2014年09月30日

虫の声

 青森県の津軽鉄道で、秋恒例の「鈴虫列車」が運行されています。車両内に置かれた虫かごから響く美しい音色に、乗客は一様に耳を澄ます。せみ時雨の喧騒も夏らしくて結構だが、心静かに虫の声を堪能する秋も格別ですね。
 津軽が生んだ太宰治に『きりぎりす』という短編があります。床に就き、縁の下で懸命に鳴く虫の声を聞いた女性が述べています。「この小さい、幽かな声を一生忘れずに、背骨にしまって生きて行こうと思いました」(岩波文庫)
  

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2014年09月29日

『別解』が必要

 東日本大震災の被災地支援等を続ける、医師の鎌田實氏。若いとき、脳卒中で倒れた農家の老年男性の治療に携わったそうです。何日も家に帰らず、全力で救命を。やがて意識が回復し、右手足にまひが残ったが、リハビリの末、つえをついて歩けるように。「助けてくれてありがとう」。退院の日、男性は泣いて、お礼を言ったそうです。
 ところが――1週間後に再会すると、「なんで助けたんだ。殺してくれりゃ良かった」と。氏は、信じられなかった。農家の老年男性は畑の雑草を抜こうとして「しゃがめなかった」からという。氏は、患者が〝生きていて良かった〟と感じられる医療こそが目標と悟りました。
 「救命すれば『正解』では決してなかった」「救命をしたあとの『別解』が必要だった」と(『○に近い△を生きる』ポプラ新書)  

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2014年09月28日

アオザイの闘士

 アジアは、女性の民族衣装の宝庫です。それぞれの気候や風土を反映し、社会や生活の中で洗練されてきた民族衣装は、時に気品と威厳を醸し出しています。
 ベトナムの女性革命家として有名なグエン・ティ・ビン女史。かつて彼女は、ベトナム戦争終結に向けた国際会議にアオザイを着て臨びました。以来、彼女には「アオザイの闘士」の名がつけられました。彼女は若き日には4年間、投獄された経験があります。別の戦線で夫は戦い、彼女は2児を育てながら戦闘活動を貫いたのです。それでも、「苦難を経なければ、どんな勝利も成功の保障もない。もう一度 同じ情況になれば、私は同じことをやります」と断言しています(平松伴子著『世界を動かした女性 グエン・ティ・ビン』コールサック社)。  

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2014年09月27日

晩年のカント

 晩年のカントは、友人を招き、会食・歓談することが常であったそうです。語らいは、厳格な道徳哲学を説く高名な学者とは思えぬような、快活・陽気でウイットに富むものであったと伝えられています。
 カントは、歓談における注意事項を細かく書き記しています。曰く、誰もが会話に加われる話題を選ぶこと。必要もないのに話を変えない。相手を意固地にさせる雰囲気には陥らないように。お互い尊敬と敬意を忘れまい。そして、笑いのうちにお開きとすること。気持ちのいい大笑いは、胃の消化にもいい……等々
 「真のヒューマニズムと最も調和するように思われる安楽は、善良な(それと、できればそのつど違った顔触れの)交際仲間による美味しい食事の集い」(「実用的見地における人間学」渋谷治美訳)とまでカントは語るっています。適正な人数は4~10人とも。顔の見える規模であると。  

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2014年09月26日

努力の人 に道は必ず開ける

 ナポレオンは言っています。「天才とは勉強ということだ」。彼が百戦百勝したのは偶然ではない。百方から研究を 尽くし、すべての起こりうる最悪の場合を想像して準備に当たった。戦う前から勝っていたのです(鶴見祐輔著『ナポレオン』潮出版社)
 偉大な勝利の陰には、 人知れず積み重ねた努力の礎があります。そこには人頼みの姿はありません。どんな状況であれ、自らの足で進む。だから、その一歩ごとに成長の節が刻まれます。努力の人 に道は必ず開けるのです。  

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2014年09月25日

世間は狭いね

 一生のうち、何らかの接点を持つ人は3万人といわれています。同じ学校や地域といった間柄が3000人。会話を交わす相手は300人。友人が30人。親友は3人と分析されています。
 数字の真偽はともかく、関係が親密なほど、人数が減るのは分かる気がします。それゆえか、意外な形で人間関係がつながると、「世間は狭いね」と人は言います。  

