2014年10月22日
本気の一人
宮城・石巻市の万石浦で、アサリ漁復活への取り組みが始まっています。
まずイカダ式の育成装置の中で、1㍉ほどの稚貝約100万個を管理します。そして東日本大震災で海の環境が変化したことから、稚貝を大切に育てる方針が取られ、環境に適応できる大きさまで育てられた後、放流されます。一つ一つの稚貝を強く、大きく育てようとする挑戦が、復興の希望へとつながります。
自然豊かな海と美しい水田が広がる石巻地域は、江戸時代、仙台藩を〝伊達百万石〟とうたわれる雄藩へ押し上げました。著しい発展をみたのは17世紀末の事です。1611年に発生した「慶長三陸地震」からの本格的な復興を目指す中、氾濫を繰り返す北上川が整備された後のことでした。
被災地を豊かな実りの地に――石巻には不屈の歴史があります。その陰に〝本気の一人〟がいたのです。治水の名手と伝わる川村孫兵衛。20代で伊達政宗の家臣となった彼は、後に、あえて荒れ地に飛び込んで河川を改修し、美田に一変させました。その地域は後年、それまでの40倍の石高に発展するのです。
まずイカダ式の育成装置の中で、1㍉ほどの稚貝約100万個を管理します。そして東日本大震災で海の環境が変化したことから、稚貝を大切に育てる方針が取られ、環境に適応できる大きさまで育てられた後、放流されます。一つ一つの稚貝を強く、大きく育てようとする挑戦が、復興の希望へとつながります。
自然豊かな海と美しい水田が広がる石巻地域は、江戸時代、仙台藩を〝伊達百万石〟とうたわれる雄藩へ押し上げました。著しい発展をみたのは17世紀末の事です。1611年に発生した「慶長三陸地震」からの本格的な復興を目指す中、氾濫を繰り返す北上川が整備された後のことでした。
被災地を豊かな実りの地に――石巻には不屈の歴史があります。その陰に〝本気の一人〟がいたのです。治水の名手と伝わる川村孫兵衛。20代で伊達政宗の家臣となった彼は、後に、あえて荒れ地に飛び込んで河川を改修し、美田に一変させました。その地域は後年、それまでの40倍の石高に発展するのです。