2012年02月29日

しゃべりの効用

 4年に一度の閏年です。いつもなら今日は3月1日なのですが、はたして一日得したのでしょうか? それとも損をしたのでしょうか?  
 脳外科医の林成之氏によると、脳の中には、知識が散らばって配置されているそうです。それが、しゃべり出すことによって頭の中でつながり、次々とアイデアが出てくる仕組みになっているそうです。
 こうした脳の機能は、女性の方が男性より発達している場合が多いそうです。だが氏は、男性も負けずにおしゃべりすることを勧めています。「おしゃべりは、脳を鍛える」と。
 ただ、ここが肝心です。しゃべるにしても〝愚痴や文句を言った方がストレス発散になる〟という考えは誤りです。それは自分だけでなく、周囲で聞いている人の脳も疲れさせ、「悪い影響しかない」と氏は戒めています。(『脳に悪い7つの習慣』幻冬舎新書)
  

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2012年02月28日

虚偽と妄想の世界

 文献の「献」とは賢人の意だそうです。本来、文献とは、書かれたものと、人によって伝えられたもの、その両方を指します。仏典に出てくる「知識」とは知人のことです。善知識とは良い友だちを意味します。
 文献や知識という言葉から考えると、今の時代、人間のぬくもりは、ほとんど抜け落ちてしまったように見受けられます。
 別の次元から考えると、インターネットの普及は、その傾向にますます拍車を掛けているように思えます。匿名情報が横行するネット社会は、一面、虚偽と妄想の世界に化しつつあると言っても過言ではない
でしょう。良い友だちを持ちましょう。
   

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2012年02月27日

勇ましい高尚なる生涯

 人間が後世に残すことができる「最大の遺産」とは何んでしょうか? 明治27年、箱根で行った講演で、思想家・内村鑑三は「勇ましい高尚なる生涯」と結論しています(『後世への最大遺物』)
 逆境に負けない。いかに試練の嵐が続こうとも、わが信念を貫く。それが、内村の指摘した「勇ましい高尚なる生涯」でしょう。その生き方は、苦難に挑む勇気を与え、人生の栄冠を開く原動力となります。

  

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2012年02月26日

町のネズミと田舎のネズミ

 農作物の多くは一年一作です。毎年、異なる気象条件の中で、いかに一定の収穫を得ることが難しいか、計り知れません。今、食料自給率が40%を切った日本の将来はどうなるのでしょうか。又、食の大切さを深く認識させられる報道も目立ちます。
 イソップ童話の「町のネズミと田舎のネズミ」。田舎に招待された町のネズミは、自然のままの食事を気のどくがり、田舎のネズミを町に招く。町には御馳走がいっぱい。ところが、都会は危険と隣り合わせ。田舎のネズミは全然落ち着いて食事ができず、ついに田舎に帰っていく――昔読んだ童話が、切実な問題として胸に迫ってきます。

町のネズミと田舎のネズミ
http://sanpara.nijio.net/library/30-i.html  

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2012年02月25日

他者への畏敬の念

 食品をはじめ様々な偽装問題が後を絶ちません。このような現象は詰まるところ、消費者よりも自分たちの都合を優先した「自分さえよければ」との思想が見え隠れしています。
 文豪・吉川英治は、作品で「他の者の幸福の中に、自分の幸福を見出すのでなければ、完全なそして長い人生の果てまでの幸福にはならない」(『大岡越前』)と語っています。いま求められるのは、あらゆる人が、こうした視点に立てる哲学を持ち、行動することではないでしょうか。
 生命には、自分のことだけを尊ぶ独善の傾向があります。自分以外のすべてを手段として利用しようとするこの傾向性を、仏法では「他化自在天(第六天の魔王)」と喝破しています。この魔性を本源的に打ち破ることが、仏法の実践の本義でもあります。
 創価学会の池田名誉会長は『プルターク英雄伝』に登場する将軍の没落を通し、その原因を「他者を尊敬できない『傲慢』、他者を大事にできない『慢心』が一凶であった」と語っています。豊かな人生を生きるために、他者への畏敬の念が、いかに重要であるかを指摘しています。
  

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2012年02月24日

マイ・ドリーム バラク・オバマ

 今から53年前。一人のアフリカ人留学生がケニアから米国へ渡りました。彼は留学先のハワイ大学で米国人女性と知り合い結婚しました。やがて男の子が誕生しました。その子こそ、黒人として初の米大統領となったバラク・オバマ氏です。
 父はケニアに戻り、母国の発展に尽力しました。母とオバマ少年はアメリカに残りました。少年は母に育てられました。母は白人でしたが、オバマ少年に公民権運動の指導者キング博士の夢を語り、黒人の優秀な法律家や音楽家の活躍を教えました。
 現実は差別が溢れていました。しかし、「我々は堂々と美しく、その逆境を生きるのだ」と母は子を励ました(白倉三紀子・木内裕也訳『マイ・ドリーム バラク・オバマ自伝』)


