2017年09月19日

全国学力テスト

 大阪大学大学院教授の志水宏吉氏(教育学博士)が、昭和と平成に実施された全国学力テストの結果を分析しています。
 学力の差は、かつては「都鄙格差」に由来しました。端的に言えば、都会の子の学力は田舎の子よりも高く、都市の経済・文化的水準の高さが密接に関連していたのです。
 一方、平成のテスト結果からは“子どもと家庭や近隣社会、学校とのつながりが豊かな地域では、概して学力が高い”との仮説が浮かび上がったそうです。格差克服の手だてとして、氏は、地域あげての「つながりの再構築」を提唱しています(『「つながり格差」が学力格差を生む』亜紀書房)  

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2017年09月18日

庶民の知恵

 道頓堀にあるグリコの看板は、大阪の定番の観光スポットです。この看板が設置されたのは1935年(昭和10年)のこと。現在は6代目で、14万個のLED照明が、夜の街を明るく照らしています。
 この看板のネオンが、実は51年前のきょう、阪神甲子園球場で行われた創価学会の“雨の関西文化祭”に一役買いました。この文化祭の演目の一つに、2万2000人の「動く人文字」がありました。だが当初、秒単位での変化がうまくいかず、担当者らは悩んだそうです。
 ある日、責任者の一人が、道頓堀川を流れる一本の竹ぼうきを見ました。その動きに合わせるかのように、川面に映るグリコのネオンの動きも変わりました。“これや!”。棒を持った役員が走り、目の前を通過するタイミングで各自が板をめくることで、動く人文字が可能となったのです。
 「一本の棒」という素朴な方法で難題を解決したところが、“庶民の都”らしいですね。文化祭が「常勝関西の金字塔」となったのは、どんな苦難をも勝ち越える不屈の魂に加えて、自在に発揮された庶民の知恵があったからです。  

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2017年09月17日

使っても減ることがない

 アメリカ・ボストン近郊のケンブリッジにある同大学の人気スポットは、ジョン・ハーバード像です。理由は“銅像のつま先に触れれば幸運が訪れるから”。学問や将来の成功を思い描いて、手を置く人が絶えないそうです。
 「頭の良くなる薬はありませんか」。創価学会の池田SGI会長がユーモアを交えて、ノーベル化学・平和賞受賞者のポーリング博士に聞きました。博士は「自分で努力するしかないでしょう」。人生は挑戦の連続。楽して得をするより、努力できる自分を築くことが財産になる。しかもその財産は、使っても減ることがない。「苦労して鍛えられた頭脳や人格は光り輝く」と池田SGI会長は語っています。  

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2017年09月16日

渋沢栄一

 「日本の資本主義の父」といわれた渋沢栄一が残した言葉の一つに「何もせずに暮らすは一つの罪悪である」とあります。玄孫に当たる渋澤健氏は「事なかれ主義の生活で満足することは自分中心で、実は自分たちの生活が、いかに経済社会の活動で支えられているか、という視点が欠けています」と解釈しています(『渋沢栄一 100の金言』日経ビジネス人文庫)。
 渋沢栄一は自ら行動を起こそうとしない態度は、社会への忘恩に通じると手厳しい。人間は一人では生きられない。社会的生き物であり、周囲との良好な関係の中に、幸福を見いだす存在である。そのことを考えれば、恩を感じ、恩に報いることは、単なる道徳でなく、人間の実存、生の本質と深く関わっていることが分かります。  

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2017年09月15日

秋の季語

 雨が降り、夏の空気を洗うごとに、秋の気配が深まっています。稲刈りは、早生の収穫が終わり、季節と歩みを合わせて、中稲、晩稲の刈り取りへと続いていっています。
 刈り終わった稲株に目をやると、いつのまにか新たな稲が生えています。これを「ひつじ(穭・稲孫)」と言い、古今集にも歌われ、秋の季語でもあるそうです。枯れた田になお、「ひつじ」の緑を生み出す自然の力を思います。  

