2016年08月31日

あす9月1日は、「防災の日」です

 あす9月1日は、「防災の日」です。93年前、関東大震災が起きた日から定められました。
 東京・墨田区にあり、3万8000人が亡くなった陸軍被服廠跡地(現在の横網町公園)。その一角に開設された「復興記念館」の展示品に、震災後、各地から寄せられた支援金品の量を示すグラフがあります。これを見ると援助の手で被災地が包まれたことが分かります。「防災の日」とは、支え合う心と心の絆に思いをいたす日でもあるのです。  

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2016年08月30日

「原点」に立ち返える

 東日本大震災が起こった際、大震災と津波の被害で輪転機が止まる中、水没を免れたロール紙をカッターで切り、手書きで作成された石巻日日新聞の「壁新聞」。後日、そのいくつかがアメリカの 報道博物館「ニュージアム」のほか、日本でも展示されました。
 新聞の原点は、読者の「知りたい」というニーズに応えること。“何として も伝える”という使命感みなぎる、手書きの紙面には圧倒的な力がありました。窮地に陥った時、「原点」に立ち返り、再び歩み始める――そういう人に行き詰まり はない。原点こそ、不屈の前進を支える力です。  

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2016年08月29日

幸福は誰もが望みます

 幸福は誰もが望みます。しかし”自分の幸福”を追求してはならない、とカントは考えた(『人倫の形而上学』)。
 目指すべきは「自分の完全性」と「他人の幸福」です。相手の幸せを祈りつつ、自らは鍛えと向上の日々を歩み抜く生き方が必要です。そこに、おのずと自身の幸福境涯も開かれる事でしょう。
 これが逆になると、人の世は悲劇に陥ります。つまり、相手にのみ完全性を要求し、それにより自分の幸福を実現しようとするやり方です。  

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2016年08月28日

歌には心を結び付ける力

 声は人それぞれですが、他者の声によく耳を傾け、相手の声を生かすことで、自分の声も生かされます。またリズムよく縦横に織り成される声の響きを聴くだけで、喜びが湧いてくるから不思議ですね。これは、生命の一つの法則なのでしょうか。 歌には心を結び付ける力もあります。「ウィ・シャル・オーバーカム(私たちは必ず勝利する)」の名曲で有名なアメリカ公民権運動の指導者キング氏は言っています。「歌はわれわれを結束させ、われわれに勇気を与え、そしてわれわれが一緒に行進するのを助けてくれた」(クレイボーン・カーソン編、梶原寿訳『マーティン・ルーサー・キング自伝』日本基督教団出版局)と。  

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2016年08月27日

13年の歳月

 人間が生み出す科学技術は、日進月歩で向上します。だが、人間そのものは、一朝一夕には“進化”しないものです。
 リオ・オリンピック・男子100㍍で三連覇を果たしたウサイン・ボルト選手。7年前、世界新記録の9・58秒を出した時、ゴールまで41歩で走ったという。平均すると1歩あたり0・23秒になるそうです。1996年につくられた、当時の世界記録が9・84秒。およそ「1歩分」を縮めるのに、13年の歳月を要したことになる計算です。  

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2016年08月26日

 「馬偏(うまへん)」であることから分かるように、かつて駅は、街道の主要な場所にあって、馬を乗り換えたり宿泊したりするために設けられた「宿駅」を指しました。
 リレー形式の長距離走を「駅伝」といいますが、これも宿駅を中継して公文書などを送り届ける駅伝制度に由来しています。明治時代に鉄道が導入された際、この宿駅から転じて、列車が停車する場所を「駅」と呼ぶようになったそうです。
 旅客や貨物を扱うための停車場にすぎなかった駅にも近年、イメージに変化が見られます。「人々が活発に往来し、にぎわう」こと自体に価値が見いだされ、駅構内の商業施設である「駅ナカ」や、駅で開くコンサート「駅コン」などが注目されています。
 快適なドライブを応援し、地域活性化の拠点ともなる「道の駅」も、90年代から整備が進み、全国で千カ所を超えているそうです。  

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2016年08月25日

サハリン

 日本の終戦記念日は8月15日ですが、当時の国内で、その後、約1週間も戦闘が続いた地があります。樺太(現在のサハリン)です。
 この地にソ連軍が攻め込む中、持ち場を離れず職務を貫く、若き女性電話交換手たちがいました。「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」との通信文を残し、彼女らが集団自決したのは8月20日。この言葉は、北海道の稚内公園にある「九人の乙女の碑」に刻まれています。
  

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2016年08月24日

ドナルド・キーンさん

 日本文学を研究するドナルド・キーンさんは、戦時中、米海軍の語学士官として、ハワイ州真珠湾の基地に派遣されました。任務は、押収した日本軍の文書の翻訳でした。
 中に日本兵の日記があった。最初は「挙国一致」などの決まり文句が並び、威勢が良かった。だが、形勢が傾き、食糧補給も絶たれると、日記には深い苦悩、家族への切なる思いがつづられるようになりました。
 キーンさんは、極限に立つ人間の“真情”から発した言葉に、胸を打たれたそうです。この経験が日本文学研究者への原点になったそうです。  