  

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2012年02月23日

医は仁術なり

 「医は仁術なり」と、貝原益軒が『養生訓』に謳ったのは江戸時代のことです。時は移り、西洋近代医学が取り入れられた後も、この思想は、わが国の医療の基本姿勢として、誇り高く受け継がれてきています。
 本来、不安で押しつぶされそうな患者に励ましを送り、生きる力を与えていくことが医療の道です。ことは医療関係者だけではない。「仁術」の語に込められた人間への温かい眼差しは今、社会全体が必要としているのではないでしょうか。
 文豪・ゲーテも綴っています。「わが身のことばかり心にかけて、他人といっしょに苦しんだり楽しんだりするすべを知らず、また、しようという気をおこさないでは、立派な人といわれましょうか?」(佐藤通次訳『ヘルマンとドロテーア』岩波文庫)と。

医は仁術なり
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%BB%E3%81%AF%E4%BB%81%E8%A1%93
  

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2012年02月22日

歳のせいか

 「最近、歳のせいか記憶力がめっきり落ちてしまって……」。実の所私もそう思っています。しかし、よく耳にする言葉ですが、実は「年齢のせい」ばかりではないらしいそうです。脳科学者の池谷裕二氏によれば、好奇心や探求心がわいた時に発生する「シータ波」という脳波を増やせば、“若者と同じだけの記憶力を発揮できる”と発表しています。
 シータ波を妨げるのは「『そんなこと、やらなくてもわかるよ』とか、『どうせ、この前と一緒でしょ、面倒だなあ』などという気持ち」だという(『脳はなにかと言い訳する』祥伝社)。脳にとって、「マンネリ化」こそが最大の敵なのだそうです。長い人生経験があればうなずける事です。"初めて聞いた"と向かっていけばよいのですね。
 スイスの哲学者ヒルティは、若さの秘訣を問われ、「つねに新しいことを学ぶこと」と答えたそうです。どんな小さなことでもいい。「どうせ○○なのだから」「面倒くさい」といった言葉を捨て、新たな挑戦の一歩を踏み出そう。その積み重ねが「生涯青春」の人生を築いていくそうです。がんばります!!
  

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2012年02月21日

機械をあてにすること

 「カーナビをつけるようになって、なかなか道を覚えられなくなった」。と言う人が多くなりました。。共感を覚える人もいる事でしょう。
 科学技術の進歩によって、確かに私たちの生活は便利になりました。半面、機械をあてにすることで、“よくかける電話番号を記憶しておく”など、これまでできていたことができなくなった、と感じる場面が多くなっている事もたしかです。
 人間は、誰しも計り知れない大きな可能性を持っています。その可能性をさえぎるものの一つが、自分以外の何かを“頼る心”です。先の二つの例は、この真理をよく表しています。
 私自身を考えると、電話番号の記憶は本当にしなくなってしまいました。携帯を見て名前を確認して発信するので番号は入力したときに確認するだけです。
 カーナビの場合は初めていくところには本当に重宝しています。しかし、帰りはナビに頼らないで帰る事により、道を覚える事ができています。うまく使い分ければよいのではないでしょうか。
  

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2012年02月20日

 桜並木の川べりを親子が仲良く散歩している。「この木は死んじゃったの?」「そう見えるね。でも、ちゃんと生きているよ。もうすぐ春になると、きれいな花を、枝いっぱいに咲かせるんだよ。
 染織家の志村ふくみさんを訪れた、詩人の大岡信氏。美しい桜色に染まった糸で織った着物を見て、尋ねたそうです。「『この色は何から取り出したんですか』。『桜からです』と志村さんは答えた。素人の気安さで、私はすぐに桜の花びらを煮詰めて色を取出したものだろうと思った。実際はこれは桜の皮から取出した色なのだった。あの黒っぽいゴツゴツした桜の皮からこの美しいピンクの色がとれるのだという」(『ことばの力』大岡信著)
 何という不思議だろう。しかも、花の咲く直前が良いのだという。厳しい寒さに耐え、枯れ果てたように見える木の中で、やがて咲き薫る花の準備が、全力でなされていたのだ。
  

