2017年05月31日

ヒマワリは平和の花

 ヒマワリは平和の花です。旧ソ連解体後の1996年6月、ウクライナで核ミサイル基地が撤廃されました。その跡 地に植えられたのがヒマワリでした。ヒマワリの種を植える真の意味は、人間一人一人の「生命の奥」に「平和の種」を深く植えていくことにある、と所長は 語ったそうです。
 同国でチェルノブイリ原発事故(86年)が起きた後も、汚染土壌の浄化にヒマワリが活用されました。放射性セシウムは、肥料のカリウムと化学的な性質 が似ています。ヒマワリはそれを吸収する能力が高く、土の中のセシウムを集めることができるからです。
 現在、福島県でも、土壌汚染を少しでも改善できればと、 ヒマワリを植えるプロジェクトが進められています。ヒマワリは『希望』の象徴です。それ自体が『生命』であり、次の生命を結実させるものなのです。  

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2017年05月30日

小説家の有吉佐和子さん

 「思い込んだら一直線」「天衣無縫の童女のおもむき」。友人だった小説家の有吉佐和子さんを、創価学会の池田先生はそう評しています。
 有吉さんは、日本人にありがちな、場の空気を読む“あいまいの美徳”とは対極の人でした。認知症介護の現実を描いた『恍惚の人』をはじめ、先見の明ゆえに批判も多かったが、“世間が私を見る目が変わっても私は私”と信条を貫いた人でした。
 自分の目で見て判断する彼女だからこそ、国交正常化前の中国に長く滞在し、“暴力宗教”などと色眼鏡で見られた創価学会のことも「まじめな団体」「若い人たちが多く、礼儀正しい」と、正確な目で評価しました。
 その有吉さんが学会本部を訪ね、池田SGI会長と対談したのは1966年5月。“池田会長を中国に招待したい”という、周恩来総理の重要な伝言を携えていました。SGI会長はその2年後に日中国交正常化提言を発表。74年のきょう、初訪中を果たしたのです。同年12月には周総理との会見に臨んだ。以来、日中関係が嵐の時も、信義の道を貫き、友好の「金の橋」は揺るがぬものになったのです。  

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2017年05月29日

他人の中の自分

 創価学会の池田先生と対談した米国の歴史学者、ハーディング博士は「体験を聞くことによって、〝他人の中の自分〟に気がつくことができます」と語っています。
 理論を聞くだけでは、それを自身の生き方に関わる事として捉えるのは難しい事です。他者の体験を自身になぞらえることで、「変わろう」「挑戦しよう」という能動的な決意が生まれます。ゆえに創価学会は、牧口初代会長以来、体験を語り合う座談会を活動の中心にしてきているのです。
  

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2017年05月29日

他人の中の自分

 創価学会の池田先生と対談した米国の歴史学者、ハーディング博士は「体験を聞くことによって、〝他人の中の自分〟に気がつくことができます」と語っています。
 理論を聞くだけでは、それを自身の生き方に関わる事として捉えるのは難しい事です。他者の体験を自身になぞらえることで、「変わろう」「挑戦しよう」という能動的な決意が生まれます。ゆえに創価学会は、牧口初代会長以来、体験を語り合う座談会を活動の中心にしてきているのです。
  

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2017年05月28日

根気強い励まし

 絵本に、コップにまつわる話があります。『ちょっとだけ』(福音館書店)という絵本の主人公は、小さな女の子。ママは赤ん坊の世話で忙しく、彼女は何でも一人でします。パジャマに着替えたり、髪の毛を結んだり。いろいろやってみて、ちょっとだけうまくいく。そんな彼女が牛乳をこぼしながら、ちょっとだけコップに注ぐことができました。
 3歳の男の子がこの話を聞いて「うわぁすごいね」と喜んだそうです。母親ははっとしました。“私なら息子を怒っていたかもしれない。コップに入れられた牛乳には目を止めずに”(柳田邦男著『生きる力、絵本の力』岩波書店)
 失敗の中に、少しずつ成功を積み重ねることで、人間は成長します。あらを指摘するのはたやすいですが、それでは人のやる気は出ません。「君ならできる!」「やってみようよ」――この根気強い励ましを栄養に、人は伸びていくのですね。  