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2016年08月23日

見えない人々

 災害・事故などで、大切な人を失う。絶望と悲しみのふちから立ち上がるには「死者とともに生きる」ことが欠かせない。中島岳志氏(北海道大学公共政策大学院准教授)は、自らの体験を踏まえつつ、そのように考えています。
 死者は思い出の中によみがえり、今なお忠告や励ましを送ってくれる。「私自身の主観の中で、私は亡くなったその彼と、もう一度出会い直している」と氏は語るのだ(『いわきから問う 東日本大震災』東日本国際大学東洋思想研究所編、昌平黌出版会)
 人間を律する力となる、世の倫理道徳の多くも、生者と死者との関係のうちに育まれた、といえるのではなかろうか。この世には、私たちに大きな影響を及ぼす“見えない人々”がいる――と思想家エリアス・カネッティは指摘しています。  

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2016年08月22日

光輝ある生き方を称賛する人が現れる

 日本の各地には「小京都」と呼ばれる風情豊かな地域があります。その一つ秋田県仙北市には「みちのくの小京都」角館があります。
 ここで旧盆の15日、400年続く鎮魂行事「ささら舞」が披露されました。「山には山のいのちあるかも 抱かれて朝夕あるに心足る」(遠藤桂風)と詠まれるように、山懐の自然に抱かれながら、角館の人々は伝統を受け継ぎ、心を磨き、文化を育んできました。
 この地から多くの文化人が世に出ています。例えば、美術家で歌人の平福百穂は、「岩波文庫」の表紙の装丁で知られます。江戸中期の画家・小田野直武は、日本初の本格的西洋書の翻訳本『解体新書』の挿絵を描きました。だが、その名は歴史に埋もれていました。小田野の没後150年に一書を著し、同郷の大先輩を宣揚したのが、平福でした。彼は『日本洋画の曙光』という書名に、小田野の画業の先駆的意義を込めました。
 英国の作家モームは「一生は一個の芸術作品」(行方昭夫訳『人間の絆』岩波文庫)と述べていますが、真剣に生き、道を切り開いた人の生涯は、優れた芸術のように光を失わない。後世、必ず、その光輝ある生き方を称賛する人が現れるのです。  

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2016年08月21日

勝利から逆算

 宿題を早めに終わらせようと目標は立てたものの、結局、夏休み最終日まで手つかずで、青くなった思い出のある人も多いのでは。この夏もそろそろ、コツコツと努力する大切さが身につまされるころです。
 大リーグのイチロー選手は言っています。「手に届かなければ、そこで努力を諦めてしまう。それは目標の設定ミスです。目標は頑張ったら手が届くところに設定すべきです。そうすればいつまで経っても努力を諦めることがないし、自分を成長させられる」(奥村幸治著『一流の習慣術』、ソフトバンク新書)
 これは、目標を高く持つな、という意味ではないでしょう。勝利から逆算して、やるべき行動を明確にする。それを確実に実行すれば、必ず目標に到達する。努力と実績に裏打ちされた勝負哲学です。一日一日、歩みを止めず、挑戦し続けられるかどうか。「成長」とは、そうした緻密な努力を積み重ねた結果です。イチロー選手は有言実行しています。  

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2016年08月20日

〝遠い話〟になってしまいます

 戦争を経験した作家の奥田継夫氏は、戦時を生きた「語り部」だけでなく、次世代の「語り継ぎ部」の育成が急務と訴えています。終戦71年。たいまつのように平和の尊さを未来に伝えることは、現代に生きる大人が、先の大戦で犠牲となった方々に対して果たすべき責任です。
 20代の社会学者・古市憲寿氏が『誰も戦争を教えてくれなかった』(講談社)を著したように、身近に戦争経験者が少なくなり、自ら知る努力をしなければ、戦争は机上やテレビの中の〝遠い話〟になってしまいます。  

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2016年08月19日

勇気

 「勇気の方が理性よりも不遇に対して一層の力を持っている」と、フランスの思想家ヴォーヴナルグは言っています(『不遇なる一天才の手記』関根秀雄訳、岩波書店)。
 人間は、困難な現実に圧倒され、自身の可能性に目を閉ざしてしまいがちです。だが、日蓮仏法は、自行化他の祈りによって自身に仏の生命を顕現し、その弱気の生命を打ち破ることを教えています。「仏法の真髄は慈悲であるが、凡夫においては、勇気をもって仏法を実践していくことが慈悲に通じる」とは、池田SGI会長がたびたび引く創価学会の戸田第二代会長の指導です。  

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2016年08月18日

個性的な走り

 リオで日本選手のメダルラッシュです。女子100メートルと200メートルの日本記録保持者・福島千里選手は残念な結果に終わりましたが、滑るようにトラックを駆ける個性的な走りは印象的でした。
 指導する中村宏之監督の方針は“型にはめない”。人間はDNAも骨格も違う。だから、走るフォームも違って当然。選 手に合ったものを引き出すのが指導者の力という。練習内容もユニーク。例えば、冬にも脚を速く動かす。これは、速度を緩めて長い距離を走る、日本の冬季練 習の常識を覆した。今や寒さの厳しい北の大地からも、強い選手が育つ(『日本人が五輪100mの決勝に立つ日』日文新書)
 既成観念や常識の枠にとらわれ ない。そこから、思ってもみない変化がもたらされることがある。時代を動かす大きな流れも、時として柔軟な思考から生まれた発想がつくり出すのです。  