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2014年09月24日

先入観

 ある小学校で、児童に自身の憶記を基にアリの絵を描いてもらった時の話です。児童の描いたアリは、頭と胴体の二つしかなく、それぞれに足が2本ずつ、頭から後ろへ2本のひげが伸びる、えたいの知れないアリが出来上がりました。
 次に、シャーレに入れた本物のアリを一人一人に渡し、「今度はこれをようく見て、アリの絵を描いて下さい」と。しかし、再度描いた絵も、多くが1枚目と同じだったそうです。これは先入観が、いかに強力なものかを物語っています。
 今度は丁寧に児童と対話しました。「アリの体ってほんとに頭と胴体しかないのかい?」「足はほんとに四本かい?」。3枚目の絵は、昆虫らしく頭と胸と腹に分かれ、胸から6本の足、頭に2本の触覚が生えていた(日高敏隆著『生きものの流儀』岩波書店)
 「百聞は一見にしかず」といいますが、見てはいても、実は見えていないことは多いものです。対象を知ろうと真剣に心を向けると、いろいろなことが見えてきます。
  

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2014年09月23日

長寿県

 長寿県として知られる沖縄。人口10万人当たりの100歳以上の高齢者数では全国8位に後退するも、依然、上位を占めています(1位は島根県。愛知県は46位です。13年度)
 「沖縄の気候・風土と長寿に関する研究」を行った琉球大学の研究チームによると、長寿に欠かせないのは、ストレスを残さないことであると強調しています。そのためには「ユイマール」(相互扶助の精神)や「イチャリバチョーデー」(出会う人は皆、兄弟)などの沖縄の県民性に表れる、「ヨコ社会」のつながりが良い影響を及ぼしていると指摘しています。  

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2014年09月22日

石文

 文字というものがなかった昔、「石文」という便りがあったらしいと、歴史学者の研究により確立されています。それによると、相手を思う自分の心にぴったり合う色や形の石を贈る。それを受け取った人は送り手の気持ちを察し、心通わせたという事です。温かい気持ちが伝わってくるようです。  

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2014年09月21日

無事故の運転

 沖縄県・那覇市の西方約32キロの海上に浮かぶ渡嘉敷島。ここには道端に、子どもたちの書いた文が張られているそうです。その中の一つに「マブヤー(魂)落とすなスピード落とせ」とあります。
 人口710人余の小さな島に、信号機はたった一つ、学校の前にあるだけです。交通事故の発生も、ごくわずかな島で、なぜこの言葉が生まれたのか。それは、島の安全が長続きするよう、島民だけでなく、観光客にも“無事故の運転”を呼び掛ける思いからだそうです。  

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2014年09月20日

人間の可能性

 吉田松陰は心底、人間の可能性を信じ抜く人だったそうです。松下村塾のみならず、野山獄にあった時も、その姿勢は一貫していました。彼は囚人一人一人の長所を認め、心からたたえたそうです。君は書がうまい。あなたは俳句ができる。そして、自ら“生徒”となって学びもしたのです。
 松陰には信念がありました。「人間はみななにほどかの純金を持って生まれている。聖人の純金もわれわれの純金も變わりはない」(山口県教育会編『吉田松陰入門』大和書房)。この心で、囚人をも“教師”に変えました。札付きの悪人さえ、見事に改心させていったのです。  

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2014年09月19日

楽を嫌う・・・

 今年103歳となる現役医師の日野原重明氏が「楽を嫌う健康法」を提唱しています。例えば、エレベーターより階段を。買い物も近くなら徒歩で。という具合 に、日常生活で、ちょっと負荷のかかる行動を選択する事です。
 人生のさまざまな局面でも、安易な道でなく、あえて困難な道に挑んでみる。「楽な道を選んだばかり に『苦』を招いてしまう」のが人生の真理と氏は言う(『長生きすりゃいいってもんじゃない』幻冬舎、共著)  

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2014年09月18日

四苦八苦

 「四苦八苦」は仏法の言葉です。生老病死という根本の「四苦」に日常生活の「四苦」(五盛陰苦、怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦)を加えて「八苦」。このうち嫌な人との出会い(怨憎会苦)と、愛する人との別れ(愛別離苦)は人間関係に由来する悩みです。
 人生の中には「あの人だけはどうも」という、そりの合わない人と、仕事をしなければならないことがあります。肉親や友人など親しい人との別離が、人生を大きく変えることもあります。  

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2014年09月17日

スエコザサ

 植物学者の牧野富太郎博士は、仙台で発見した笹に妻の名を冠し、「スエコザサ」と命名しました。そこには、大変な時にも博士の研究を支え続けた妻への感謝があふれています。
 とはいえ、採集した標本50万点、新種の命名1000を数えた博士の業績には、そぐわない受難の人生でした。偉業をねたむ上司の妨害や人事の冷遇……。それでも、理不尽な仕打ちに屈しなかったのは、「必ず、この研究が植物学の未来を開く」との使命感を信じ抜く博士自身と妻がいたからです。
   

