2012年04月30日

ユイマール

 沖縄・宮古島の平良港近くに、「ドイツ皇帝博愛記念碑」という県の指定史跡があります。これは、1873年、中国からオーストラリアに向かうドイツ商船のロベルトソン号が台風に遭遇し、宮古島沖で座礁、難破しました。荒れ狂う海の中、島の人々は小舟を漕ぎ出し、船員たちを命がけで救出しました。約1カ月の看護の結果、全員が無事、帰国しました。ドイツ皇帝は、この友愛の救出に感謝し、軍艦を宮古島に派遣、贈り物とともに記念碑を建立したものです。
 沖縄には、“助け合い”を意味する「ユイマール」という言葉がある。「ユイ」とは「結い」の意。先のドイツ船の救出劇も、その一つの表れでしょう。

ドイツ皇帝博愛記念碑
http://w1.nirai.ne.jp/shiruko/okinawa/rekishi/doitumura.html  

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2012年04月29日

まさに人生は劇

 「演技がかっている」と言えば、一般には偽りなどを連想させ、あまり良い印象を受けません。しかし、劇作家の福田恆存氏は“人間は特定の役割を演じて生きていく演劇的な動物”と訴えています。
 そして、人間は本来“自分は意味のある存在である”との実感を求めています。この実感は、自分が置かれた環境下で、自らの役割を演じきる中で感じるものです。自分の役割を捨てて、他に自由を求めても、決して生きがいを感じることはできない(『福田恆存評論集4』)と。
 自分の今の環境を当てはめてみると、現実はいかに思い通りにならないことが多い事でしょう。しかし“今の自分は本当の自分ではない”“なぜこんな目に”と境遇を嘆くばかりでは、人生の舞台を降りるのと同じです。
 仏法では、“菩薩は衆生を救済するために、自ら宿命を背負って生まれることを願う”と説いています(これを「願兼於業・がんけんおごう」といいます)。いわば私たちは、この世に生を受けて“あえて苦労を演じている”と言えるでしょうか。ならば、自分で背負った宿業ならば乗り越えられないはずはない。まさに人生は劇です。主役は自分自身です。今いる場所が使命の舞台であり、苦難こそ最大の“山場”となる事でしょう。
  

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2012年04月28日

幸福の道を開く戦い

 時は鎌倉時代です。建長5年(1253年)の今日、日蓮大聖人は南無妙法蓮華経の題目を示され、民衆救済の大闘争を開始されました。この題目を弘めることで、万人の胸中に大いな る生命力を呼び起こし、永遠にわたる幸福の道を開く戦いを開始されました。
 その誓願を創価学会の牧口・戸田・池田と三代の会長が受け継ぎ、題目は世界に流布されました。題目を唱える実践に よって一人一人の生命を変革し、ひいては生活、人生、家庭、社会を変えていく人間革命運動。それが今、世界で展開され、人々と社会に価値をもたらしています。事実に触れる時、あらためて大聖人仏法の力を感じる事ができます。
 一遍の題目でも、偉大な力を秘めています。その題目を唱えられる幸せは例えようがありません。それは、天空から投げた小さな けし粒が、大地に立てた一本の針の先に刺さることよりも、題目に巡りあうことの方が難しい、とまで大聖人は述べておられます(御書941ページ)。それほど の題目に巡りあえたのです。
 大聖人が残された御書には、題目を唱える福徳は計り知れず、信心をして一日でも生きれば積もるような功徳がある、ともしたためられています。大聖人仏法に出あい、題目を 唱えて生涯を送った人は、一人も残らず永遠の幸福境涯を得ることは間違いありません。自分のみならず、一家一族の幸福の道を開く題目を、きょうも朗々と唱えなが ら前進していきます。
  

