2014年10月31日

人間の鼻

 田で籾殻を焼く煙、キンモクセイの花……その香りは、毎年、秋の深まりを気付かせてくれます。折々に、その季節ならではの香りがあります。目だけでなく、耳や口や鼻と、“四季を感じる窓”が増えれば、生活はもっと彩り豊かになるに違いありません。
 香りがある物質は数千種類が知られています。それらが組み合わさると、香りの種類は無限に近くなります。人間の鼻は、そのうち実に1万から1万5千種類を識別できるそうです。(三枝敏郎著『花の香り事典』透土社)  

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2014年10月30日

読書の目的の一つ

 英文学者の外山滋比古氏は、読書の目的の一つは「セレンディピティ」(思いがけない発見)と語っています。「眠っていた個性や自分らしさが、心に残る一文によってインスピレーションのように化学反応を起こし、自分のなかに大変化を起こす」と。
 確かに、思いがけず手にした本が、時に心揺さぶる新鮮な感動を与え、生き方さえも変える場合があります。  

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2014年10月29日

物を役立てるには

 飛鳥時代の工人は、木の特性を見抜き、右によじれる木と左によじれる木をうまく組み合わせ、左右のよじれをなくして直線になるようにしたという。法隆寺のヒノキが1300年ももったのは、この“木組み”にあります。
 石積の場合。器量のいい石垣は「すべての石が、大きい石も、小さい石も、全部がお互い手を結び合って強固なスクラムを組んでいる」と言う。収まるべき場所に収まり、お互いの長所を生かすと、強固な石垣となる。(渡辺文雄著『仕事の原点』)
 中国の古典『韓非子』に「物を役立てるには適所があり、才能をはたらかせるにも用い所がある」(金谷治訳)と。

  

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2014年10月28日

慶長遣欧使節

 今から401年前の1613年10月28日(新暦)、仙台藩主・伊達政宗の命で、慶長遣欧使節が現在の宮城県石巻市から出帆しました。派遣の目的の一つは、海外交易の実現でした。
 その2年前、仙台藩は慶長三陸地震による津波で大きな被害を受けました。だが、政宗は政策を後退させるどころか、未来への飛躍を期し世界との交流に打って出たのです。着実な復旧で足元を固めつつ、気宇壮大な志を燃やし続けたからこそ一時代が築かれました。歴史は、それを物語っています。  

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2014年10月27日

生命は常に前向きです

 詩人の川崎洋氏が命の営みを綴った詩にこうあります。「心臓から送り出された新鮮な血液は/十数秒で全身をめぐる/わたしはさっきのわたしではない/そしてあなたも/わたしたちはいつも新しい」(『海があるということは』理論社)
 生命は常に前向きです。詩は呼び掛けます。「いつも いつも/新しいいのちを生きよう/いま始まる新しいいま」と。
  

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2014年10月26日

新たな出会い

 ともすると、人間は年を重ねるごとに人間関係が固定されたものとなってしまいます。それで満足すれば、気は楽ですが、自身の成長は遅くなってしまう可能性があります。
 それに対して、新たな「出会い」に挑むことは、気苦労も多い事でしょう。しかし、人生を真に豊かに彩るものは、友情をおいてほかにないのです。  

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2014年10月25日

学び、教える生命触発の作業

 「学ぶことは 心に誠実を刻むこと」「教えることは 共に希望を語ること」。こう綴ったのは、教育者でもあった仏の詩人ルイ・アラゴンです。
 武蔵大学の黒澤英典名誉教授は語っています。これは、学生たちがナチスに立ち向かって戦死した光景を詠った詩の一節と。この学び、教える生命触発の作業によってこそ、人は生涯、成長を続け、逆境をも乗り越え、心豊かに生きることができるのでしょう。  

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2014年10月24日

この世は喜びに満ちている

 児童発達支援センター・しいのみ学園(福岡市)創設者の曻地三郎氏は、1年前の11月27日に亡くなりました。明治生まれの107歳でした。
 彼は、99歳から毎年のように世界中で講演。101歳から始めたロシア語をはじめ、六つの外国語に親しむバイタリティーには脱帽しますね。
 その氏が、死を考えるほど打ちのめされたことがあります。長男に続き、次男にも障がいがあると分かった時でした。しかし、その葛藤は同学園の創設につながるのです。障がい児のための教育制度が不十分だった昭和20年代のことです。
 「苦しさを踏みつけて、その上で踊っている」――当時をこう振り返っています。氏は、子どもを抱いて死を考えるほどの苦しみを「踏みつけて」生きる、「愚痴をいわない」と誓った。前を見ようとすれば、この世は喜びに満ちている、と(『106歳のスキップ』亜紀書房)  

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2014年10月23日

霜降(そうこう)

 きょうは、二十四節気の「霜降(そうこう)」です。初霜が降りはじめるころ。この時期は、昼夜の気温差や天候の変化が激しい。体調管理には十分に気をつけたいものです。
 中国の古典「易経」に「霜を履んで堅氷至る」と。霜を踏んで歩く季節の後には、硬い氷の張る冬が来る。同様に、物事には必ず“前兆”があり、それが現れたら用心を怠るなという戒めです。

