2013年05月31日

ヒマワリ

 ヒマワリは平和の花と呼ばれています。旧ソ連解体後の1996年6月、ウクライナで核ミサイル基地が撤廃されました。その跡地に植えられたのがヒマワリでした。ヒマワリの種を植える真の意味は、人間一人一人の「生命の奥」に「平和の種」を深く植えていくことにあるそうです。
 同国でチェルノブイリ原発事故(86年)が起きた後も、汚染土壌の浄化にヒマワリが活用されました。放射性セシウムは、肥料のカリウムと化学的な性質が似ているそうです。ヒマワリはそれを吸収する能力が高く、土の中のセシウムを集めることができるからだそうです。現在、福島県でも、土壌汚染を少しでも改善できればと、 ヒマワリを植えるプロジェクトが進められています。  

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2013年05月30日

母の歩み

 「おかあさん」――何とほっとする響きでしょう。「おかあさん」の「か」とは、「太陽の身体」を意味する「日身」という言葉から来たとの説があります。日本人は、母を“太陽さん”と呼んできたわけだ(『日本のこころの教育』境野勝悟著)
 「毎月」さらに「毎日の「毎」という字には「母」があります。母の歩みは止まることがありません。きょうも忙しく行動を続けています。  

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2013年05月29日

マナー

 社会には、さまざまなマナーがありますが、その基本は「周囲に迷惑を掛けてはいけない」という他者への思いやりでしょう。「自分さえよければ、かまわない」という人ばかりになれば、社会は成り立たちません。
 咳をする時は、ティッシュなどで口と鼻を覆う、人から顔を背ける、マスクを着用する。この「咳エチケット」も、多くの人が他者の身を案じてこそ、予防の力になります。
 こう考えると、「他者を大事にし、気遣う」生き方が、まん延防止の決め手といえましょう。私たちの日ごろの行いに、ともすると表れてくる“ささいなエゴ”その治療こそが、社会に巣くう“病魔”を取り除く第一歩となる事を知りたいものです。  

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2013年05月28日

「性根場」から「正念場」

 歌舞伎などで最高の見せ場を「性根場」と言いました。これは主人公を演ずる役者が、役の本質的な性格(性根)を十分に発揮する最重要の場面をさします。今ではは通常、「正念場」と表現するようになりました。
 この「正念」は、正しく揺るぎない心構えを説く仏法用語です。釈尊が基本的な実践として挙げた「八正道」(悟りに至る八つの正しい道)の一つなのです。「性根場」から「正念場」の変化について、「一番大切な所」を演じ切るには「正常で乱れのないしっかりした心」が必要であるところから、との説があります(『日本国語大辞典』)。さらに、ここぞという大事な局面の意味も指すようになりました。  

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2013年05月27日

もう帰ろうよ

 漫才コンビの松鶴家千代若・千代菊の「もう帰ろうよ」―。この千代若師のゆったりした栃木弁を聞かれた方は見えますか.?
 コンビで「新相馬節」や「八木節」など、見事な技量で満場を唸らせたと思うと、ひょうきんな声で「疲れたから、もう帰ろうよ」。落差に、満場は大爆笑でした。
 この「もう帰ろうよ」には、背景があります。第2次世界大戦中、「寄席芸人」は「戦地慰問」に派遣されました。千代若師も前線に派遣されました。そこで見たのは、「士気高く勇敢な兵士」ではありませんでした。一瞬一瞬が「死」と「殺」に隣り合わせの、疲れ果てた兵士たち。笑いで慰問するはずが、思わず声に出ました「みんな、もう帰ろうよ」。以降、千代若師は反戦思想の持ち主と、憲兵に拘束されそうにもなりました。さらに、殺されかけたこともあったそうです。
 「もう帰ろうよ」は、そんな人生を全部ひっさげての、舞台の軽妙さなのです。

松鶴家千代若・千代菊 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E9%B6%B4%E5%AE%B6%E5%8D%83%E4%BB%A3%E8%8B%A5%E3%83%BB%E5%8D%83%E4%BB%A3%E8%8F%8A  