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2012年04月27日

巨人の肩

 私が遠くを見ることができたとするなら、それは、私が巨人の肩に乗っていたからです―大科学者ニュートンが、自身の偉大な発見は先人の遺産のお陰である、と語ったのは有名な話です。彼はガリレオやコペルニクスなど、先哲への恩を忘れませんでした。天才と呼ばれたニュートンでも、たやすく「巨人の肩」に乗ったのではありません。地道な研究に挑み、一歩一歩、巨人によじ登ったのです。その苦闘の末に、近代科学の新たな地平を開くことができたのです。
  

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2012年04月26日

日本民藝館

 東京・目黒区駒場にたたずむ日本民藝館。初代館長は「日本民芸運動の父」と称された柳宗悦です。彼は、名もない職人たちの手による実用品にこそ真の美が宿ると主張しました。中でも、庶民の生活から生まれた民芸品は、すべての無駄が省かれ、「なくてはならぬもの」だけが残っています。丈夫であり、役に立つ。この「素朴な姿」こそが本当の美しさなのだといっています。
 彼は「民衆の力」を見詰めていました。いわく「民衆への否定は常に誤謬(誤り)なのです。工藝の美を支える力は名もなき民衆なのです。あの天才すら及び難い無心の作を産む民衆なのです」と(『民藝とは何か』)

日本民藝館
http://www.mingeikan.or.jp/
  

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2012年04月25日

戸惑っている人に

 この時期、進学や就職による新しい生活環境の変化に、戸惑っている人は多いはずです。まずは、追い立てられるような生活のリズムに慣れることです。次に、自身の目標を明確にし、何事も前向きに受け止めていくプラス思考が大事でしょう。
 中国の諺に「一事を経ざれば一智に長ぜず」と。一つの事をやり遂げてはじめて一つの知恵が身につく、という意(井波律子著『中国名言集 一日一言』)。新しい挑戦への失敗を恐れず、焦らず着実に経験を積み重ねていく以外にありません。がんばって!!
  

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2012年04月24日

適材適所

 ある人が語りました「この石垣を見てごらん。大きな石も小さな石も、きれいにきちっと積み重ねてある。この城は堅固なんです」と。
 石垣はなぜ、大・中・小の石を複雑に組み合わせるのでしょうか?  それは、地震に強くなるからだという理由があります。同じ大きさ、同じ重さの石を積むと、地震の揺れを吸収できず、逆に揺れが大きくなって、崩壊する危険度が増すそうです。
 しかし、組み合わせ方はバラバラではいけないそうです。石垣をじっくりと観察してみると、高い精度で、がっちりと組まれています。大きな石も小さな石も、どれ一つとして欠くことのできない石として働いているから強固なのです。
 人の世界も同じことが言える事でしょう。この世で使命のない人などありません。どんな人も、なくてはならない人となれます。そのためには、周囲が一人一人の長所を見つけ伸ばし、使命に目覚めさせることです。適材適所に。  

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2012年04月23日

心の財

 わが国を代表する教育者・新渡戸稲造博士は第一高等学校の校長時代、課外講義を週1回2時間、全校生を対象に連続で行ったそうです。教材は、世界的名著ばかりでした。ゲーテの『ファウスト』、カーライルの『衣服哲学』、ミルトンの『失楽園』など広範囲に広がっていました。
 校長という激務の中での講義は「一高生に対する愛情が最も現実的具体的に現われた」行動の一つであり、先生の校長時代に一高生だった事は「大きな幸福」――『衣服哲学』の講義を懇願した山田幸三郎氏(独文学者)は卒業60年後、こう述懐しています。
 「数世紀の試練をへた書物の中にこそ、困窮にあっても富を見出し、縄目をうけても自由を見、病にあっても健康を、悲しみにあっても歓喜を、孤独にあっても交わりを見出すのである」(『新渡戸稲造全集 第20巻』教文館)。新渡戸博士のこの言葉通り、講義は次代を担う青年の「心の財」となったことでしょう。  