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2016年08月17日

原爆詩の朗読会

 女優の吉永小百合さんにその手紙が送られたのは、5年前の2月の事でした。差出人は、英オックスフォード大学日本問題研究所の苅谷剛彦教授からでした。吉永さんのライフワークである原爆詩の朗読会を、同大学で開きたいという手紙でした。
 ”吉永さんの平和への思いを「種」として、この大学にまいてほしい”。教授は思いを切々とつづった。そして”その種は、きっと学生の心の中で根を強く張り、いつか平和に向かう大きな森に育っていくと信じています”と。
 8カ月後、朗読会は実現しました。聴衆は百数十人と、それほど多くはない。しかし、未来を担う若者の心に、平和の種は確かに植えられたのです(早川敦子著『吉永小百合、オックスフォード大学で原爆詩を読む』集英社新書)  

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2016年08月16日

ミョウガ

 ミョウガは夏の旬の野菜です。独特の香りと風味で、和風料理の薬味として使われます。漢字で「茗荷」と書き、食べると忘れっぽくなるとの俗説がありますが、これは仏教説話に由来しています。
 釈尊の愚鈍な弟子の代表として、経典に登場する須梨槃特。彼は物覚えが悪く、自分の名前さえ覚えられない。そこで、名前を札に書き、いつも首からさげていました。
 彼が亡くなると、その墓から不思議な草が生えてきたそうです。食べると、墓の主のように物忘れをすると噂になりました。その草がミョウガ。須梨槃特が自分の名前を首からさげ、名を荷っていたことから「茗荷」の名が付いたそうです(稲垣栄洋著『徳川家の家紋はなぜ三つ葉葵なのか』東洋経済新報社)  

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2016年08月15日

池田青年

 戦時中、池田青年は東京・蒲田の新潟鉄工所に入社。戦局拡大に伴い、軍から技術将校が派遣され、会社は軍需工場となりました。さらに社内に青年学校が設けられ、軍隊的な教育と訓練が行われました。
 ある日、池田青年が授業の内容について質問をしました。すると指導員は、「そんなことは分からんでいい! 生意気なことを聞くな!」と怒鳴りました。これこそ、国民を守るべき国家が、国家のために国民を犠牲にして顧みない戦争を遂行し、動員する国民には、いささかの疑問を持つことも許さない。国家主義の不条理、愚かさが凝縮して表れていた実態です。
 人間は目的を理解し、使命を自覚してこそ力を発揮する。一人一人を最大に尊敬し、励まし、この自発の力を引き出すのが民衆運動です。この運動を今も続けているのが、池田青年です。
 この池田青年とは創価学会のSGI会長です。
  

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2016年08月14日

師弟は三世の縁

 「親子は一世、夫婦は二世、師弟は三世の縁」。上方落語界で活躍する桂福丸さんが語っている言葉です。師匠の桂福團治さんは長年、弟子を取りませんでした。そうした中で、福丸さんの入門を許したことを、周囲は大変に驚きました。
 福丸さんに「なぜ、師匠は福丸さんを弟子にしたのでしょうか」と、率直な疑問をぶつけると、福丸さんは即答しました。「私の落語の才能の有無ではありません」「師匠の直感としか言いようがありません。だから、師匠との出会いは、本当に不思議な縁と感じています」と。縁って本当に不思議ですよね。  

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2016年08月13日

継承運動

 愛の反対は憎しみではなく、無関心である――ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を生き延びた作家エリ・ヴィーゼル氏が警鐘を鳴らすように、平和の「創造」は、「想像」することから始まります。自分の体験でなくても、悲劇のあった場所や体験者のもとへ足を運び、耳を傾け、想像力を働かせることは誰にも可能です。
 そうした学びを重ねる中で、戦争・被爆体験は、次の世代にとっても、語らずにいられない体験となるのです。この継承運動が、今ほど求められる時代はありません。  

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2016年08月12日

青春の原点

 モンゴメリの名作『赤毛のアン』を初めて邦訳した村岡花子の生涯は、ドラマ化され、よく知られるようになりました。
 村岡花子は戦時中の厳しい言論統制、最愛の息子の死……。幾つもの苦難を乗り越え、終生、翻訳家として人々に元気を送り続けました。
 その胸中には“青春の原点”がありました。女学校を卒業する時、恩師から送られた送別の言葉です。「今から何十年後かに、あなたがたが学校生活を思い出して、あの時代が一番幸せだった、一番楽しかった、と心底から感じるなら、私はこの学校の教育が失敗だったと言わなければなりません」(村岡恵理著『アンのゆりかご』)
 「一番幸せ」だったのなら、普通は「教育の成功」と考えたくなるところです。しかし、どこまでも未来を見つめ、成長し続けてほしい、との恩師の慈愛の発露だったのでしょう。  

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