参考
二十四節気(にじゅうしせっき)とは、節分を基準に1年を24等分して約15日ごとに分けた季節のことで、1ヶ月の前半を「節」、後半を「中」と言います。その区分点となる日に季節を表すのにふさわしい春・夏・秋・冬などの名称を付けました。
  

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2014年10月22日

本気の一人

 宮城・石巻市の万石浦で、アサリ漁復活への取り組みが始まっています。
 まずイカダ式の育成装置の中で、1㍉ほどの稚貝約100万個を管理します。そして東日本大震災で海の環境が変化したことから、稚貝を大切に育てる方針が取られ、環境に適応できる大きさまで育てられた後、放流されます。一つ一つの稚貝を強く、大きく育てようとする挑戦が、復興の希望へとつながります。
 自然豊かな海と美しい水田が広がる石巻地域は、江戸時代、仙台藩を〝伊達百万石〟とうたわれる雄藩へ押し上げました。著しい発展をみたのは17世紀末の事です。1611年に発生した「慶長三陸地震」からの本格的な復興を目指す中、氾濫を繰り返す北上川が整備された後のことでした。
 被災地を豊かな実りの地に――石巻には不屈の歴史があります。その陰に〝本気の一人〟がいたのです。治水の名手と伝わる川村孫兵衛。20代で伊達政宗の家臣となった彼は、後に、あえて荒れ地に飛び込んで河川を改修し、美田に一変させました。その地域は後年、それまでの40倍の石高に発展するのです。  

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2014年10月21日

わずか2分

 「人民の、人民による、人民のための政治」とは、アメリカ第16代大統領リンカーンの不朽の名言です。これは1863年、南北戦争の激戦地ゲティスバーグで行った演説です。
 実は、その歴史的瞬間を収めた写真は一枚も残っていないそうです。その理由は、あまりに簡潔だったため、写真班がレンズの焦点を合わせる前に、演説が終わったからだと伝えられています。
 時間にして、わずか2分。冒頭の名言は、その結びの一言でした(本間長世著『リンカーン』中公新書)  

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2014年10月20日

画家ゴッホ

 画家ゴッホは活動の拠点をパリから南仏アルルに移した時、燦々と降り注ぐ陽光に魅了されました。「感覚は鋭くなり、手は機敏に、目は注意深く、そして頭脳はより明晰になる」(ロバート・ウオレス著、中原佑介監修『巨匠の世界 ファン・ゴッホ』)
 ゴッホの芸術的才能は泉のように噴出し、滞在15カ月で、『ひまわり』『はね橋』など、約200点の油絵と数十点の素描を描き上げました。傑作の数々は、光と色彩のエネルギーに満ちあふれています。アルルの太陽に導かれ、彼もまた、芸術の光となったのです。  

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2014年10月19日

一冊の本

 今月27日から「読書週間」が始まります(11月9日まで)。本を通して人類の英知の言葉に触れるひとときも大切ですね。
 ノート型パソコンや携帯音楽プレーヤーなど、今やHDD(ハードディスク駆動装置)の小型・大容量化に欠かせない垂直磁気記録方式。その記録方式を発明した東北工大の岩崎俊一理事長は、東北大電気通信研究所長、東北工大学長を歴任、垂直磁気記録の父と呼ばれています。
 岩崎氏は、この記録方式の発想をトルストイの大著『戦争と平和』における“ボロジノの戦い”の描写の中から得たといわれています。氏の弛まぬ研究・努力があればこそ世界的な技術革新につながったことは間違いありません。そのうえで、世界最高峰の文学作品に触れたことで発想のヒントがひらめいたことは、一冊の本が一人の人生を大きく変えた証左といえましょう。  

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2014年10月18日

アンパンマンの強さとは

 アンパンマンの作者、故・やなせたかしさんは詩人でもあり、多くの歌を作りました。アニメの主題歌「アンパンマンのマーチ」も自ら作詞。26年前の放送開始以来、子どもからお年寄りまで幅広く愛されてきています。
 この歌、実はテレビで流れているのは2番の歌詞で、1番はあまり知られていませんでした。その〝幻の1番〟が、東日本大震災の後、広く歌われるようになりました。
 ある日、被災地でラジオから流れたフルコーラスの〝アンパンマンの歌〟。1番は「そうだ うれしいんだ 生きる よろこび たとえ 胸の傷がいたんでも」と始まり、「なんのために 生まれて なにをして 生きるのか」と続きます。(JASRAC出1313066―301)
 やなせさんが〝世界最弱のヒーロー〟と呼んだアンパンマンの強さとは「傷つくことを恐れない強さ」です。何度も立ち上がる姿を歌った歌詞が被災者を勇気づけたのです。  