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2012年04月22日

社会を変える大きな一歩

 日の出前の朝、男は浜にヒトデがたくさん打ち上げられているのを見つけました。日が昇ったら干上がって死んでしまう。男は一つ一つ、海に投げ込み始めた。その姿を見た若者が言いました。「ヒトデはごまんといる。おまえさんが助けるのが何になる? このヒトデを全部は救えない」。しかし意に介さず、男はまた一つ投げ込みました。そして、一人つぶやきました。「このヒトデにとっては大きな違いさ」と。
 これは非暴力運動の指導者マハトマ・ガンジーが孫に紹介した話です。この話を通し、「一人の命に触れ、その命を救うことができれば、それこそ私たちが作り出せる大きな変化なんだ」と教えたのです(塩田純著『ガンディーを継いで』NHK出版)
 環境破壊や天災など、一人の力では解決できないと思われる現実に直面した時、“私にできることは何か”と真剣に考える人がいます。小さな行動でも、それが社会を変える大きな一歩になる事を信じて。
  

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2012年04月21日

「前向き」と「後ろ向き」

 ある女性の話です。彼女は情報誌制作の仕事に就き、念願の社会進出を果たしました。しかし、それまでの経緯は壮絶でした。
 彼女は、生まれながら気管が狭く、気道を確保するために気管を切開し、チューブを挿入しています。そのチューブの先が当たる部分の肉が盛り上がって、窒息状態を起こすことがあのます。これを切除するため、全身麻酔での手術は数百回に。両親は病院での24時間体制の付き添いを10年以上続けてきたそうです。
 しかし、そんな苦労にも負けないで、彼女は常に明るく、院内学級や夜間高校に学び、短大に進学しました。そして、社会進出を勝ち取りました。彼女は語ります「私が“前向き”に頑張れたのは、家族や医療関係の人々、そして励まし続けてくれた同志がいたから。感謝の思いを、自分の頑張る姿で示したい!」と。同志とは彼女が信仰する創価学会の仲間の事です。
 「前向き」と「後ろ向き」の違い。それは、わずかな「心の差」。思うようにいかない時こそ、縮み込まず、心を弾ませ行動したいものです。
  

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2012年04月20日

文書

 3年前、詩人・宮沢賢治の未発表の草稿が発見され、話題になりました。詩は地図の裏に鉛筆で綴られていました。賢治が外出中、たまたま持参していた地図に、溢れる詩興を書き留めたのだろうと推測されます。 鎌倉時代に生まれた日蓮大聖人の御真筆も、古い書面の裏に書かれたものが多いそうです。それは紙不足の当時、門下が不要になった紙の裏を使ってもらおうと供養したものといわれています。例えば、現存している富木常忍にあてた書状などは「一二八通におよぶ多数の文書の裏に書かれている」(網野善彦『蒙古襲来』)
 日蓮大聖人は門下の苦悩を知ると、即座に激励を記さずにいられなかったのでしょう。やむにやまれぬ思いから、お手元の紙に励ましを綴られた様子がうかがえます。  

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2012年04月19日

真の負けず嫌いとは

 囲碁界初の5冠王、史上最速・最高勝率で700勝達成など、最強棋士との呼び声も高い張栩氏。張栩氏は幼少時から現在までの20数年間、練習碁でも手を抜かなかったそうです。
 負けず嫌いを自負する氏が、一般の人のレベルを三つに分けているそうです。第1は“その場だけ全力を尽くす人”。しかし、それは「負けず嫌いではなく、その場を楽しみたいだけ」と手厳しく判断しています。次の“準備を怠らない”レベルで、初めて負けず嫌いと称せる、と語っています。
 氏が示す真の負けず嫌いとは“人生を懸けて挑む人”。挑戦できる対象があるなら、一度は自身のすべてを注ぎ込むべき――壮絶な努力を重ねてきた人の勧めゆえに含蓄がある(『勝利は10%から積み上げる』朝日新聞出版)プロの勝負の世界に限らず、目標が定まっていても、人生を懸ける思いで行動することは、たやすいことではないですね。  