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2013年05月26日

平山郁夫美術館

 瀬戸内の碧い海を縫って走る、しまなみ海道。その通り道の一つ、生口島に平山郁夫美術館はあります。ここは平山郁夫画伯の故郷なのです。
 画伯は生前、美術紙のインタビューで赤裸々に半生を語っています。多感な15歳で被爆した事。多くの友人の命を奪われ、自らも後遺症に苦しんだ事。「平和というのは逃げるのではなく蛸壺に入って知らん顔ではなしに、やはり声を出してそれぞれの立場から、お互いに生きることを見つけましょうということなのです」と。その言を、行動で貫いた人生でした。
 約40年で130回に及ぶシルクロード取材。帰国しては、飽くことなく描き続けました。さらに、紛争等で破壊されゆく文化遺産の保護にも尽力。晩年、病床に伏 してなお創作に意欲を燃やしました「命がけで求めないと先人の苦闘の本当の心境が分からない」と。
 人の命は尽きても、絵の命は尽きません。同じように、若き日の誓いを果たそうと貫き通した人生は、幕を閉じてなお、人々を励まし続けます。平山郁夫画伯の絵に目をやれば、声が聞こえてくるようです。

平山郁夫美術館 http://www.hirayama-museum.or.jp/facility/index04.htm  

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2013年05月25日

技術革新

 ハイブリッド車を世界に先駆けて量産したのは日本のトヨタです。出発点は燃費向上率を何倍にするかでした。技術者は改善策を積み上げ、「1・5倍」と数字をはじきだしました。しかし経営陣は”21世紀の課題に応えるには、2倍でなければだめだ”と。「無理です」「そうなったらこのプロジェクトは解散だ」「そこまでおっしゃるんでしたらやりましょう」(『ハイブリッドカーの時代』碇義朗著、光人社)
 トヨタのお家芸の「カイゼン(改善)」を超えた、全く新しい車をつくる「革命」への覚悟がありました。これが幾多の難問を克服し、量産化を実現する”エンジン”だったといえます。すると、他社も次々にエコカーを開発しています。今や「2倍の燃費」の壁は破られ、技術革新が加速しています。  

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2013年05月24日

生命力

 コオロギ研究者の話です。生野菜だけをエサとする“贅沢コオロギ”から、飼料だけをエサとする“貧乏コオロギ”まで、以下のように5通りのエサの与え方をします。
 ①常に贅沢②基本的に贅沢で、たまに貧乏③贅沢と貧乏が半々④基本的に貧乏で、たまに贅沢⑤常に貧乏――このうち、一番生命力が強いのはどれか。答えは④です。飼育箱のふたを開けた途端、部屋中を跳びはねるほど元気でした。
 近年、ストレス社会の影響で抑うつ的な症状に悩まされる人が増えています。長期間にわたってオーバーワークが続くと、精神的に弱ってしまう。しかし逆に、全くストレスのない状態だと、頑張らなくても生きていけるため、生きる意味が見いだせなくなり、その結果、やはり元気を失ってしまう。どちらも極端ではいけないのです。
 ストレスにも、自身を高めるきっかけとなる良いストレス(ユーストレス)と、弱くする悪いストレス(ディストレス)があります。そして、同じ環境でも、それが良いストレスか悪いストレスかは、心の状態で決まってくるのです。所詮は自分自身の生命力です。  

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2013年05月23日

賞を目指す

 漫画家・手塚治虫氏が不遇を極めた時期の一つは、それまでの“手塚ブーム”が過ぎ去った昭和48年、自ら設立した会社が倒産した時です。作家の大下英治氏は当時、週刊誌の記者として手塚氏を取材しました。失意のコメントを予想しましたが、手塚氏は普段通りに熱っぽく“明日から漫画賞を目指して頑張ります”と語りました。すでに自身の名を冠した賞がある大御所の言葉に、大下氏は驚嘆したそうです(大下英治著『手塚治虫――ロマン大宇宙』講談社)
 “賞を目指す”といっても、手塚氏は、いわゆる名誉栄達を欲した訳ではありません。“漫画の神様”との称賛に甘んじることなく、常に新しい分野に挑戦し、読者の支持を得られているかを、厳しく自身に問い続けたのです。この後、『ブラック・ジャック』『アドルフに告ぐ』など、氏の代表作が誕生しました。
   