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2017年05月27日

ライラック

 「家ごとに/リラの花咲き/札幌の/人は楽しく/生きてあるらし」。リラとは、ライラックのこと、歌人・吉井勇が詠んだ歌です。
 1960年、ライラックは「札幌の木」に選定されました。今の時期、伝統の「ライラックまつり」が行われるなど、札幌の至る所でかれんに咲き薫っています。ライラックの花言葉の一つは「友情」だそうです。  

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2017年05月26日

“あれは私が作った”と誇りにする作品

 名作と呼ばれる映画のタイトルを並べては、「あ、あれ俺の作品」「あの作品も俺」と、誇らしげに言う人がいました。声の主は、舞台セットで使う木を用意した植木職人でした。
 それを聞いた脚本家の山田太一さんは感動し、「自分の作品もいつかこの植木屋さんの自慢の一つになりたい」と願ったそうです(『その時あの時の今』河出書房新社)。
 原作者や脚本家だけでなく、役者やスタッフ、さらに裏方の人までが、“あれは私が作った”と誇りにする作品は、名作に違いありません。  

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2017年05月25日

一斗缶に入った小豆

 昭和の名作曲家・古関裕而氏。その名を知らなくても、氏、作曲の高校野球の夏の大会歌「栄冠は君に輝く」を知る人は多い事でしょう。軽やかなリズムで歌うと、聴く人の顔も明るくなっていきます。
 古関氏は国民的な楽曲を世に送る一方、校歌も数多く手掛けました。ある時、氏のもとに、北海道の小学校の校長から校歌の作曲依頼が届いきました。手紙には、小さな学校ゆえ予算が足りず、満足な御礼はできないが、思い切って連絡しました――と綴られていたそうです。氏は熱意に応え、無償で曲を作くりました。
 後日、氏の自宅に一斗缶に入った小豆が届いきました。この小豆は校歌の御礼にと、児童たちが家から一握りずつ持ち寄ったものでした。真心の詰まった御礼に、氏は胸を熱くしました。  

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2017年05月24日

五月病

 新年度が始まって、もうすぐ2カ月です。「五月病」という言葉があるように、社会人1年生が、環境の変化に悩みやすい時期でもあります。
 ある意識調査によると、新入社員が会社に望む要件は、多い順に「良好な人間関係」「自分の能力の発揮・向上ができること」。これは10年以上、変わらない傾向であるとの解説もあります。給料などの条件以上に、「心の充実」が働きがいになっている表れでしょう。納得。  

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2017年05月23日

自分の生きる力も奪っていく

 ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を生き残った中の82%の人が、収容所で餓死寸前という絶望的な状況でも、わずかな食料を分け合うなどして、周囲を助けたいと思っていました。『スタンフォードのストレスを力に変える教科書』(大和書房)に載った話です。
 著者で、米スタンフォード大学の心理学者ケリー・マクゴニガル氏は記しています。「あなたがなにかで無力感をおぼえたときに、周りの人の役に立つことを自分から進んで行えば、やる気を失わずに、楽観的でいることができます」(神崎朗子訳)  現代は「無縁社会」といわれて久しい。誰とも口を利かない。困っている人も見て見ぬふり。そんな無関心の態度は、周りだけでなく、自分の生きる力も奪っていくのです。  

