E3%82%B0%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%9A%E3%83%AA  

Posted by mc1460 at 11:39Comments(1)TrackBack(0)つぶやき

2012年05月24日

生きる意味

 バブル経済が崩壊し、90年代の日本は、経済不況に陥いりました。この期間を、「失われた10年」と評されますが、失ったのは「経済」ではなく、「生きる意味」であると、上田紀行氏は指摘しています(『生きる意味』岩波新書)
 何のための人生なのか。「生きる意味」の喪失とは、この「何のため」という問いを、ないがしろにしてきた結果であろう。その弊害が今、社会のあちこちで噴出しています。
 確固たる目的観のない生き方は、荒海を、羅針盤もなく漂うようなものです。また、目的の高低浅深は、歴然とした人生の“差”となって表れてきます。

上田紀行
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E7%94%B0%E7%B4%80%E8%A1%8C  

Posted by mc1460 at 14:12Comments(0)TrackBack(0)つぶやき

2012年05月23日

21世紀は感染症との戦いの世紀

 “21世紀は感染症との戦いの世紀”ともいわれています。その一つ、新型インフルエンザは弱毒性なため、重症化する危険性は低いとみられていますが、糖尿病などの持病がある人や高齢者、子ども、妊婦は十分な注意が必要です。国内の感染拡大を最小限にするため各人が予防に努めたいものです。
 今、大事なことは、まず、いたずらに恐れない事です。相手の正体が見えないだけに、不安に駆られますが、「恐懼する所あれば、則ちその正を得ず(恐れによって心が乱され、心の正しいバランスが失われる)」(『新訳 大学・中庸』守屋洋編訳)となって判断を誤ってはいけない事です。
 しかし、甘く見ないことも必要です。不必要に怖がらず、その一方で油断しない。冷静かつ適切な行動が求められます。そのためにも正確な情報に基づいて対応することが必要です。さらに、根拠のない話や、うわさに惑わされる事にも注意を。その上で、状況によって更新される新しい情報を得ることも大事です。
  

Posted by mc1460 at 13:48Comments(0)TrackBack(0)つぶやき

2012年05月22日

対話の必要性

 わずか3万年前まで生きていたネアンデルタール人は、なぜ絶滅したのでしょうか。理由には諸説ありますが、近年の研究では、彼らの命運を決めたのは「声」だとする説が出ています。その根拠として、ネアンデルタール人は、私たち現代人との声帯の位置の違いから、現代人ほど複雑な発声ができず、言語を獲得できなかったとしています。
 氷河期の厳しい環境に対し、言語を持った現代人の祖先は、多様なコミュニケーションを駆使し団結しました。一方、ネアンデルタール人は寒さに強い体を持ちながら、狭い範囲の協力にとどまり衰亡していったと。(『ネアンデルタール人の正体』)
 先史時代、コミュニケーションの能力が生死を決めました。この原則は文明社会にも当てはまるようです。ある有名企業の研究では、米国を代表する企業群も寿命は平均40年ほどが大半だそうです。しかし100年を超す会社もあり、そこに共通する特徴は、環境の変化への適応を可能にする結束力、柔軟性等であることが分かりました。そうした力を生み出す鍵は「対話」にあるとの分析も進んでいるそうです。
  

Posted by mc1460 at 11:54Comments(1)TrackBack(0)つぶやき

2012年05月21日

建物のカケラ

 3年前の平成21年「江戸東京たてもの園」で、建物の破片700点が並ぶ「建物のカケラ」展がありました。展示された破片は、手塚治虫が住んだアパートの外壁、美空ひばり邸の鉄扉の飾り、巣鴨プリズンのれんが等々、年代も場所も様々だったようです。
 展示のカケラを集めた一木努氏は「小さな破片となっても、建物の想いを伝え、過ぎ去った時間を教えてくれる」と。私たちの日常においても、ちょっとした断片から過去を思い起こすことがあります。

建物のカケラ 一木努コレクション
http://d.hatena.ne.jp/Orihika/20090302
  

Posted by mc1460 at 13:05Comments(0)TrackBack(0)

2012年05月20日

心のしわ

 「歳月は皮膚にしわを増すが、熱情は失えば心はしぼむ」(作山宗久訳)と謳ったのは、詩人のウルマンです。心の若さを訴えるこの「青春」の詩は、ウルマンが78歳の時の作品だそうです。
 思想家のエマソンは61歳の時、「自分の内部には、しわや使い古した心はなく、まだ使いはたされない青春がある」(富田彬訳)と記しています。二人の言葉から考えれば、人間は歳月を重ねただけで心のしわはできない。情熱を失った時に刻まれると肝に銘じたいものです。  