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2013年05月22日

良い紙か、悪い紙か

 最近、小学生の間で国語辞書がブームになっているようです。電子辞書の普及などで下火になっていましたが、「手でページをめくったり、付箋を張ったりもできる。」そんな紙製ならではの特長が魅力のようです。
 辞書に限らず、紙は多様な可能性を発揮します。例えば、正倉院に残る和紙は戸籍簿として1300年もの間、記録を保ってきました。かたや、水に溶けて形を残さない性質が重宝されている用紙もあります。ほかにも、物を包んで贈り物に彩りを添えるなど多彩ですね。
 一方で、歓迎されない紙もあります。戦時中、「赤紙」と呼ばれた召集令状は、戦地に人を送りました。現代では、「人権を蹂躙する雑誌」という姿で反社会的な行動をすることも。紙は、使い方次第で正にも負にも働くのです。
 良い紙か、悪い紙か――基準は「人の幸福のためか、否か」でしょう。  

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2013年05月21日

自分の持つ能力

 アメリカのある学校の授業中、実験用のネズミが逃げ出しました。その時、教師はクラスの生徒の中で、一人の盲目の少年に探し出すよう頼みました。なぜか。その子には、視力をもしのぐ、〝鋭敏な聴力〟があることを知っていたからです。
 後にこの少年は、その聴力を生かし、世界的音楽家に大成しました。その名は、スティービー・ワンダー。
 彼は述懐しています。「自分の持つ能力を先生が認めてくれたそのときに、新しい人生がはじまった」(D・カーネギー著『人を動かす』山口博訳、創元社)と。

スティービー・ワンダー http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC  

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2013年05月20日

ロウソクの炎

 ――今にも消えそうなロウソクの炎があります。強く息を吹きかけたり、勢いよく油を注ぐと消えてしまう。だから、手のひらで炎を囲って風を防ぎ、炎がだんだん大きくなるのを待つ――
 精神科医の野田正彰氏が、震災で被災した方々を支える姿勢を、こう語っていました。「ただ疎開させればいい、ただ早く街を復興させてい けばいい」ということばかりに気をとられるのではなく、「被災者の気力を中心に考えて、支援や復興を考えていかなければならない」と。
 被災地では、被災者が避難所を移るたびに、地域の人間関係と切り離され、共同体が壊れていく現実があります。それは「被災者の気力」を奪う大きな要因となっています。先のロウソクの例でいえば、手のひらを外すことです。被災者が立ち上がるきっかけとなる「人と人のつながり」こそ、復興への最大の力にほかならないのです。  

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2013年05月19日

防災訓練

 毎年の防災訓練。大事と知りつつも、〝面倒だな〟という気持ちがどこかにありませんか。しかし、実際に重大な命の危険にあうと、危険 回避の行動がとれないのが普通なのだそうです。事態を過小評価し、「自分だけは大丈夫」と思い込んでしまい、そこにとどまろうとしたり、ふだんよりも緩慢な動きになってしまうそうです。
 あの「9・11」テロ直後の超高層ビルでも、同様の状態が起きました。しかしある会社では、警備責任者が抜き打ちの避難訓練を頻繁に行い、だらだらと非常階段を下りる社員を叱り飛ばしていました。おかげで、テロにあった社員たちは「魔法をかけたよう」に迅速に避難し、 ほとんどが助かった(A・リプリー著『生き残る判断 生き残れない行動』岡真知子訳、光文社)
 ここから学べる教訓が二つあります。一つは、心が強いストレスを受ける緊急事態に素早く動くには、日ごろから繰り返し、訓練する以外にないこと。もう一つは、確固とした考えと、それを断行する勇気を持つ人間が一人いれば、多くの人が救われるという事実です。  

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2013年05月18日

シェークスピア

 毎日、世界のどこかで上演されているのがシェークスピアの演劇作品です。だが意外にも、18世紀までは別の文学者による改作の方が人気で、原作への評価は高くなかったそうです。作品の真価に光が当たったのは、彼の死から185年後の1801年のことでした。ドイツの青年文学者、アウグスト・フォン・シュレーゲルの主張によります。
 彼は、シェークスピ ア作品が〝ヨーロッパ精神の根底にある異質なもの同士の緊張を、ダイナミックに体現している〟と主張。これがシェークスピアの母国イギリスに飛び火し、再 評価のきっかけとなりました(『シェイクスピア・ハンドブック』三省堂)。
 一人の青年の主張によって、演劇史は塗り替えられたのです。シェークスピアの戯曲は名言の宝庫です。その一つに「行動こそ雄弁なり」とある(「コリオレーナス」)。  

