2019年01月14日

あの時の一言

 幼少の頃、内気な性格だった画家の東山魁夷氏は、部屋で絵本を見たり、絵を描いたりしていたそうです。そんな氏を外の世界に連れ出したのが幼稚園の先生でした。“黒板にチョークで描いた花やチョウ、犬などを褒められた時は本当にうれしかった”と氏は述懐しています(佐々木徹著『東山魁夷ものがたり』ビジョン企画出版社)
 中学校でも先生に油絵を褒められ、次第に画家を志すようになりました。父親の猛反対に遭い、先生に泣いて打ち明けると、「親孝行は親が生きている間だけのことではない」と。さらに先生は熱心に父親を説得してくれたそうです。
 周囲の“あの時の一言”がなければ、国民的画家は生まれなかったかもしれませんね。励ましは、時に人生を左右します。とりわけ若い頃に認められ、信頼された記憶は心に深く刻まれ、その人を力強く支えていくのです。
 「褒める」とは相手の長所を発見し、正しく評価する行為です。ピントの外れた褒め言葉は「お世辞」と見透かされます。褒める側の「目」も試されているのです。  

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2019年01月13日

気付きのアンテナ

 ある年の正月、日蓮大聖人は「さくら(桜)はをもしろき物・木の中よりさきいづ」(御書1492ページ)と手紙につづられました。ごつごつとした木の中からも、やがて美しい花が芽吹くではないかと。迫害の連続の人生にあって、森羅万象から希望を見いだされたのてす。
 「祈る」という行為は“気付きのアンテナ”を立てることでしょう。わが心の大地を耕し、日々、感謝の種をまき、幸せの芽を伸ばしていきたいものです。  

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2019年01月12日

広辞苑

 言語学者の大野晋氏によれば、新聞や雑誌で使われる単語は年間で約3万語。そのうちの半分が1年で1度しか使用されないという。だからといって、それらの言葉が不要なはずはなく、その時々に的確な語彙を使えるように修練を積むことが大切と、氏は自著『日本語練習帳』(岩波新書)で訴えています。
 昨年、「広辞苑」第7版が刊行されました。今回、新語として「東日本大震災」や甲状腺がんを防ぐ薬「ヨウ素剤」などが収録されました。「東日本大震災」の単語は何度も目にしましたが、「ヨウ素剤」は縁のない人もいるでしょう。それでも“生命に関わる”ことが考慮され、追加となったそうです。  

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2019年01月11日

ザンビア

 アフリカ南部のザンビア。ザンビアは1964年の東京五輪に「北ローデシア」として参加しました。その閉会式当日の10月24日、祖国の独立が実現。閉会式では新しい国旗を掲げて行進し、喝采を浴びました。
 創価学会の池田先生はこの出来事を述懐し、「その光景は、私の命に鮮烈に焼きついて離れません。『21世紀はアフリカの世紀なり』との祈りと大確信を、私はいやまして強めたことを、昨日のように思い起こします」と語り、同国の未来に大きな期待を寄せました。
 五輪は平和と友情の祭典。2020年へ向け、私も草の根から世界へ、友好対話を大きく広げたいものです。  

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2019年01月10日

長寿の秘訣

 長寿の秘訣には「お茶がらを食べる」「坂道ウオーキング」など地域ごとの特色があります。
 こうした食事や運動などとともに「生き方」も寿命に影響するそうです。1921年、スタンフォード大学のターマン教授は1500人の小学生の性格を分析。さらに、どんな人生を歩むか、研究チームが80年間にわたり追跡調査しました。その結果、長寿の人には共通点がありました。
 それは「社交ネットワークを広げている」こと。近所の方々のお世話をする、ボランティア活動をするなどです。「健康になって長生きもしたいと思っているのなら、まず社交ネットワーク作りに取り組むのがいちばん」(ハワード・S・フリードマン共著『長寿と性格』清流出版)  

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2019年01月09日

座右の銘

 アテネ五輪の男子ハンマー投げで金メダルに輝いた室伏広治氏。座右の銘は「目的と目標を定めて最短の軌道を描け」だそうです。「目的」と「目標」という言葉は似ていますが、氏は「別々のもの」と強調ししています。
 それを氏が改めて痛感した出来事が、アテネ五輪から7年後の2011年にありました。当時、36歳。“ピークは過ぎた”と自分でも思っていました。だが東日本大震災の被災地を訪れ、被災者を励ます中で、思わず「メダル宣言」をしたのです。2カ月後、氏は世界陸上に出場し金メダル、翌年のロンドン五輪では銅メダルを獲得しました。
 氏によれば、被災地に勇気を送りたいというのが「目的」、メダルを獲得するのは「目標」に当たる。もし、メダルを「目的」にしていたら、結果は違っていただろうと振り返っています。「『だれかのために』という思いがあるほうが、より強いエネルギーを得られる」と。(『ゾーンの入り方』集英社新書)  

