2017年05月26日

“あれは私が作った”と誇りにする作品

 名作と呼ばれる映画のタイトルを並べては、「あ、あれ俺の作品」「あの作品も俺」と、誇らしげに言う人がいました。声の主は、舞台セットで使う木を用意した植木職人でした。
 それを聞いた脚本家の山田太一さんは感動し、「自分の作品もいつかこの植木屋さんの自慢の一つになりたい」と願ったそうです(『その時あの時の今』河出書房新社)。
 原作者や脚本家だけでなく、役者やスタッフ、さらに裏方の人までが、“あれは私が作った”と誇りにする作品は、名作に違いありません。  

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2017年05月25日

一斗缶に入った小豆

 昭和の名作曲家・古関裕而氏。その名を知らなくても、氏、作曲の高校野球の夏の大会歌「栄冠は君に輝く」を知る人は多い事でしょう。軽やかなリズムで歌うと、聴く人の顔も明るくなっていきます。
 古関氏は国民的な楽曲を世に送る一方、校歌も数多く手掛けました。ある時、氏のもとに、北海道の小学校の校長から校歌の作曲依頼が届いきました。手紙には、小さな学校ゆえ予算が足りず、満足な御礼はできないが、思い切って連絡しました――と綴られていたそうです。氏は熱意に応え、無償で曲を作くりました。
 後日、氏の自宅に一斗缶に入った小豆が届いきました。この小豆は校歌の御礼にと、児童たちが家から一握りずつ持ち寄ったものでした。真心の詰まった御礼に、氏は胸を熱くしました。  

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2017年05月24日

五月病

 新年度が始まって、もうすぐ2カ月です。「五月病」という言葉があるように、社会人1年生が、環境の変化に悩みやすい時期でもあります。
 ある意識調査によると、新入社員が会社に望む要件は、多い順に「良好な人間関係」「自分の能力の発揮・向上ができること」。これは10年以上、変わらない傾向であるとの解説もあります。給料などの条件以上に、「心の充実」が働きがいになっている表れでしょう。納得。  

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2017年05月23日

自分の生きる力も奪っていく

 ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を生き残った中の82%の人が、収容所で餓死寸前という絶望的な状況でも、わずかな食料を分け合うなどして、周囲を助けたいと思っていました。『スタンフォードのストレスを力に変える教科書』(大和書房)に載った話です。
 著者で、米スタンフォード大学の心理学者ケリー・マクゴニガル氏は記しています。「あなたがなにかで無力感をおぼえたときに、周りの人の役に立つことを自分から進んで行えば、やる気を失わずに、楽観的でいることができます」(神崎朗子訳)  現代は「無縁社会」といわれて久しい。誰とも口を利かない。困っている人も見て見ぬふり。そんな無関心の態度は、周りだけでなく、自分の生きる力も奪っていくのです。  

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2017年05月22日

気品にあふれるのはなぜか

 漆器に施した金箔の輝きが、気品にあふれるのはなぜか。その訳を漆塗り職人が語っています。
 「あれは『白檀塗り』という技法で、金の上に、もう一度、漆を薄く塗るんです」と。仕上がった時の表面は黒い。それが3年、5年とたつうち、漆が透けて、下の金箔が、単なる華やかな輝き以上の、奥深い光沢を放つという。
 本来、金は光ろうとし、漆は輝きを抑えようとする。「金そのものだけでは出せない、いわば、漆があってこその『金色』ともいえるでしょう」と。納得  

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2017年05月21日

秘めた力

 ある小学校の参観日でのエピソードです。低学年の理科の授業で、花の写真を見て感じたことを発表していました。ある児童が発言しました。「大切なものを両手で包むように花びらたちは並びました。そして、浴びた太陽の光を真ん中に集めるように、まあるく膨らんで咲きました」と。
 理科の解答としてはすこしピントがずれているようです。だが、そういう理屈を超えた感性のきらめきに、親たちのどよめきが起きました。大人はすり減らしてしまった、純粋でいちずな子どもたちの心。そこに秘めた力は計り知れないと思ったからでしょう。  