Posted by mc1460 at 13:18Comments(0)TrackBack(0)つぶやき

2012年05月19日

未来の宝

 万葉集に「子らを思へる歌」があります。「瓜食めば/子ども思ほゆ/栗食めば/まして思はゆ」。現代に解釈すると、瓜も栗も、当時は珍味だった事でしょう。それを口にすると、“あの子にも食べさせてあげたい”と、なるのでしょうか。読んだ人の、わが子の顔が思い浮かびますね。親心は、時代を超えて共通です。
 しかし、今の世に目を向けると、子どもに対する痛ましく悲惨な事件が絶えません。それは“親心”を忘れた、大人の問題です。子どもを大事にしない社会に、将来はありません。国にやれやれというだけでなく、地域が一丸となって、“未来の宝”との認識に立って、接し、はぐくむことが第一歩でしょう。
  

Posted by mc1460 at 11:35Comments(0)TrackBack(0)つぶやき

2012年05月18日

平凡に見えることを持続

 一見、平凡に見えることを持続していくと、やがて非凡に通じていきます。地道な努力を積み重ねた人が、きっと人生の勝利者となる事でしょう。
 「格に入て格を出ざる時はせばく、格に入ざる時は邪路にはしる。格に入格を出て、初て自在得べし」(『芭蕉文集』岩波書店)。これは松尾芭蕉が“俳諧の心得”として述べた言葉です。格は規格の格で、基本のこと。基本を繰り返して学び、身に付けることが肝要です。基本通りにできるようになれば、そこからその人なりの個性や独創性が発揮されていくものです。
 有名な話です。プロ野球の王貞治選手を育てた、荒川博氏が語っていました。「人間というのは気の遠くなるような反復練習で、何かを会得することができる」と。王選手は打撃の基本である素振りに徹しました。1日1000スイングを超える素振りを実践していました。その中から一本足打法を生み出したのです

 基本に徹することは、土台をつくることです。土台なくしては、どんな家も、どんな立派なビルも建ちません。人生も同じです。  

Posted by mc1460 at 11:38Comments(0)TrackBack(0)つぶやき

2012年05月17日

火事と喧嘩は江戸の華

 「火事と喧嘩は江戸の華」と言いますが、自身に火の粉がかからないと、人は行動を止めて「見てしまう」ものでしょうか。頭で分かっていても、いざという時、体は動かない。消火器の使用などは体に覚え込ませておきたいものです。
 その意味で、地域の防災訓練には積極的に参加したいものです。私は13日にあった地元自治会の、防災訓練に参加しました。消防団の人が消火器の使用のしかたを説明した後、「どなたかやってください」と言われ、皆さんしり込みをしていましたので、私が最初に手をあげ挑戦。自分ながら上手くできました。これで流れを作れば続々と挑戦する人が続き、無事、防災訓練は終了しました。
 このような地域単位でなく、コミュニティーの最小単位の「家族」でも、防災訓練はできます。家族の中の役割分担、災害時の連絡方法、避難経路・避難場所の確認、非常持ち出し品の点検等々。もちろん、わが家から火災を出さないよう、火元の点検も怠りなく。日常の備えが大切な命を守る事になります。油断は、何かに心がとらわれている時にも起こります。

江戸の火事
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E3%81%AE%E7%81%AB%E4%BA%8B
  

Posted by mc1460 at 13:46Comments(0)TrackBack(0)つぶやき

2012年05月16日

R25

 電話で愚痴や悩みを聞いてもらう、有料の〝話し相手サービス〟R25を知っていますか。24時間、専属スタッフが対応するそうです。利用者が話す内容は、仕事から家庭、子育て、将来のことまで多岐にわたっているようです。
 専属スタッフは「あいづちは句読点のように打つ」「話を聞くよりも、相手の気持ちに寄り添う」「具体的なアドバイスはしない」などが聞き上手の極意と語っています。
 利用者は迷惑がられたり、厳しい指摘を受けて傷つくこともなく、癒やしを得られることが、受けている理由なのでしょう。常に他者との〝距離感〟を計り、〝空気を読む〟ことに気を配りつつ、それでも、人との強いつながりを求める。そんな現代人の心の葛藤が透けて見えます。