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2019年01月08日

舌耕

 俳優の小沢昭一さんは「舌耕」という言葉を好んで使いました。これは講談や演説など、弁舌をなりわいとすることを指す言葉です。
 「舌で 耕す。どこを耕すのかと申しますと、人の心を耕すんであります」と小沢さんは語りました。田畑を丹念に耕すように、毎日毎日、言葉で人の心をこつこつとほぐしていく。「その積み重ねの中で、いつかきっと花が咲いて実もなる」(『話にさく花』文春文庫)
▼ 「以心伝心」とよく言いますが、実際は、言葉に表さなければ、本当に思いが伝わっているかどうかは分からないものです。親しい家族の間でさえ、そうである。改まる必要はないが、普段からさりげなく、思いを伝える努力を重ねたいものです。それが小沢さんの言う「耕す」ということでしょう。  

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2019年01月07日

傍観者から主体者

 私も知らなかったのですが、江戸時代中期、信州松代藩の家老として活躍した恩田木工がいました。当時、藩は深刻な財政難に陥っていたそうです。その中で彼は、抜本的な改革へ陣頭指揮を執り、見事に藩をよみがえらせました。
 まず彼が行ったのは、厳しい財政状況を全ての藩士に包み隠さず伝え、協力を求めることでした。と同時に、決してひとごととは考えないよう訴えた上、改革に同意し、藩のために行動するという誓書を、藩士はもとより藩主や一族からも取りつけたのです(童門冬二『名家老列伝』)
 何をするにせよ、“ひとごと”と思えば力は湧きません。“自分の問題”と捉えればこそ、知恵や力が生まれ、活路も開けるのです。改革が成功した要因の一つは、“傍観者から主体者へ”という一人一人の意識の転換にあったともいえましょう。  

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2019年01月06日

今年も良いことがますます重なってほしい

 万葉集に大伴家持が詠んだ歌があります。
 「新しき年の始の初春の今日ふる雪のいや重け吉事」。〝新春のきょうの雪が降り積むように、今年も良いことがますます重なってほしい〟との願いに、古今、変わりはないですね。  

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2019年01月05日

物事は捉え方によって

 こんな風景を見られるのは貴重です。元日の公園で、幼い兄弟がたこ揚げに興じていました。兄が糸を引くたび、たこがぐんぐんと天空を昇る光景に、ある詩の一節が思い浮かびました。「地上におれを縛りつける手があるから/おれは地球を吊りあげてゐる」(大岡信『故郷の水へのメッセージ』から「凧の思想」)
 “糸に操られてなどいない。むしろ、地球を引っ張り上げているのだ”――たこの気持ちを代弁するような言葉に胸がすきますね。物事は捉え方によって、いかようにも価値を生み出せるのだ、と大空を舞う雄姿に思いました。  

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2019年01月04日

駅伝の誕生

 駅伝の誕生は1917年、箱根駅伝が始まる3年前の事です。首都が東京に移されて半世紀となる慶祝行事として、京都から東京を目指す全23区の競走でした。この時の走者の一人が、後に箱根駅伝を創設する金栗四三がいます。
 金栗は日本が五輪に初めて代表を送ったストックホルム大会(1912年)にマラソン選手で出場しました。だが途中棄権という無念の結果に終ったのです。彼は日記に悔しさを記しつつ、こう続けました。「しかれども失敗は成功の基にして、また他日その恥をすすぐの時あるべく、雨降って地固まるの日を待つのみ」と(読売新聞運動部『箱根駅伝』中公新書ラクレ)。
 この経験が箱根駅伝を生み出し、日本長距離界の礎を築いたのです。6日からのNHKの大河で詳しく知ることができるでしょう。  

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2019年01月03日

朝”に、特別な思いを込める

 心新たな一年を迎えました。まだ新雪のように清く、真っ白な一月一月、一日一日に、どのような自分史を書き綴っていくか――冴えわたる元旦の空気を浴びて、決意した人も多いことでしょう。
 ことわざに「一日の計は朝にあり、一年の計は元旦(元日の朝)にあり」とあのます。「朝」の字は、「十」の「日」、「十」の「月」とも書ける。十をもって「数の全体、完全、すべて」(『字通』)を表すことを思い合わせれば、一年全ての起点となる“朝”に、特別な思いを込めるのは、やはり大切なことです。  

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2019年01月02日

次に進む一歩が始まっているのです

 時計を見て、考えました。“午後11時59分59秒の1秒後は……”。その瞬間は、一日の総決算であり、新たな一日の始まりでもあるのです。瞬間瞬間に、過去の結果が表れ、未来の因が築かれるという冷厳なる事実が凝縮されています。
 ゲーテの至言に「いつかは終局に達するというような歩き方では駄目だ。その一歩々々が終局であり、一歩が一歩としての価値を持たなくてはならない」(亀尾英四郎訳。現代表記に改めた)とあります。実際、右足で大地を踏みしめた時、左足のかかとは浮いています。一歩を刻んだと同時に、次に進む一歩が始まっているのです。  