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2017年05月20日

人材はどこにでもいる

 肥後の「鳳凰(ほうおう)」とうたわれたのは熊本藩主・細川重賢です。彼は画期的な財政改革を成し遂げ、米沢の鷹山(上杉治憲)、紀州の麒麟(きりん)(徳川治貞)らと共に、江戸中期屈指の名君とされています。
 重賢の改革は「隗(かい)より始めよ」との格言を合言葉に進められましたた。「隗(かい)より始めよ」とは中国の戦国時代、人材を求める燕の王に対し、郭隗(かくかい)が“まず私のような凡庸な者を用いれば、これを伝え聞いた優秀な人材が、自然と集まるでしょう”と語った故事にちなんだ言葉です。
 重賢の評伝を読むと、この名言について、重賢の側近が「真意は、むしろ逆のように思われまする」と言っています。「人材はいつ、いかなるところにも、実はいるということです。要は、それを見出す人物、登用する者が、あるかないかにかかっているだけのこと……」(加来耕三著『非常の才』講談社)。それぞれの長所を生かした人材登用から、改革は大きく動きだしたのです。  

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2017年05月19日

てい談で紹介したエピソード

 手渡された飛行機のチケットに記された年齢が、随分と大きい数なので、「失礼じゃない。これ間違ってない?」と言うと、「恐れ入りますが……」となだめられた。勘違いしたのは自分のほうだった。これは、女優の岡田茉莉子さんが、聖教新聞のてい談で紹介したエピソードです。
 自分の年齢を忘れるほど、熱中できるものを持つ人は若々しい。「あっという間に年月がたってしまった」と話す人も多い。それは、一瞬一瞬を大切に生きている証しでもあろう。
 一方で岡田さんは、てい談で、こうも語りました。「年齢を重ねなければできないことって、世の中にいっぱいありますもの」「百歳になって八十歳ぐらいのおばあさんの役ができたら最高ですね」。そこには精進を重ねる人ならではの、心の若々しさと円熟がありました。  

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2017年05月18日

慶長遣欧使節団

 仙台藩主・伊達政宗が派遣した「慶長遣欧使節団」がフィレンツェを訪れて401年。支倉常長らの使節団を乗せた船が、現在の石巻市を出航したのは1613年。慶長大津波が東北を襲った2年後でした。
 一行は、故郷の復興を願いつつ、命懸けで、7年の間に太平洋を2度往復し、スペイン国王やローマ教皇と謁見しました。だが、やがて日本は鎖国へ。交渉は実らず、壮挙は歴史の波間に埋もれてしまったのです。
 それが再び、日の目を見たのは幕末でした。岩倉具視を正使とする使節団が1873年、ベネチアの公文書館で、支倉が署名した書簡2通を観覧する。「堂々たる使節として処遇され、帰国した」と聞かされ、2世紀も前の東北人の奮闘に驚嘆したのです。支倉らの努力は、かの国の人々に鮮烈に刻まれていたのです。  

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2017年05月17日

師弟

 日本を代表する磁器の有田焼。初代酒井田柿右衛門が色絵磁器を完成させて以来、15代まで伝統を継ぎ、美を昇華し続けるのが、柿右衛門窯です。
 人間国宝の14代柿右衛門は生前、13代の父との逸話を語っています。若き日に出品した展覧会。父が自分の作品を見て、「あれは駄目だ。出すと恥をかくぞ」と職人に言う。職人が「止めたらどうですか」と返すと、父は「出させろ」と。
 「作品を世の中に出すということは、自分の生き方を大衆の面前にさらしていくということ」を父は教えようとしたのだ。父は、親というより師匠でした。「師弟という仕組みにはまって初めて人間の生活や文化は、生き続いているわけですし、それをいい形で未来へ残していきたいですね」と14代は語っています。  

