2014年10月04日
熊本城
熊本城の大きな特徴の一つが、加藤清正が近江国から連れてきた石工集団に造らせたとされる「武者返しの石垣」です。下部はゆるやかな傾斜ですが、上に向かうごとに急になる独特の造りとなっています。一見、裾は扇のように広がっているため容易に登れるように見えますが、上に行くほど反り返るため、現実には困難です。
清正公が約6年かけて建てた熊本城が〝難攻不落の名城〟であることが証明されたのは、築城270年を経た1877年の西南戦争の時でした。官軍が立てこもる熊本城を薩摩軍が3日にわたって総攻撃するも、一兵たりとも入ることができず、籠城戦は官軍の勝利で終わりました。薩摩軍を指揮した西郷隆盛が「わしは官軍に負けたのではない。清正公に負けたのだ」と語った話が伝わっています。
清正公が約6年かけて建てた熊本城が〝難攻不落の名城〟であることが証明されたのは、築城270年を経た1877年の西南戦争の時でした。官軍が立てこもる熊本城を薩摩軍が3日にわたって総攻撃するも、一兵たりとも入ることができず、籠城戦は官軍の勝利で終わりました。薩摩軍を指揮した西郷隆盛が「わしは官軍に負けたのではない。清正公に負けたのだ」と語った話が伝わっています。