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2017年09月14日

守ることの難しさに

 中国の古典『貞観政要』に「創業は易く守成は難し」とあるように、古今東西、事業を継ぎ、守ることの難しさに変わりはありません。
 大和ハウス工業の樋口武男会長の話。有利子負債1400億円を超すグループ会社の再建を命じられるなど、創業者・石橋信夫氏から何度も試練を与えられ、鍛えられた。そうした薫陶への感謝を、氏は繰り返しました。
 石橋氏の人材育成の哲学は「大きい大根を間引きする」ことだったと、樋口会長は綴っています。大きい大根を抜けば、か細い大根に栄養が回り、育ち始める。大きい大根は、あえて開墾していない、やせた土地に植え替える。それでも、再び力強く育っていくという考えです。(日本経済新聞の連載「私の履歴書」)  

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2017年09月13日

人は“いざ”という時

 人は“いざ”という時、心一つに試練に立ち向かいつつ、他者のためにも尽くせる、“善なる力”を備えています。阪神・淡路大震災では、ボランティアの存在が注目され、東日本大震災では、どんな災害にもくじけず、立ち上がる、人間と社会の「レジリエンス」(回復力、抵抗力)の大切さが注目されました。

 自然の持つ巨大な破壊力の前に、「一人」では無力かもしれないが、支え合いの心を結集することで、未来を創造していける人間の強さを再発見したのです。

  

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2017年09月12日

人に前進する勇気

 近代五輪の父クーベルタンは「世界じゅうの若者たちに友好と博愛の精神に包まれた出会いの場を」(柴田元幸・菅原克也訳)と語りました。五輪の歴史は201年。2度の世界大戦による中止、東西冷戦によるボイコットの応酬などの危機を越え、平和の祭典へと発展しました。
 創価学会の池田SGI会長が各国の駐日大使と会談する際、アジア初となった前回の東京五輪も、しばしば話題になったそうです。モンゴル大使が日本に目を向けたのは、体操選手として東京五輪に参加した中学の先生が、当時、国交のなかった日本について興味深い話をしてくれたからです。
 ポーランド大使は大学で日本史や日本文学を学び、卒業したのが東京五輪の年。海外渡航など夢のまた夢で、友人と「飛行機が無理なら、自転車で日本へ行こうか」と冗談まじりに話したと振り返りました。五輪は、若い心に橋を架ける力を持っています。
 東京五輪の閉会式。その日、英領から独立したばかりのアフリカ・ザンビア共和国の旗が入場するや大拍手が。小説『新・人間革命』に描かれた友情の一こまが綴られています。
 日本には2020年という目標ができました。目標があるということ自体、人に前進する勇気を与えてくれるのです。  

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2017年09月11日

中間管理職

 上司に叱られ、部下からも責められる。中間管理職には、とかく悲哀のイメージが付きまといます。成果や責任があいまいになりがちなのも、「中間」の立場の特性といえるでしょう。
 いつの時代も、多くの中間リーダーは、自分のポストに応じて責任を取ります。この事実を踏まえ、作家の童門冬二氏は、豊臣秀吉の責任感について綴っています。秀吉は「分権というのは、トップの権限の一部を、ひとかけらとして受け止めたことなのだ。したがって、そのかけらについてはトップと同じ責任がある」と捉えていた、と(『名補佐役の条件』)
 どんな立場であっても、主君と同じ責任感をもって物事に取り組んできたからこそ、武将として戦果を挙げ、果ては天下人にまで上り詰めたのでしょう。  

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2017年09月10日

蘭学と英語

 体調を崩したので寝ようと思い、枕を探すが見当たらない。その時、もう1年近く枕で寝ていないことに、はたと気付く。若き日の福沢諭吉である。諭吉は蘭学の勉強に熱中し、床で寝ていたのです。
 福沢はある日、横浜の外国人居留地に出掛けました。街の看板を見ても分からない。聞くと、それは英語でした。諭吉は時代は今や英語だと思い知ったそうです。あれほど蘭学を猛勉強したことが役に立たない。諭吉の落胆は大きかったはずだが、学問の情熱を一層燃やし、翌日から英語の勉強を始めたことは有名な逸話です。
 「情熱」を表す英語の「パッション」には「受難」の意味もあります。先のエピソードを通して脳科学者の茂木健一郎氏は「情熱とは苦労することから生まれる」と記した(「何のために『学ぶ』のか」ちくまプリマー新書) 納得!!  

