2012年04月11日

何のため

 もし、柿の種が、味も香りも良い果肉のようだったら――詩人・吉野弘氏は、そんな想像を働かせました。きっと種は果肉とともに食い尽くされる事でしょう。と
 種子は、好ましい味をもたなかったがために、周囲から無視され、かえって未来への芽を守り続けたというのです。詩人・吉野弘氏は結論します。「人間の歴史にも/同時代の味覚に合わない種子があって/明日をひっそり担っていることが多い」(『吉野弘詩集』ハルキ文庫)
 長い時を経ても残るもの――それが、時流とは一線を画した「種子」のような生き方ということなのでしょう。確かに、世間の風潮に迎合し、流行を追いかけるだけの人生は空しいものです。真実の幸福の実体はありません。反対に、毀誉褒貶に流されることなく、自らの信じた道を貫く人生には、充実があります。永遠に崩れざる勝利があります。
 そのために必要なのは、「何のため」という根本の哲学ではないでしょうか。目的観があれば、人生の座標軸はぶれない事でしょう。確かな軌道を歩んでいける目的観がなければ、迷走するだけです。

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