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2017年05月22日

気品にあふれるのはなぜか

 漆器に施した金箔の輝きが、気品にあふれるのはなぜか。その訳を漆塗り職人が語っています。
 「あれは『白檀塗り』という技法で、金の上に、もう一度、漆を薄く塗るんです」と。仕上がった時の表面は黒い。それが3年、5年とたつうち、漆が透けて、下の金箔が、単なる華やかな輝き以上の、奥深い光沢を放つという。
 本来、金は光ろうとし、漆は輝きを抑えようとする。「金そのものだけでは出せない、いわば、漆があってこその『金色』ともいえるでしょう」と。納得  

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2017年05月21日

秘めた力

 ある小学校の参観日でのエピソードです。低学年の理科の授業で、花の写真を見て感じたことを発表していました。ある児童が発言しました。「大切なものを両手で包むように花びらたちは並びました。そして、浴びた太陽の光を真ん中に集めるように、まあるく膨らんで咲きました」と。
 理科の解答としてはすこしピントがずれているようです。だが、そういう理屈を超えた感性のきらめきに、親たちのどよめきが起きました。大人はすり減らしてしまった、純粋でいちずな子どもたちの心。そこに秘めた力は計り知れないと思ったからでしょう。  

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2017年05月20日

人材はどこにでもいる

 肥後の「鳳凰(ほうおう)」とうたわれたのは熊本藩主・細川重賢です。彼は画期的な財政改革を成し遂げ、米沢の鷹山(上杉治憲)、紀州の麒麟(きりん)(徳川治貞)らと共に、江戸中期屈指の名君とされています。
 重賢の改革は「隗(かい)より始めよ」との格言を合言葉に進められましたた。「隗(かい)より始めよ」とは中国の戦国時代、人材を求める燕の王に対し、郭隗(かくかい)が“まず私のような凡庸な者を用いれば、これを伝え聞いた優秀な人材が、自然と集まるでしょう”と語った故事にちなんだ言葉です。
 重賢の評伝を読むと、この名言について、重賢の側近が「真意は、むしろ逆のように思われまする」と言っています。「人材はいつ、いかなるところにも、実はいるということです。要は、それを見出す人物、登用する者が、あるかないかにかかっているだけのこと……」(加来耕三著『非常の才』講談社)。それぞれの長所を生かした人材登用から、改革は大きく動きだしたのです。  

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2017年05月19日

てい談で紹介したエピソード

 手渡された飛行機のチケットに記された年齢が、随分と大きい数なので、「失礼じゃない。これ間違ってない?」と言うと、「恐れ入りますが……」となだめられた。勘違いしたのは自分のほうだった。これは、女優の岡田茉莉子さんが、聖教新聞のてい談で紹介したエピソードです。
 自分の年齢を忘れるほど、熱中できるものを持つ人は若々しい。「あっという間に年月がたってしまった」と話す人も多い。それは、一瞬一瞬を大切に生きている証しでもあろう。
 一方で岡田さんは、てい談で、こうも語りました。「年齢を重ねなければできないことって、世の中にいっぱいありますもの」「百歳になって八十歳ぐらいのおばあさんの役ができたら最高ですね」。そこには精進を重ねる人ならではの、心の若々しさと円熟がありました。  

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2017年05月18日

慶長遣欧使節団

 仙台藩主・伊達政宗が派遣した「慶長遣欧使節団」がフィレンツェを訪れて401年。支倉常長らの使節団を乗せた船が、現在の石巻市を出航したのは1613年。慶長大津波が東北を襲った2年後でした。
 一行は、故郷の復興を願いつつ、命懸けで、7年の間に太平洋を2度往復し、スペイン国王やローマ教皇と謁見しました。だが、やがて日本は鎖国へ。交渉は実らず、壮挙は歴史の波間に埋もれてしまったのです。
 それが再び、日の目を見たのは幕末でした。岩倉具視を正使とする使節団が1873年、ベネチアの公文書館で、支倉が署名した書簡2通を観覧する。「堂々たる使節として処遇され、帰国した」と聞かされ、2世紀も前の東北人の奮闘に驚嘆したのです。支倉らの努力は、かの国の人々に鮮烈に刻まれていたのです。  