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2017年09月09日

大事を成すには

〝人が変われば、会社は変わる〟――経営コンサルタントで実業家の大久保恒夫氏は語っています。彼は、かつて業績不振に陥っていたユニクロ、無印良品等を再建させた立役者です。その経営手腕に注目が集まるのは当然です。
 企業は、利益を生み出すために存在します。業績の数字に注目するのは当然ですが、氏は数字よりも「小売業の仕事はお客さまに喜んでいただくこと」だと訴えています。
 その基本は、気持ちの良い「あいさつ」。現場を支える従業員の誠実な姿と行動で顧客に満足してもらい、喜んでもらう。それが店舗への好感となり、やがて成果もついてくると大久保氏は考える(『すべては人なんだ』商業界)
 難事業を目の前にすると、全てを変えなければ、と焦り、結局、全てが中途半端になる場合があります。大事を成すには、基本に徹し、身の回りの小事から変えていくこと――氏の実践は、それを教えています。  

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2017年09月08日

第1候補は京都に決定

 原爆をどこに落とすか。事前にアメリカで「標的委員会」が開かれたそうです。18都市から京都、広島、横浜、小倉、新潟に絞られました。第1候補は京都に決定。これ に猛反対したのがスティムソン陸軍長官でした。
 古都の文化的価値も考慮には入れたが、彼には別の思惑がありました。「京都に原爆を投下すれば全世界がアメリ カの行動をヒトラーの暴虐と同等であると非難するであろう」。近刊の『暗闘――スターリン、トルーマンと日本降伏』(中公文庫)に詳しいので関心のある人は一読を。
 著者の長谷川毅 氏はワシントン大学で博士号を取得し、米国市民権を持ちますが、「他の都市に投下することも暴虐行為であることには思い及ばなかった」と手厳しく述べています。   

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2017年09月07日

新時代の夜明けを開いた

 「西の小京都」と称される山口・萩市。道の駅「萩往還」には、幕末の思想家・吉田松陰を中心に、高杉晋作、久坂玄瑞ら門下生の銅像群が立ち並んでいます。
 今年は松陰没後158年。刑死の前日につづられたのが、遺言の書「留魂録」である。死を覚悟した松陰は、「頼むぞ、心の底から頼むぞ」と、後事を弟子に託す言葉を紡ぎ続けた(奈良本辰也著『吉田松陰著作選』講談社学術文庫)。遺志を受け継いだ弟子たちが、新時代の夜明けを開いたのです。  

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2017年09月06日

革靴

 落語家といえば着物姿を思い浮かべますが、3代目古今亭志ん朝は普段、洋装を好んだそうです。2001年に志ん朝さんが亡くなった際、「足のサイズが同じだから」と革靴を形見分けされたのが、林家たい平さんだったそうです。
 まだ格付けで「二つ目」の頃、たい平さんは志ん朝さんに励まされました。革靴を持って「中途半端に売れちゃだめだよ」。自分が食べていける程度の売れ方でなく、落語界全体を盛り上げる人間になれとの約束だと、受け止めたそうです。  

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2017年09月05日

250年以上を経た今も

 肩書や富を他人と比べて卑屈になったり、目先の成果を求めて策に走ったり。一つの事にのめり込むほど、視野が狭くなり、根本の目的を見失ってしまうのが人間の常です。
 「客観視」「俯瞰する眼」を心理学では「メタ認知」ともいいますが、自身の行動を、別の視点から見たり、より長い時間軸の中で考えたりすることで、見えてくるものがあります。
 1753年(宝暦3年)、徳川幕府は、濃尾平野を流れる木曽三川の氾濫を防ぐ工事を薩摩藩に命じました。費用も資材の調達も藩の負担。あまりにも理不尽な幕命に、藩内からは“反旗をかざそう”との意見も出ました。しかし、工事の責任者を務めた家老・平田靱負の視点は違っていました。幕命の是非はともあれ、「水難に喘ぐ気の毒な現地の住民を救済」するのだと(坂口達夫著『宝暦治水・薩摩義士』春苑堂出版)。
 大目的を掲げ、衆議をまとめあげました。難工事は、人的にも経済的にも、藩の重荷となりましたが、幾多の困難を越えて完成した工事は、250年以上を経た今も、現地の人に感謝されています。  