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2012年02月18日

吉川英治のエピソード

 ある家に下宿している学生がキャッチボールをしていました。その姿を見た家の主が言ったそうです。「君、命がけでやり給え!」。学生に声をかけた大家さんはなんと『宮本武蔵』等の作品で知られる吉川英治氏でした。
 これは氏の長男で、吉川英治記念館館長の吉川英明さんが語るエピソードです。「大袈裟と言えば大袈裟ですが、父は、何事にも全身全霊で取り組め、と言いたかったのでしょう」と。
 英治氏は、宮本武蔵を「今日忘れられている神経を持っている人間」と語っています。今の人々には「自分を信じ、人を信じ、自分の仕事を信じ、自分の今日の生活を信じて行くというような信念」が弱いとも。わが道を真っすぐに進む武蔵を描くことで「ぼくらの神経が覚める」と(『吉川英治 その人と文学』)
 これは70年以上前の警句ですが、現代にも通じます。自分の力を信じ、自分で引き出すことは簡単なようで最も至難な作業です。その努力を続けてこそ、初めて自分を確立することができます。また、自分を信じることができるから、人の素晴らしさを信じることができます。
  

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2012年02月17日

梅見月

 2月の異称は「如月(きさらぎ)」です。又、寒さのために衣を重ねることから「衣更着(きさらぎ)」とも書きます。一方、陽気が発達する時節でもあるところから「気更来(きさらぎ)」とも書きます(『日本国語大辞典』)。
 厳しい寒さが、まだまだ続く2月にも、春は着実に歩いてきています。日も高くなってきました。季節の変わり目は、ふとしたことで見えるものです。
 2月にはもう一つ名前があります。「梅見月(うめみづき)」です。確かに梅が咲き始める季節でもありますね。中国の詩に「宝剣の切れ味は、磨かれ研がれることによって生まれる。梅の花の良き香りは、苦しき寒さから生まれる」と。梅の木は、春の花も、夏の緑や実も、すべては冬のうちに準備するのでしょう。「厳寒こそが人間をつくる!」。そう確信し生き抜きたいものです。
  

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2012年02月16日

偏見を打ち破って

 竹は鉄より強い? 実は同じ重さでの強さの比較(比強度)では、竹は鉄の数倍も強いそうです。奈良の法隆寺でも割った竹が外壁の補強材として使われている。風吹けば揺れる竹も、弱そうで強いのです。

 「をみな(女)皆弱きものぞと誰かいふ 山も越ゆべし川もこゆべし」と称えられたのは、植物学で日本初の女性理学博士となった保井コノ。昭和2年、その授与を祝う宴でのことです。
 彼女は、現在のお茶の水女子大学に進み、学究の道へ。が、「女子に学問など必要ない」とされた当時のこと。物理の教科書を編纂すれば、〝女子がこういうものを書くはずがない″という理由で検定が通らなかったそうです。
 しかし、偏見を打ち破って得た博士号。授与式で、父母や恩師への感謝をこめてあいさつした。「私は幸いに周囲からの理解にも恵まれて、何ものにも煩わされず、ただ自分の好きな道をコツコツと歩いてまいりましただけです」(『日本科学者伝』)
  

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2012年02月15日

チャレンジ精神

 かつて地中海沿岸全域を支配した強大な古代ローマ帝国がありました。衰亡した原因は、過去の成功体験にとらわれ、組織としての改革ができなかったことだと言われています。そして、柔軟だった身分制度が“固定化”された時、ローマ市民から活力と誇りが失われました。常に“進化”するためには、失敗を恐れないチャレンジ精神が必要です。

古代ローマ帝国の滅亡
http://teamrenzan.com/archives/writer/nagai/roman_empire.html  

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2012年02月14日

津軽半島の竜飛岬

 青森県・津軽半島の竜飛岬に吉田松陰の記念碑があります。幕末、異国船が津軽海峡で日本の漁船を略奪していると伝え聞き、松陰は視察のために江戸から歩いて訪れたそうです。
 松陰はこの東北訪問をはじめ、黒船来航への対応策を藩主に進言した文書の執筆、外国への「密航」の試みなど松陰は徹底した“実践の人”でした。
 志半ばで松陰はなくなりましたが、その意志をついで、後に松下村塾から維新回天の雄が多く輩出されます。若い志士の心を鼓舞したのは、自らの信念を行動で示す松陰の人格の輝きだったのではないでしょうか。

吉田松陰の記念碑
http://www.thr.mlit.go.jp/aomori/syutu/hirokoku/01-hirokoku-annai/yoshidasyouin/yoshidasyouin.html  