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2017年05月17日

師弟

 日本を代表する磁器の有田焼。初代酒井田柿右衛門が色絵磁器を完成させて以来、15代まで伝統を継ぎ、美を昇華し続けるのが、柿右衛門窯です。
 人間国宝の14代柿右衛門は生前、13代の父との逸話を語っています。若き日に出品した展覧会。父が自分の作品を見て、「あれは駄目だ。出すと恥をかくぞ」と職人に言う。職人が「止めたらどうですか」と返すと、父は「出させろ」と。
 「作品を世の中に出すということは、自分の生き方を大衆の面前にさらしていくということ」を父は教えようとしたのだ。父は、親というより師匠でした。「師弟という仕組みにはまって初めて人間の生活や文化は、生き続いているわけですし、それをいい形で未来へ残していきたいですね」と14代は語っています。  

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2017年05月16日

実感としてつかむ

 小さな町で1校しかない中学校の吹奏楽部を、全国屈指の楽団に成長させた教師の話です。3年間で部員が入れ替わる楽団で実力を維持するには「何のために演奏するのか」という「目的」が欠かせないといっています。
 楽団は大規模なステージより、町内の小さな催しへの出演を優先したそうです。〝「町の宝」と大切にしてくれる皆に、音楽の素晴らしさを届けたい〟と。生徒が音楽の喜びを実感としてつかみ、それが自然に表れるからこそ、コンクールの「結果」も伴うのだろうと語っています。  

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2017年05月15日

「棲み分け」と呼ばれる生存戦略

 道端に、タンポポなど、いろんな種類の雑草がみられる季節です。観察すると、生える場所は草花ごとに細かく分かれ、一つの場所には一つの品種が、集中的に茂っていました。
 自然界のおきては「適者生存」。「ナンバーワン」しか生きられない――これは、生物学で「ガウゼの法則」と呼ばれますが、ではなぜ、道のあちこちに、一つの品種だけではなく違う花が咲くのか。それが「棲み分け」と呼ばれる生存戦略であるそうです。「すべての生物がナンバー1になれる場所を持っている」(稲垣栄洋著『植物はなぜ動かないのか』筑摩書房)のであり、序列があるわけではないのだそうです。
 人間の生命にも、優劣はない。個性があるだけです。その個性に応じて、必ず輝ける場所があります。それを見つけ、可能性を最大に発揮していける人生は幸福です。  

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2017年05月14日

一寸法師の話

 一寸法師の話です。姫を守ろうと戦い、鬼に食べられてしまう一寸法師。だが、鬼の腹の中でも諦めず、針の刀で突き続けると、鬼は悲鳴を上げて逃げ出した。残ったのは、何でも願いがかなう「打ち出の小づち」でした。
 一寸法師は、劣等感に苦しみ、自分のことをちっぽけな存在と思っている人。鬼はそんな自分にのしかかる現実。打ち出の小づちは、劣等感に打ち勝った強い心だそうです。  

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2017年05月13日

荒城の月

 心結ばれた関係にありながら、対面していなかった2人が、初めて会ったのは異国のロンドンでした。この2人とは「荒城の月」を作詞した土井晩翠と、曲を付けた滝廉太郎です。
 廉太郎は将来を嘱望され、ドイツの音楽学校に留学しましたが、病を患い、失意の帰国の途中でした。名曲を世に送った仲だけに、晩翠は、意気消沈する廉太郎を心から励ましました(西原康著『滝廉太郎』潮出版社)
 同曲を構想する際、晩翠は故郷・仙台の青葉城址や福島の若松城(鶴ケ城)などを、廉太郎は子ども時代を過ごした大分・竹田の岡城址を思い浮かべたという。共に自身を育んでくれた地の情景から創作し、それが融合して、不朽の楽曲は生まれたのです。  

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