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2019年01月01日

新年を出発していこう

 歴史家のトインビー博士は、研究と二つの世界大戦の経験から、人類意識、宇宙の生命の一部という自覚を培う世界宗教が必要との考えに至りました。東洋の仏教に注目し、その生きている運動体として、創価学会を見いだしたのです。
 博士は小説『人間革命』第1巻の英語版に一文を寄せています。「創価学会は、既に世界的出来事である」と。私たちの一日一日の行動は、日本の平和の基盤をつくり、人類融合の未来を準備しています。その誇りと使命をもって新年を出発していこう。  

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2018年12月31日

一年の総仕上げを飾りたいものです

 日蓮大聖人の御手紙は、佐渡流罪以前に執筆されたものは比較的少ないようです。それは、鎌倉周辺で直接、門下に会われたり、静岡・千葉方面にも自在に足を運ばれ、直接、指導されることが多かったからとされます。「委細は見参の時」(御書1390ページ)との御文もあります。
 会って励ます。それが難しければ、心を砕いて文字にしたためる。そうして、二重三重に“言葉を形にする”のが大聖人であられた。
 年末年始へ、旧交を温める機会も多くなります。家族や近隣の友にも、日ごろの感謝を伝える好機です。心の絆を強め、広げて、一年の総仕上げを飾りたいものです。  

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2018年12月30日

雰囲気を和ませた

 吉田松陰は、大情熱で維新の英傑たちを薫育したことで知られますが、ユーモラスな一面もあったようです。
 例えば、松下村塾の増築工事を行った時のこと。塾生の品川弥二郎が、はしごの上から誤って壁土を落とした。それが松陰の顔に当たった。恐縮する弥二郎に対し、一言。「弥二よ、師の顔にあまり泥を塗るものではない」。時に議論が白熱する松下村塾にあって、しゃれや冗談をひねる松陰の人柄が、雰囲気を和ませた(一坂太郎著『時代を拓いた師弟』)  

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2018年12月29日

努力を継続できる

 中国の春秋時代。斉の国の宰相・晏嬰(晏子)は、博学多識にして、民の心を汲んだ政治を貫き、名声を馳せました。
 彼の本領はどこにあったのか。自らこう語っています。「嬰は人に異ることあるにあらざるなり、常になして置かず、常に行きて休まざる者なり」(山田啄解説『晏子春秋』明徳出版社)。自分は人と変わったところはない。あるとすれば、何事も中途半端にせず、進み続けて休まなかっただけだと。
 努力を継続できる。平凡に見えて、これほど強い生き方はない。  

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2018年12月28日

不易流行

 松尾芭蕉の俳諧理念に「不易流行」があります。「不易」は時代を超えても変わらないもの、「流行」はその時々に応じて変化していくもの。この二つは相反する概念のように思えるが、芭蕉は、根本は一つであると考えました。
 弟子の向井去来が、芭蕉の俳諧の心構えを『去来抄』にまとめています。そこに「不易を知らざれば基たちがたく、流行を知らざれば風新たならず」とあります。すなわち、普遍的な真理を知らなければ基礎は築けない。しかし基本を知っていても、時代の変化を知り、革新していかなければ進歩はない、と。芭蕉は常に新しさを求めて不断に変化する中で、不変の“永遠性”は確立されると提唱したのです。  

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2018年12月27日

人は歌に託したいのだろう

 言葉では語り尽くせない一年の思いを、人は歌に託したいのだろう。第九の演奏会、紅白歌合戦など、年の瀬には音楽が欠かせませんね。
 津波や原発事故の影響に苦しんだ創価学会の福島旭日〈分県〉に壮年部・福光銀河合唱団が誕生したのは、震災翌年のことでした。言うに言えないつらさを抱えた日常を忘れ、時には大きな声を出して元気になろう。これが結成のきっかけだったそうです。
 だが合唱は、予想以上の感動をもたらしてくれた。「仲間と共に歌うこと、歌を聞いてくれる人がいることが、こんなにうれしいとは」と当時の団長。喜びは広がり、婦人部・女子部に福光春風合唱団、男子部に福光若獅子合唱団が次々と結成されたのです。すごいねー!!  

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2018年12月26日

横山大観

 今年は、日本画の巨匠・横山大観の生誕150周年です。富士山の名画を数多く残した彼には、大山に吹き荒れる雪嵐のような日々があったそうです。
 東京美術学校(当時)への赴任中、恩師・岡倉天心が讒言により排斥されました。義憤に燃えた大観は師を追って辞職し、天心が創立した日本美術院に参加しました。しかし、院は財政難に。離れていく者も続出したのです。やむなく院は茨城の五浦に移動。世間から「都落ち」と嘲笑されました。
 その中で大観は、輪郭線を描かず色をぼかして重ねる手法「朦朧体」を確立しました。だが猛烈な批判を浴びたのです。その為、絵は全く売れませんでした。魚を釣って飢えをしのいだそうです。家も焼失。肉親や親友が相次いで他界し、恩師・天心も亡くなりました。それでも大観は芸術への情熱を燃やし続け、作品を次々と発表しました。徐々に評価は高まり、画壇の重鎮と仰がれるようになったのです。  

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