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2017年05月16日

実感としてつかむ

 小さな町で1校しかない中学校の吹奏楽部を、全国屈指の楽団に成長させた教師の話です。3年間で部員が入れ替わる楽団で実力を維持するには「何のために演奏するのか」という「目的」が欠かせないといっています。
 楽団は大規模なステージより、町内の小さな催しへの出演を優先したそうです。〝「町の宝」と大切にしてくれる皆に、音楽の素晴らしさを届けたい〟と。生徒が音楽の喜びを実感としてつかみ、それが自然に表れるからこそ、コンクールの「結果」も伴うのだろうと語っています。  

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2017年05月15日

「棲み分け」と呼ばれる生存戦略

 道端に、タンポポなど、いろんな種類の雑草がみられる季節です。観察すると、生える場所は草花ごとに細かく分かれ、一つの場所には一つの品種が、集中的に茂っていました。
 自然界のおきては「適者生存」。「ナンバーワン」しか生きられない――これは、生物学で「ガウゼの法則」と呼ばれますが、ではなぜ、道のあちこちに、一つの品種だけではなく違う花が咲くのか。それが「棲み分け」と呼ばれる生存戦略であるそうです。「すべての生物がナンバー1になれる場所を持っている」(稲垣栄洋著『植物はなぜ動かないのか』筑摩書房)のであり、序列があるわけではないのだそうです。
 人間の生命にも、優劣はない。個性があるだけです。その個性に応じて、必ず輝ける場所があります。それを見つけ、可能性を最大に発揮していける人生は幸福です。  

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2017年05月14日

一寸法師の話

 一寸法師の話です。姫を守ろうと戦い、鬼に食べられてしまう一寸法師。だが、鬼の腹の中でも諦めず、針の刀で突き続けると、鬼は悲鳴を上げて逃げ出した。残ったのは、何でも願いがかなう「打ち出の小づち」でした。
 一寸法師は、劣等感に苦しみ、自分のことをちっぽけな存在と思っている人。鬼はそんな自分にのしかかる現実。打ち出の小づちは、劣等感に打ち勝った強い心だそうです。  

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2017年05月13日

荒城の月

 心結ばれた関係にありながら、対面していなかった2人が、初めて会ったのは異国のロンドンでした。この2人とは「荒城の月」を作詞した土井晩翠と、曲を付けた滝廉太郎です。
 廉太郎は将来を嘱望され、ドイツの音楽学校に留学しましたが、病を患い、失意の帰国の途中でした。名曲を世に送った仲だけに、晩翠は、意気消沈する廉太郎を心から励ましました(西原康著『滝廉太郎』潮出版社)
 同曲を構想する際、晩翠は故郷・仙台の青葉城址や福島の若松城(鶴ケ城)などを、廉太郎は子ども時代を過ごした大分・竹田の岡城址を思い浮かべたという。共に自身を育んでくれた地の情景から創作し、それが融合して、不朽の楽曲は生まれたのです。  

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2017年05月12日

ミレー

 フランスの画家ミレー。ミレーは、パリの南約60㌔のバルビゾン村に住み、農民の日常の暮らしなどを描きました。「落穂拾い」や「種をまく人」などの作品が有名です。
 ミレーの農民の素朴さを丹念に描く画題を、しかし当時の美術界の権威だったサロン・ド・パリ(官展)は野蛮と評しました。そんななか、ミレーは「我々は、いかなる所から出発しても、崇高に至ることができるし、目標が大きければ、うまく表現することができる」(『ミレーの生涯』井出洋一郎監訳)と、農村を描く誇りを持ち続けたのです。  

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2017年05月11日

摩天楼

 アメリカ中西部に位置するシカゴは、内陸の交通の要衝として発展したアメリカ第3の都市です。私は行ったことがありませんが、訪れると印象的なのは、天を突く高層ビルの威容だそうです。
 1871年、3日間に及んだ大火事は街に甚大な被害をもたらし、1万7000もの建物を焼き払いました。だが再建は早かった。建築家たちが次々と集い、焼け跡の中から、世界に先駆けて「摩天楼」と称される高層ビル群が生まれていったのです。  