R25
http://r25.yahoo.co.jp/
  

Posted by mc1460 at 11:36Comments(0)TrackBack(0)つぶやき

2012年05月15日

魂の治療所

 4月30日は「図書館記念日」でした。図書館の歴史を紐とくと、日本の公共図書館発祥の地は、宮城県の仙台になっていました。仙台藩出身の青柳文蔵が、若いころから収集した蔵書約1万冊と、運営資金1000両を同藩に献上し、「青柳文庫」が創設されたことがルーツとなっていました。なんとも、学都・仙台にふさわしい史実です。
 創価学会の池田名誉会長は、若き日より、わが子のように大切にしてきた書籍7万冊を、創価大学に寄贈しています。その膨大な蔵書は、関係者の強い要望で「池田文庫」と命名され、同大の図書館に設置されています。中には、戦中、防空壕に入れ、空襲から守った本もあるそうです。さらに、若き日に恩師の戸田城聖から個人教授を受けた「戸田大学」でのテキストとなった経済学、法学などの学術書も含まれています。
 活字の力を信じる人にとって、本はただの紙ではありません。師ともなり、友ともなります。すなわち「いのち」そのものなのです。古来、西洋では、図書館を〝魂の治療所〟と呼びました。人との出会いが人生を変えるように、良書にも人生を変える力があります。その両方を味方にすれば、より深い人生を生きられます。
  

Posted by mc1460 at 11:44Comments(0)TrackBack(0)つぶやき

2012年05月14日

ダンテの叫び

 本物は苦闘の中から生まれます。世界文学の金字塔といわれているダンテの『神曲』もそうでした。愛する人の突然の死と、祖国からの追放という苦悩に襲われた、13世紀イタリアの詩人ダンテ。「他人のパンがいかに辛く/他人の家の階段の上り下りがいかに辛い道であるか」(平川祐弘訳)。流浪の中で綴られた詩人の一言一句が胸に染みります。
 地獄・煉獄・天国の3界をダンテ自身が旅する『神曲』の物語は、彼が文学上の師匠とした古代ローマの詩人ウェルギリウスが導き手となって進んでいきます。試練の旅 を勝ち越えたとき、師は弟子をこう讃えます。〝君は、君自身の主なのだ〟と。
 人間とは、運命に流されるだけの存在ではありません。自分が自身の主となって、困難にも立ち向かい、乗り越えていけるのだ。この詩人ダンテの叫びは、わが一念の変革が、人生も社会も変えゆく力になることを教えています。
  

Posted by mc1460 at 13:22Comments(0)TrackBack(0)つぶやき

2012年05月13日

私は君を見守り続 ける

 ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサは〝愛の反対は「憎しみ」ではない。「無関心」である〟と語っています。マザー・テレサは、貧困の極限にあってなお、人間にとって最大の 苦しみは、物質的欠乏以上に、だれからも関心を払われなくなることなのだと。〝まなざし〟を注がれないところで、人は尊厳をもって生きることはできないのです。
 創価学会・池田名誉会長の長編詩に「たとえ/牢獄につながれようが/君は/君たちは/わが最愛の弟子だ!」との一節があります。だれが見捨てたとしても、私は君を見守り続 ける――そうした存在が一人でもいれば、人間は、逆境に立ち向かう勇気を奮い起こすことができるに違いありません。
  

Posted by mc1460 at 16:31Comments(0)TrackBack(0)つぶやき

2012年05月12日

芸が分かってくれるお客さん

 人間国宝、桂米朝師の芸には圧倒されます。それは米朝師が日頃言うように「落語は演者が消えんとあかん」。つまり演者の説明ではなく、登場人物の「対話」や「しぐさ」だけで、状況を観衆に分かってもらわねばならない。名人・上手となると、視線だけで、登場人物の職業、複数の人物の間の距離、部屋の間取りまで表現できるそうです。
「一文笛」というネタで、米朝師は、登場人物の視線だけで、路地裏の長屋の狭さ、貧しい生活ぶりを表現します。まだ悲しい場面でもないのに、ハンカチを目にあてている人がいるほどです。
しかし、「うまいこといくのは、年に2、3回。まだまだ精進せんとあきません」と。「何人もの先達の名人たちの努力、そして、その芸が分かってくれるお客さんに、何十年何百年とはぐくまれて、落語という芸は磨かれていく。  

Posted by mc1460 at 11:39Comments(0)TrackBack(0)つぶやき