2013年05月26日
平山郁夫美術館
瀬戸内の碧い海を縫って走る、しまなみ海道。その通り道の一つ、生口島に平山郁夫美術館はあります。ここは平山郁夫画伯の故郷なのです。
画伯は生前、美術紙のインタビューで赤裸々に半生を語っています。多感な15歳で被爆した事。多くの友人の命を奪われ、自らも後遺症に苦しんだ事。「平和というのは逃げるのではなく蛸壺に入って知らん顔ではなしに、やはり声を出してそれぞれの立場から、お互いに生きることを見つけましょうということなのです」と。その言を、行動で貫いた人生でした。
約40年で130回に及ぶシルクロード取材。帰国しては、飽くことなく描き続けました。さらに、紛争等で破壊されゆく文化遺産の保護にも尽力。晩年、病床に伏 してなお創作に意欲を燃やしました「命がけで求めないと先人の苦闘の本当の心境が分からない」と。
人の命は尽きても、絵の命は尽きません。同じように、若き日の誓いを果たそうと貫き通した人生は、幕を閉じてなお、人々を励まし続けます。平山郁夫画伯の絵に目をやれば、声が聞こえてくるようです。
平山郁夫美術館 http://www.hirayama-museum.or.jp/facility/index04.htm
画伯は生前、美術紙のインタビューで赤裸々に半生を語っています。多感な15歳で被爆した事。多くの友人の命を奪われ、自らも後遺症に苦しんだ事。「平和というのは逃げるのではなく蛸壺に入って知らん顔ではなしに、やはり声を出してそれぞれの立場から、お互いに生きることを見つけましょうということなのです」と。その言を、行動で貫いた人生でした。
約40年で130回に及ぶシルクロード取材。帰国しては、飽くことなく描き続けました。さらに、紛争等で破壊されゆく文化遺産の保護にも尽力。晩年、病床に伏 してなお創作に意欲を燃やしました「命がけで求めないと先人の苦闘の本当の心境が分からない」と。
人の命は尽きても、絵の命は尽きません。同じように、若き日の誓いを果たそうと貫き通した人生は、幕を閉じてなお、人々を励まし続けます。平山郁夫画伯の絵に目をやれば、声が聞こえてくるようです。
平山郁夫美術館 http://www.hirayama-museum.or.jp/facility/index04.htm
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