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2012年04月18日

三つの資質

 宇宙飛行士になるために、旧ソ連全土から選抜された最優秀のメンバー。その中から「あの若いのは、笑顔がとてもいい」と、人類初の宇宙飛行を成し遂げたガガーリンが、快活さでチャンスをつかんだそうです。
 技術・知識・体格面からいって、誰が選ばれても不思議でなかった状況です。事実、ガガーリンは、どの訓練でも一番を取っていませんでした。ただ彼は、チームをつくると、不思議とリーダーになっていたそうです。なぜか。「いざというときの決断が速い」「仲間の信頼が厚い」「いつもにこにこしている」――この三つの資質があったからという(朝日新聞社刊『100人の20世紀』)
 ガガーリンは語っています「強い意志は、人間に生まれつき備わっているものではない。それは、育てていくものなのだ」。私たちの周りにも、勉学を頑張ろう、体を鍛えようという人は多いとおもいます。結果も点数や記録等で、はっきりと分かります。
 しかし、人間を鍛え、磨き続けることは、なかなか難しいものです。だが、着実に人格を磨き抜いた人こそが、真の勝利者と輝くにちがいないと思いますが、いかがですか?  

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2012年04月17日

桜梅桃李

 桜前線が北上しています。本州ではソメイヨシノの開花を追う前線ですが、北海道ではエゾヤマザクラ、チシマザクラ、沖縄・奄美ではヒカンザクラの花に注目するそうです。
 沖縄では、この桜が北から南へと咲いていきます。つまり沖縄では、本州とは逆に桜前線は南下するそうです。冬の低温の刺激を受け、花芽が成長するのが、桜の特徴です。このため、沖縄北部の山間部のほうが早く寒さを経験するため、花芽がより早期に、つぼみになるそうです。
 仏法で説く「桜梅桃李」は、それぞれの花が誇らしく咲き香るように、個性が輝く人間主義を強調しています。その筆頭に挙げられている「桜」も、じつに多種多様で、一説によると、300品種を超えるといわれています。
 広告業界の大手企業は、「粒ぞろい」ではなく、「粒ちがい」の人材を求め続けました。「1人としてパターン化した人間はいりません」「起業家精神の旺盛な個の集まりが理想です」と(高橋宣行著『博報堂スタイル』PHP研究所)
  

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2012年04月16日

新しい自分を発見する行動

 学生時代は“宝探し”のようなものといわれています。そこにはいろいろな宝物があります。自分の中に眠る可能性という宝。生涯、切磋琢磨し合う友人という宝……。これらを一つでも多く見つけることが、人生勝利の土台となります。
 いってみれば青年は一人残らず、ダイヤモンドの原石です。ダイヤはダイヤでしか磨けないように、青年はダイヤのごとき一流の人物との出会いや、友人との交流があってこそ、自身も強く美しく磨かれていくのです。
 しかし、「生涯の宝」を得るのは学校だけではありません。職場にも地域にも、良書の中にもあります。大切なのは、「生涯の宝」を探し求め続ける意欲でしょう。自らを向上させる軌道が、ここにあります。“宝”は、日常の足もとに必ず眠っています。さあ、新しい自分を発見する行動を開始しましょう。
  

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2012年04月15日

伝統を受け継ぐ

 最古の民族の一つとされるキルギス。その輝く伝統を受け継ぐのがキルギス共和国です。
 キルギスの有名な叙事詩『マナス』は、千年の時を超えて、英雄マナスの活躍を語り継ぐ世界最大の口承文学といわれています。首都のコンサートホール前庭には、勇者マナスの騎馬像が屹立しています。その勇姿を見上げるように、実在した叙事詩の語り部たちの胸像も立っています。英雄讃嘆の言葉を紡ぎ、吟唱してきた語り部たちもまた英雄なのです。
 吟唱を会得するには相当の修練が必要ですが、その伝承方法には「家伝」と「師承」があるという(若松寛訳『マナス 少年篇』東洋文庫)。キルギスでは幼い時から、家庭で日々、『マナス』に接し、父や兄から薫陶を受けるそうです。その後、名のある師匠を訪ねて、内容の理解を深め、技巧を習得していきます。このように、家族の中での継承を基盤に、師を求め、自らをさらに磨き高めていくことで伝統は受け継がれていきます。