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2012年02月13日

マントの中から小学生がひょっこり

 今もこの伝統はあるのでしょうか? 舞い上がる地吹雪にあらがい、中学生が雪道を踏みしめ、歩いてくる。目的地の“小学校”に着くと、マントの中から小学生がひょっこり現れます。
 日本海沿いの山形県庄内地域では昔、上級生が下級生をマントに包み込み、学校に送り届ける慣習が在ったということです。
 彼らが、容赦ない風雪から守ったものは、“自分も大きくなったら、下級生を送るんだ”と誓った、あの日の約束。そして、受け継がれてきた心だったでしょう。過酷な環境に耐え忍んでこそ、強い心がはぐくまれるのなら、ふるさとは、その偉大な“育ての親”といえましょう。
  

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2012年02月12日

春を待ちわびる

 寒い日が続きます。それにつけても、今年の日本海側の大雪は異常です。
「雪国の住民に、太陽暦の作者は親切だった」。2月が他の月より日数が少ない理由を、新潟ゆかりの詩人・堀口大学は、そう書いています(『捨菜籠』彌生書房)。日本海側を中心に、記録的な積雪となったこの冬。春を待ちわびる人々の心に染みる一文です。
  

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2012年02月11日

高杉晋作

 幕末を駆け抜けた志士・高杉晋作。彼が幕府の海外派遣団として渡航する間際、叔父にあてた書簡が残されています。
 そこには上海に赴く彼の心情が赤裸々に綴られています。「藩主から大任を受けているのだから(自分を批判する)風評や伝聞くらいのことでは動じることはない」。高杉晋作は長州藩士、攘夷派の中心人物だっただけに、同志たちの反発も強かったでしょう。「風評がかなり多いが、外国(列強)の形勢は私であればこそ探索できる」。書面から彼の、使命感あふれる自信がうかがえます。
 高杉晋作は清が欧米の植民地となりつつある実情を見聞して帰国しました。わずか2カ月のこの体験が転機となりました。その後、国の将来を憂いて民衆の決起を訴え、奇兵隊を創設しています。そして、倒幕へと信念のままに活躍し、歴史を動かしていきました。
 志半ばにして彼は亡くなりましたが、信念に殉じる人生は尊いです。

高杉晋作
http://www.takasugi-shinsaku.com/
  

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2012年02月10日

視点を変えるだけで・・・・

 視点を変えるだけで、物事はまったく違って見えます。今まで感じられなかったことが、新鮮に感じられるようにもなります。
 詩人の金子みすゞの詩に「大漁」があります。大羽鰮の大漁の様子を、「浜は祭りの/ようだけど/海のなかでは/何万の/鰮のとむらい/するだろう」と詠んでいます。浜の人間の喜びと海の鰮の悲しみ。「鰮のとむらい」という表現には、すべての生き物への温かい視点が感じられます。すこし目の位置を変えるだけで、新鮮な感動を覚えます。

 これまでの経験を元に判断することも大切ですが、いろいろな角度から物事を見てみることが必要だと思います。セブン&アイ・ホールディングス代表取締役会長の鈴木敏文氏は、「顧客のために」ではなく、「顧客の立場」で考えることを強調しています。大切なことは、顧客が満足することであり、顧客の目線で経営をしなければならない、と語っていいます。顧客の目線で経営こそ、売り上げ向上の秘訣です
  

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2012年02月09日

才知は一代、誠は世万代

 今、沖縄のアメリカ軍基地の問題で沖縄県民、無視の施策が行われています。
 戦後、米国施政下の沖縄で、戦争によって激減した医師を補うために定められた医介輔制度は、終戦後の劣悪な状況にあった、へき地や離島の住民の命を支えてきました。
 1952年(昭和27年)、医介輔の資格をもつ保健所職員として西表島に赴任した故・親盛長明さん。13歳のとき、事故で右腕を失ったが、ハンディを乗り越え、医療の仕事に就いた。親盛さんに命を救われた島民も少なくない。
 当時の島の生活は困窮を極め、往診や診察時に、治療費をもらえることは、ほとんどなかったそうです。しかし親盛さんは、貧乏に苦しむ患者について「同じ気持ちにならなければ、治療に当たることはできない。自分が医療者だからと高みに立てば、患者の心は閉じてしまい、治療にならなくなる」と話しました。この「医は仁術」さながらの心は、今も多くの人々の心に残っています。
 沖縄のことわざに「才知は一代、誠は世万代」(才知で得たものは、せいぜい一代限りであるが、誠実の心は万代に及ぶ)とあります。いい言葉ですね。
  

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