2014年08月31日

東京

 江戸が東京と改称されたのは146年前の事でした。以来、人口は増え続けましたが、関東大震災と第2次世界大戦の2度、東京は大きな被害を受けました。
 関東大震災では、全体で死者・行方不明者が約10万5000人、負傷者が10万人を超え、住宅被害は全・半壊が21万棟余りに上りました。この時、東京を逃れた被災者を、信越や北関東など各地の人々が温かく受け入れたのです。主要駅には炊き出しや救護所が開設。当時は、第1次世界大戦後の〝戦後恐慌〟の真っただ中。それでも、村祭りの費用を削って被災地を救おうとした例もあります(北原糸子著『関東大震災の社会史』朝日選書)  

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2014年08月30日

年齢で決まるものではない

 「『前進』が合言葉のうちは、筋肉は緊張し、心臓は鼓動し、血は血管をめぐり、頭を上げ、背も伸びているが、『後退』となると、まるで一度に弱りきった老いぼれのようになってしまう」。これは南極点到達の探検家アムンゼンが、北米大陸北方の北西航路を横断した時の隊員の日記です(長もも子訳『探検家アムンゼンのユア号航海記』フジ出版社)
 若さや生命力は、年齢で決まるものではない。目標を明確にし、心が前に向いている時、人は若くなり、以前の何倍もの力が出せるのです。  

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2014年08月29日

カントは考えました

 幸福は誰もが望む。しかし”自分の幸福”を追求してはならない、とカントは考えました(『人倫の形而上学』)。目指すべきは「自分の完全性」と「他人の幸福」です。相手の幸せを祈りつつ、自らは鍛えと向上の日々を歩み抜く生き方だ。そこに、おのずと自身の幸福境涯も開かれることでしょう。
 これが逆になると、人の世は悲劇に陥る。つまり、相手にのみ完全性を要求し、それにより自分の幸福を実現しようとするやり方です。  

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2014年08月28日

私には夢がある

 「私には夢がある」。51年前のきょう、M・L・キング博士の声が轟いた。これは人種差別の撤廃を呼び掛けた、ワシントン大行進での名演説です。
 博士を取材した音声が残っています。場所は、米テネシー州チャタヌーガ。奴隷解放へとつながった南北戦争の、激戦地の一つです。その1960年12月のインタビューで、博士は確信を込めて語っています。“将来にわたり歴史書が著されるとき、公民権運動は、我々が受け継ぐべき遺産の中で、最も偉大な出来事の一つとして記録されねばならない”と。
 言葉の通り、3年後にワシントン大行進、4年後に人種差別を撤廃する「公民権法」が成立したのは歴史の事実です。博士の運動は、人類の「偉大な出来事」の一つとなったのです。
 ワシントン大行進の演説で、博士は「夢がある」と9回語りました。最初には「それでもなお(still)」という言葉が付いていました。博士の「夢」とは、どんな困難があろうと達成するという「誓い」の異名であったのです。  

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2014年08月27日

宮城県・女川町とカナダのネルソン市

 震災で大きな被害を受けた宮城県・女川町。カナダのネルソン市から大きな援助を受けました。
 女川湾を望む小高い場所に碑があります。昭和20年8月9日の事です女川は、米英そしてカナダの艦載機に攻撃を受けました。攻撃は翌日まで続き、150人以上が亡くなったといわれています。この攻撃の指揮をしたロバート・ハンプトン・グレー大尉の搭乗機は、被弾し墜落しました。
 敷地の碑はグレー大尉を慰霊するものです。大尉はカナダのネルソン市出身でした。大尉は、いわば、女川攻撃を指揮した「敵」でした。しかし女川の人々は、「昨日の敵は今日の友」(碑文から)と、記念碑を建立したのです。敵味方なく「全員の霊を慰め」、「平和」の「徴し」となることを願って。女川町とネルソン市の交流の原点がここにあります。  

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2014年08月26日

過去にこだわらない

 数学者の故・森毅氏。彼は評論家としても活躍し、特に教育問題に関心が深く、青少年にエールを送り続けました。
 中学生に、こう語っています。「過去にこだわって、これからもダメだと思いこんでしまっては、確実に未来はダメになる」「たしかに、人間の現在があるのは、過去の自分の上にのっかっている……しかし、いま考えるべきことは、現在の自分をのせている過去ではなくて、その自分が、未来へ向かって動きだすことである」(『まちがったっていいじゃないか』ちくま文庫)  

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2014年08月25日

ミカン

 ある幼稚園の園長の話です。園内でとれるミカンは毎年、園児全員で分けても余るほどでした。しかしある年、天候不順のため、わずかしか実らなかった時があったそうです。どうすればいいか。園児たちが年少、年中、年長に分かれて話し合ったそうです。
 その結果「夜、こっそり取ってしまおう」と考えたのは年少。年中は「ひと房ずつ、みんなで分け合えばいい」。年長は「僕たちは毎年食べてきたから、年少に譲ろう」と。小さな体は、人を思いやる心とともに大きくなっていきます。1歳ずつ年の離れた子を預かる園長ならではの気付きだと感嘆したと述懐していました。
  