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2013年05月17日

チームケミストリー

 水は、水素と酸素の化学反応でつくられます。しかし、空気中には水素も酸素もありますが、何も起こりません。それは、反応を生じさせるエネルギーが不足しているからです。
 スポーツの世界に「チームケミストリー」という言葉があります。ケミストリーとは日本語に訳すと「化学反応」となります。「チームケミストリー」とは、そのチームが、選手の能力を単純に足した以上の力を発揮する現象を表します。
 能力の高い選手を集めただけでは、“ケミストリー”は起こりません。例えば野球を例に挙げれば、長距離打者を9人並べても勝てるわけではないのです。俊足、バントの 名手、打てないが守備は抜群の選手、等々。違う力を持つ人材が目標に心を一つにした時、チームの力は何倍にもなるのです。  

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2013年05月16日

進取の取り組みで

 福島県の土湯温泉に、一人のこけし工人がいます。彼は、かつて、「平成の伝統こけし」を選ぶ投票で1位になりました。胴が円錐形、首は自在に動かせるという、従来のスタイルを斬新に変革させた受賞作品に、同業者は舌を巻いたそうです。
 「発展し続けてこその伝統工芸」と彼。もの作りへの揺るぎない信念と、技法を進化させようとの創意工夫が一つになった時、伝統に命が注がれます。
 今、土湯温泉の観光客は原発事故の影響で激減しています。旅館の3分の1が廃業か、休業に追い込まれているそうです。こけし工人のような進取の取り組みで、歴史ある街を、希望の未来を開いてほしいものです。  

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2013年05月15日

決意

 フランスの思想家シモーヌ・ヴェーユは「決意は時間を越えて持続すべきものだ」(冨原眞弓訳)と強調しています。しかし、実践は、なかなかの至難の技です。大衆の前でで奮起しても、一時的な“発火”に終わることも多いものです。それが人間なのでしょうか?  

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2013年05月14日

5月の人々

 「5月の人々」――アルゼンチンでは革命の先駆者たちを讃え、こう呼んでいます。その淵源は、1810年5月にあります。現在の首都であるブエノスアイレス市で民衆が立ち上がり、植民地支配の圧政から自治を宣言しました。国旗の中央に描かれる「5月の太陽」は、この時の勝利の輝きを表しています。
 同じ時期、スペインの画家ゴヤは「マドリッド、1808年5月3日」という傑作を完成させました。その日、侵略軍と戦った民衆の姿を描いたものです。突きつけられた銃剣に一歩も引かず、両腕を大きく広げた無名の男からは“私は何も恐れない”との魂が伝わってくるようです。
 
マドリッド、1808年5月3日 http://www.salvastyle.com/menu_romantic/goya_fusilamientos.html  

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2013年05月13日

桶狭間の戦い

 今年は「桶狭間の戦い」から453周年になります。「桶狭間の戦い」は織田信長が10倍ともいわれる敵勢に勝利した、史上有数の逆転劇です。
 信長の勝因は「一騎駆け」にあったと考察するのは、歴史研究家の三池純正氏。信長がたった一騎で出陣したことについて「彼ら(=敵)の常識にはない出来事であった」「信長の必死の一念は家臣たちの強い団結を生み」「一段と彼らを奮起させ」たと。  

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2013年05月12日

諸葛孔明

 中国の三国志の時代です。「孔明はつまらぬことをしたものだ、大国に仕えたらよかったのに」。曹操の魏に仕えた諸葛孔明の知人たちは、そう思っていただろう――中国史の宮川尚志博士は言う(『諸葛孔明』講談社学術文庫)
 諸葛一族には、魏や呉で高位高官に就いた者もいました。三国志時代の価値観では、家系の存続が最優先で、むしろ当然の行動といえます。だが孔明は、嫡子・嫡孫までも、小国の蜀に殉じていったのです。
 「丞相病あつかりき」――志半ばで五丈原に倒れた孔明の「悲運」を思い、詩人・土井晩翠は詠んでいます。しかし、孔明は、決して「不幸」だったのではありません。先帝・劉備と共に願った漢室の復興へ、真っすぐに生き抜いたからです。  

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