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2014年09月16日

現役最高齢のピアニスト・

 現役最高齢のピアニスト・室井摩耶子さん。92歳の今も、年に5、6回のリサイタルを行い、直前には1日8時間ほどピアノに向かう。なぜ弾き続けるのか? その問いに「今でも楽譜のなかに発見があるから」と答えています。
 室井摩耶子さんは6歳でピアノを始め、35歳で単身ヨーロッパへ。だが、個性をどう確立するかという難問にぶつかりました。その時、82歳のドイツ人ピアニストの演奏を聴き、”この老婦人にしか弾けない境地”に胸打たれたそうです。そして確信しました。「怠けることなく生き、勉強を続ければ、『個性』は自然と醸し出される」と。
 人生の悲喜こもごもを体験し、年輪を重ねて初めて、楽譜から読み取れるものがある。だから「まだまだピアノが弾きたい」。毎日、「背中がぞくっとするような」新しい発見を求めつつ、得たものを弟子に伝える(『わがままだって、いいじゃない。』小学館)  

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2014年09月15日

挑戦

 「辛」と「幸」という字が似ていることを歌った詩人がいました。確かに、違いは「一本の線」でしかありません。しかし、その線が、昨日よりも今日、今日よりも明日へと、日々、自身を鍛え上げる挑戦への「スタートライン」にも思えてくるのは私だけでしょうか。
 第2次世界大戦中、原爆使用に反対した米国の外交官・グルー。彼に、こんな言葉があります。「人生とは結局、ハードルの連続だ。ひとたび飛び越えてしまえば、考えていたよりもずっと簡単に見える」(梶山健訳)。  

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2014年09月14日

固定観念

 「1」から「10」まで数えます。次に「10」から逆に数えてみます。すると、読み方が異なる数字があることに気がつかれる事でしょう。「4」と「7」です。正順では「4」だったのが、逆順 では「ヨン」と読む人が多いのでは。同じように「7」は「ナナ」と読みます。「1」から「10」の正順の読み方は、一種の成句として伝統的に定着しているそうです。 それに対し逆順の時は、一つ一つの数字を別個に考える傾向がある(窪薗晴夫著『数字とことばの不思議な話』岩波ジュニア新書)
 なぜ一つずつ意識した場 合、読み方が変わるのか。「シ」は「死」を嫌って「ヨン」に、「シチ」は「イチ」との混同を避けて「ナナ」に置き換えるようだと考えられています。”まとまり”としてではな く”それぞれ”に光を当てる時、固定観念が消え、別の側面が浮かび上がってくるのです。  

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2014年09月13日

オールド・ヤング

〝いかに魅力的に年齢を重ねていくか〟は、長寿社会における大きな関心事です。心療内科医の海原純子さんは、「老年」には二つのタイプがあると語っています。年相応に中身も老いた「オールド・オールド」と、高齢であっても心が若々しい「オールド・ヤング」と。
 海原さんは問い掛けます。「過去を振り返る時間」と「将来のことを考える時間」のどちらが多いか。「人に教えている時間」と「自分が学んでいる時間」のどちらが多いか。たとえ年が若くても、心のしなびた「ヤング・オールド」もいます。未来を見つめ、新たなことに挑み、学ぶ人は、たとえ高齢でも青年の心を持った「オールド・ヤング」といえましょう。  

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2014年09月12日

楽市・楽座

 織田信長が始めたとされる「楽市・楽座」は、戦国大名が城下町などの繁栄のためにとった商業政策です。旧来の商業組織(座)の特権などを廃止し、新興商人の自由な営業、市の活性化を図ったもので、いわば当時の「規制緩和」策です。
 神戸市北区で、豊臣秀吉が一帯を「楽市」とすることを命じた制札(木の立て札)が見つかっています。市の立つ日や税の免除などに加え、「宿屋が客の求めていないサービスを行い、旅籠銭を過剰に請求することを禁じた条項」もあるそうです(神戸大学等の研究による)。
 活気あふれる街に、各地から集まる商人たち。その豊かな懐を目当てに、宿屋もサービス過剰になったことが想像できます。「自由」を奨励する制札に、「倫理規定」が併記されている点が面白いですね。

  

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2014年09月11日

中間管理職

 上司に叱られ、部下からも責められる。中間管理職には、とかく悲哀のイメージが付きまといます。成果や責任があいまいになりがちなのも、「中間」の立場の特性といえます。
 いつの時代も、多くの中間リーダーは、自分のポストに応じて責任を取らされます。この事実を踏まえ、作家の童門冬二氏は、豊臣秀吉の責任感について綴っています。秀吉は「分権というのは、トップの権限の一部を、ひとかけらとして受け止めたことなのだ。したがって、そのかけらについてはトップと同じ責任がある」と捉えていた、と(『名補佐役の条件』)
 どんな立場であっても、主君と同じ責任感をもって物事に取り組んできたからこそ、武将として戦果を挙げ、果ては天下人にまで上り詰めたのでしょう。  

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