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2014年10月17日

対話の欠如

 自分が思ったことを、他者も同じように受け取るとは限りません。小さな意識の差が、やがて、いさかいに発展する場合もあります。史書『吾妻鏡』は、こんな出来事を伝えています。
 鎌倉・鶴岡若宮の社殿が棟上げし、源頼朝が大工の棟梁へ馬を贈りました。そして、馬を引く役を弟の源義経に命じました。だが源義経は「折悪しく下手を引く者がいない」と、自分と共に役を務めるのに適した者がいないと言ったそうです。(五味文彦・本郷和人編『現代語訳 吾妻鏡』吉川弘文館)。頼朝は義経が「役目が卑しいものだと思い、あれこれと言って渋っているのだろう」と激怒しました。
 〝自分は一般の御家人とは違う〟と、特別扱いを期待する義経。一方、頼朝には、同じ源氏でも主は自分であり、主従のけじめをつけるべきではないかとの思いがありました。2人のすれ違いは対立へ発展します。事を大きくした原因の一つは、対話の欠如にあります。  

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2014年10月16日

笠智衆

 この名前を知る人は少ないと思いますが、俳優の故・笠智衆氏がサインを頼まれた時の話です。快諾した氏は何の迷いもなく、「小津先生」と大きく書いた。そして、「の弟子。笠智衆」と続けたそうです。これは、サインの依頼主だった作家の久世光彦さんが自著『触れもせで』(講談社)に紹介しています。
 笠氏は、そう書くことで自分に誇りを持ち、自戒もしました。“私はカメラの前ではなく、師と仰ぐ小津安二郎監督の前で演じるのだ”と。常に師匠と一緒だ、との思いが名優の座を築き上げたのでしょう。  

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2014年10月15日

激しい非難

 「まもなくわたしは立ち去るだろう。だが後代への関心は残るだろう」(篠田一士訳)。これは歴史家トインビー博士の詩「世を去るにあたって」の一節です。
博士が苦悩に直面したのは壮年期でした。長男の死、前妻との離別、二男、三男との疎遠――精神分析医の治療さえ受けた50代の苦難を乗り越え、研究に精励したのです。
そして、1954年、大著『歴史の研究』全10巻が完結。しかし、文明中心から高等宗教中心へ、思考の重心が移った革新的史観に、激しい非難が渦巻いたのです。
 トインビー博士は30年におよぶ大仕事を終え、安どする間もなかった。激しい非難に負けないで7年後、博士は反論の著作を刊行しました。「私を攻撃した批判を直接私の手でいちいちとり上げて片づけたために、心理的にはかえってサッパリした」(『現代人の疑問』黒沢英二訳)。以来、「20世紀最高峰の歴史家」の名は不動になったのです。
  

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2014年10月14日

和製ライアン

 史上初めて時速100マイル(約161キロ)の壁を破った野球の剛速球投手といえば、元大リーグのノーラン・ライアン氏です。彼の奪三振5714、ノーヒットノーラン7度という記録は、今も世界一です。彼は、足を胸の高さまで上げる独特の投球法で球威を上げました。
 このフォームを継いでいるのがプロ野球・東京ヤクルトの小川泰弘投手です。人呼んで「和製ライアン」。彼がこの投球法を身につけたのは、創価大学時代にさかのぼります。負けが続き、スランプに直面していた時のことでした。「小さい体を最大限に生かすしかない」と、フォーム改造に挑戦。躍動的な半面、足腰に負担がかかる困難な投球法を、過酷な練習で自らのものとしたのです。  

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2014年10月13日

旅の醍醐味

 旅の足が汽車から電車に移り、急行、特急へと、速さも増していった時代。「目的地まで乗っていられる時間が短いのに、なんで余計に運賃を払うんだ」と食ってかかった客がいたそうです。
 JR東海が2027年開業を目指すリニア中央新幹線は東京・品川と名古屋を約40分で結び、区間の86%がトンネルです。駅弁でおなかを満たし、次は景色を堪能して……という人には「なんで余計に――」かもしれない。
 利便性は、心を豊かにさせる旅の醍醐味と引き換えということなのでしょうか。  

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2014年10月12日

深紅のじゅうたん

 愛知県半田市を流れる矢勝川の岸辺に、今年も彼岸花が鮮やかな〝深紅のじゅうたん〟を描いています。矢勝川の岸辺は今や全国有数の名所ですが、もとはただの荒れ地でした。〝故郷に美しい景色を広げ、残したい〟と、24年前、一人の市民が思い立ち、生い茂る雑草を抜き、球根を一つ一つ植え始めました。いつしか多くの市民が後に続きましたいた。かつての荒れ地には今、毎年200万本の〝悲願花〟が咲き乱れる〝深紅のじゅうたん〟となったのです。
 この矢勝川のほど近くに新美南吉記念館があります。名作「ごんぎつね」で知られる童話作家は今年、生誕101年を迎えました。珠玉の作品は今なお、親子に読み継がれています。その陰には、南吉が兄のように慕った児童文学者・巽聖歌の奮闘がありました。
 南吉は29歳で病死する直前、巽に作品の全てを託しました。志を受け継いだ巽は原稿のほか、日記や手紙の収集に奔走。〝南吉を後世に残す〟使命に燃え、死後22年を経て、南吉の全集を発刊することができました。その結果、昭和30年代以降、作品が広く知られることになったのです。
  

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