キルギス共和国
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/1320/  

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2012年04月14日

エミール

 若き日、カントは知識欲に燃えていました。学ぶほどに喜びを覚え、真理の探究に邁進する自分を誇らかに感じていました。
 その自信を粉々に砕いたのは、ルソーの教育小説『エミール』であったそうです。カントは正直に綴っています。「(私は)何も知らない俗衆を軽蔑していた時代があった。ルソーが私を正道に戻してくれた。この優越の欺きは消え、私は人間を尊敬することを学ぶ」(久保光志訳)と。
 思弁にふけるあまり、善行を忘れてはならぬ、との戒めも。大哲学者にして、この謙虚な反省あり。否、自利から利他への、そのような目覚めがあったればこそ、後世に輝く偉業を残しえたのでしょう。

エミール
http://www.geocities.jp/ittokutomano/emile.html  

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2012年04月13日

人は実行が第一

 日本を開国に導いた幕末の志士・吉田松陰は、教えを請う者に、最初に必ずこの事を聞いたそうです。曰く「何のために学問をするのか」と。その答えの多くが、書物をうまく読めるようになりたい、だったそうです。
 松陰は諭しました。「学者になってはいかん。人は実行が第一じゃ。書物などは心がけしだいで、実務に服するあいだに、自然に読めるようになるものだ」と諭しました。
 門下生が在りし日の恩師を回顧しました。「実行という言葉は、先生が常に口にされるものであった」(津本陽著『松風の人』)
  

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2012年04月12日

母の豊かな感性と父の正義

 1910年、10歳の少女は夜空を翔る彗星を見ました。夜空のかなたには76年に1度だけ地球に近づくハレー彗星の閃光が。その神秘的な美しさは、少女の心に焼き付いきました。後年、彼女が母親となってからも、その色あせることのない感動を、わが子に語って聞かせました。
 その子は宇宙に魅せられ、天文学を志しました。そして後年、ブラジルを代表する大天文学者へと成長しました。発見した小惑星にその名を冠された、初めてのブラジル人となりました。彼は、天文学博物館も設立したロナウド・モウラン博士です。
 モウラン博士の父は「偏見は、必ず変えられるものだ」と、繰り返し息子に言い聞かせたそうです。少年の心には「負けじ魂」と「楽観主義」の精神が培われました。幼い息子に、ハレー彗星の神秘的な美しさを語った母の豊かな感性。と父の正義。モウラン少年は、大きな心で包み込まれるように育てられました。大学者として名声を博する今も、その心には、父母に育まれた情熱が燃えています。
  

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2012年04月11日

何のため

 もし、柿の種が、味も香りも良い果肉のようだったら――詩人・吉野弘氏は、そんな想像を働かせました。きっと種は果肉とともに食い尽くされる事でしょう。と
 種子は、好ましい味をもたなかったがために、周囲から無視され、かえって未来への芽を守り続けたというのです。詩人・吉野弘氏は結論します。「人間の歴史にも/同時代の味覚に合わない種子があって/明日をひっそり担っていることが多い」(『吉野弘詩集』ハルキ文庫)
 長い時を経ても残るもの――それが、時流とは一線を画した「種子」のような生き方ということなのでしょう。確かに、世間の風潮に迎合し、流行を追いかけるだけの人生は空しいものです。真実の幸福の実体はありません。反対に、毀誉褒貶に流されることなく、自らの信じた道を貫く人生には、充実があります。永遠に崩れざる勝利があります。
 そのために必要なのは、「何のため」という根本の哲学ではないでしょうか。目的観があれば、人生の座標軸はぶれない事でしょう。確かな軌道を歩んでいける目的観がなければ、迷走するだけです。  

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