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2017年05月10日

心の労作業

 通信販売会社「アマゾン」を創設したジェフ・ベゾス氏が、10歳のころ、大好きだった祖父母と旅をしていました。暇を持て余すベゾス少年は、当時、よく耳にした公共広告を思い出した。たばこを一服吸うごとに、何分寿命が縮まるかという内容でした。
 祖母は、たばこを吸う人でした。少年は計算して、得意げに、祖母の寿命が9年短くなるはずだと告げました。祖母は泣きだしました。がんと闘い、余命が長くなかったのです。
 祖父は車を止め、少年を外へ誘いました。叱られると思いきや、祖父は優しく語り掛けました。「ジェフ、賢くあるより優しくあるほうが難しいといつかわかる日が来るよ」(ブラッド・ストーン著、井口耕二訳『ジェフ・ベゾス 果てなき野望』日経BP社)
 人を悲しませることは、たやすい。何の配慮もなく、思いつきや感情を、そのまま語っていればいい。しかし、人を安心させ、幸せにするには、”心の労作業”がいります。それが本当の「賢さ」でしょう。  

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2017年05月09日

方法の一つが

 芥川龍之介が、関東大震災で焼けた東京・丸の内を歩いていました。すると、少年の歌う「ケンタッキーのわが家」が聞こえてきたそうです。「僕を捉へてゐた否定の精神を打ち破つた」と、芥川は、その時の真情を記した(『芥川龍之介全集4』筑摩書房)
 人間は、自然の猛威の前には無力だが、そこに甘んじてはいない。「人間の尊厳」を取り戻し、希望を創り出す力を持っている。その方法の一つが「音楽」でしょう。  

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2017年05月08日

団結は号令で生まれるものではない

 ある著名なドキュメンタリー写真家が生前、語っていました。1966年(昭和41年)、甲子園球場で開かれた、関西創価学会の「雨の文化祭」に招かれた思い出ですと。
 豪雨で、プログラムは途中休止を余儀なくされた。「なんとも、重苦しい雰囲気」が広がっていた。スタンドのざわめきがひどい。「学会って、もっと統制が取れた団体で、こういうとき、しわぶき一つないかと思っていた」と。
 しかし「ざわめき」のなか、カメラを構える。冷静になった耳に「ざわめき」の「正体」が聞こえてきました。一人一人が題目を唱えている。誰かの号令ではない。口々に上げている。だから、ばらばらに聞こえたのだ。〝ばらばら〟は自発の故だった。やがて題目は自然に一つになり、厚い雲を突き破るかに思えた。そして、西空から晴れ間がのぞいたのです。
 写真家は泣けて仕方がなかったという。「豪雨を止めた奇跡が起こった」からではない。命令ではなく、一人一人が自分の思いから唱題する姿。それが、やがて一つになった瞬間。その一部始終を目撃したからだと、いつも目を潤ませながら語っていました。
 団結は号令で生まれるものではない。一人一人の自発の思い、決意、誓い。それを引き出した一対一の励まし。そこに創価学会の強さがあるのです。  

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2017年05月07日

福沢諭吉による訳語

 「演説」という言葉は、福沢諭吉による訳語です。「演説とは英語にて『スピイチ』と言い(中略)我思うところを人に伝うるの法」(『学問のすゝめ』岩波文庫)と解説しています。
学問を習得しても、大衆のために語らない。インテリ然と、ふんぞり返っているだけ。そんな手合いに、諭吉は「活用なき学問は無学に等し」「懶惰と言うべし」(同)と手厳しかった。やがて、自身が創立した慶応義塾のキャンパスに「三田演説館」を建設。ここで、尾崎行雄や犬養毅など、多くの言論の雄を訓育したのです。
  

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