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2017年09月04日

ためらわず書き直した

 マンガ家の手塚治虫氏。デビュー作の「マアチャンの日記帳」という4こまマンガに始まり、生涯に描いた原稿は15万枚という膨大な数に上ります。氏の生前から刊行された全集は400巻に上っています。その編集に当たり、担当者は当初、既存の作品を調整して再録するだけと考えていたが、予想に反して完成に時間がかかったそうです。
 手塚氏は多忙な中でも、過去の作品の古めかしい表現や気に入らない箇所を、ためらわず書き直したという。全面的に直した作品もあった。より良いものを後世に残そうという情熱は、並大抵ではなかったのです(丸山昭著『トキワ荘実録』小学館文庫)  

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2017年09月03日

IO比

 「IO比」という言葉があります。Iはインプット(入力)、Oはアウトプット(出力)のことです。例えば、100冊読んで1冊の本を書けば、IO比は100対1となります。IO比が1対1に近づくほど、書いた内容は中身が薄く、人の話の受け売りに近くなってきます。
 一方、「その圧縮比が高いほど、情報がたくさんつまったいいものが書ける」(立花隆ほか共著『読む力・聴く力』岩波現代文庫)ことになるのです。
 人に励ましの言葉を掛けるときも、原理は同じでしょう。人生経験というインプット、つまり苦労の多さ、大きさに応じて、アウトプットされる言葉の説得力も違ってくるはずです。  

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2017年09月02日

青年・学生の交流

 全国紙の記者を48歳で辞め、以来28年を、妻と二人三脚で日中交流にささげた大森和夫さんの手記があります(『夫婦の「手作り・日中交流」28年』日本僑報社)
 夫妻は日本の歴史や四季等を紹介する日本語教材を自主制作し、210を超える中国の大学に寄贈。日本語作文コンクールも中国で16回開いてきました。その中で、中国の学生には、日本の国と人々を理解したいという熱意があり、互いを知ることが友好の基盤だと痛感したという。
 創価学会の池田SGI会長が開いた日中友好は、青年・学生の交流に最も力を注いできました。1968年9月の国交正常化提言も対象は学生で、“日中の青年同士、手を取りあおう”と訴えています。一人と一人の友情から国と国の友好へ――ここに平和への王道はあるのです。  

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2017年09月01日

大いなる飛躍

 「治乱興亡」という熟語があるように、歴史は、さまざまな勢力による興隆と滅亡の繰り返しとして描かれてきました。多くの歴史小説を著す中津文彦氏によれば、興隆・滅亡には“方程式”があると語っています。
 滅亡に至る共通項は「準備不足」「孤立」「奇策」の三つ。一方、興隆の共通項も三つあり、最初の二つが「周到な準備」と「連携」。滅亡の方程式とは反対の事柄です。しかし氏は、最後の3点目に、全く同じ「奇策」を挙げていのす(『日本史を操る興亡の方程式』PHP文庫)
 どういうことか。準備不足で、孤立した者が策に走ると滅亡を招くが、準備を重ね、強い連携を築いた上で、定石を破った大胆な策に打って出るときには、大いなる飛躍が期待できる、ということです。  

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2017年08月31日

かあさんのこもりうた

 クマの親子を描いた『かあさんのこもりうた』(金の星社)という絵本があります。
 3頭の子グマは、自分たちへの思いを込めた母グマ自作の子守歌を聞いて、いつも眠りについていた。だがある日、母グマは森を襲った嵐の犠牲に。残された子グマたちは、つらくて心が挫けそうになる。それでも子守歌に母の愛と希望を見いだし、悲しみから立ち上がるという話です。
 この絵本が誕生した背景には、一つのエピソードがあります。東日本大震災で母を亡くした小学3年生の女の子の元に、一通の手紙が届きました。差出人は亡き母でした。小学校へ入学する娘にランドセルを購入した際、母がわが子に宛てた手紙を書き、それを1000日後に配達する「未来へつなぐタイムレター」という企業サービスによるものだったのです。この実話をきっかけに絵本は生まれたのです。  

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