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2014年08月24日

トップの記事

 インターンシップ(就業体験)で来た女子学生に、ある地方紙が小さな書道展を取材してもらいました。原稿用紙と格闘した彼女の記事は、いい内容でした。そこで、あらためて取材し直して出来た記事は、社会面のトップを飾ったそうです。
 女子学生が取材した出展者は、病気でほとんど目が見えなくなっていました。しかし「目が見えていた証し」として、書道の作品を書き続けていたのです。
 インターン研修生でも、トップの記事を書けた。なぜなら――と、当時の社会部長は語っています。「研修生が書くわけではなく、相手が書かせてくれるわけですから」(『「知」の挑戦 本と新聞の大学Ⅰ』集英社新書)と。  

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2014年08月23日

ともに生きる

 災害・事故などで、大切な人を失う。絶望と悲しみのふちから立ち上がるには「死者とともに生きる」ことが欠かせないといわれています。
 中島岳志氏(北海道大学公共政策大学院准教授)は、自らの体験を踏まえつつ、そのように考えています。死者は思い出の中によみがえり、今なお忠告や励ましを送ってくれる。「私自身の主観の中で、私は亡くなったその彼と、もう一度出会い直している」と氏は語るのだ(『いわきから問う 東日本大震災』東日本国際大学東洋思想研究所編、昌平黌出版会)  

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2014年08月22日

大先輩を宣揚

 「小京都」と呼ばれる風情豊かな地域があります。それは秋田県仙北市です。ここには「みちのくの小京都」角館があり、旧盆の15日、400年続く鎮魂行事「ささら舞」が披露されました。
 「山には山のいのちあるかも 抱かれて朝夕あるに心足る」(遠藤桂風)と詠まれるように、山懐の自然に抱かれながら、角館の人々は伝統を受け継ぎ、心を磨き、文化を育んできました。
 ここから多くの文化人が世に出ています。例えば、美術家で歌人の平福百穂は、「岩波文庫」の表紙の装丁で知られています。江戸中期の画家・小田野直武は、日本初の本格的西洋書の翻訳本『解体新書』の挿絵を描きました。だが、その名は歴史に埋もれていました。
 しかし、小田野の没後150年に一書を著し、同郷の大先輩を宣揚したのが、平福でした。彼は『日本洋画の曙光』という書名に、小田野の画業の先駆的意義を込めたのです。
  

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2014年08月21日

笑顔

 女性が「笑顔」になる1日の平均時間は2時間41分で、男性の2倍以上あるそうです。女性は、どの年代でも高水準なのに、男性は年代が高くなるにつれ減っていく。と、ある生命保険会社のアンケート結果を、共同電が伝えています。この発表に関して、「女性は子どもや家族、地域など、交流場面が多彩なため、笑顔の時間が長いのでは」と、同社は分析しています。
 童話王アンデルセンは謳っています。「わらいはどんなかなしみをもやわらげる」「わたしたちのほめたたえる人は/たいていわらったことで幸福をえたのだ!」(山室静訳『世界の詩73 アンデルセン詩集』彌生書房)と。“生きる喜びと素晴らしさ”を実感させる、笑顔が絶えない社会を築いていきたいものです。
  

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2014年08月20日

遠い話

 戦争を経験した作家の奥田継夫氏は、戦時を生きた「語り部」だけでなく、次世代の「語り継ぎ部」の育成が急務と訴えています。終戦69年。たいまつのように平和の尊さを未来に伝えることは、現代に生きる大人が、先の大戦で犠牲となった方々に対して果たすべき責任でしょう。
 20代の社会学者・古市憲寿氏が『誰も戦争を教えてくれなかった』(講談社)を著したように、身近に戦争経験者が少なくなり、自ら知る努力をしなければ、戦争は机上やテレビの中の〝遠い話〟となります。  

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2014年08月19日

素晴らしいゴール

 「もったいない」を世界に紹介し、日本の私たちにも勇気と希望を贈ったのは、ケニアの故・ワンガリ・マータイ博士です。彼女がリードした「グリーンベルト運動」は女性の心を変革した運動でもあったのです。
 当初、農村の女性たちは、専門家から苗木の育て方を教わるが、専門用語が多く分からない。「自分たちの経験と常識を信じてやってみよう」。そう決意したところから知恵が発揮され、専門家も驚く成果を上げたのです。
 「やればできる!」。目覚めた女性の連帯は、ケニアの民主主義運動の一翼を担うまでになったのです。だが、旧政権によるマータイ博士への弾圧は激化しました。こん棒で殴られ、意識不明に陥ったことも。それでも怯まなかった博士。「恐怖に負けてはいけない。前を見るのです。遥かに素晴らしいゴールがあると思えば恐怖も克服することができます」と。
  

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2014年08月18日

地水火風空

 人間を元素に分解すると、61%が酸素、23%が炭素、10%が水素、2・6%が窒素、1・4%がカルシウム、1・1%がリン……。必要な元素は20種類以上になるそうです。また元素レベルで見ると、構成比は違うものの、宇宙も人間も共通の元素を持っていることが解明されています。
 仏教では、全ての存在は「地水火風空」の五大から構成されるとしています。鎌倉時代、日蓮大聖人は弟子の阿仏房に「今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり」(創価学会版・御書1304ページ)と仰せです。妙法は、宇宙と生命を貫く根本法則であり、私たちの祈りは、「大宇宙」と、人間生命という「小宇宙」との交流の儀式ともいえるのです。
  

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2014年08月17日

平和の種

 女優の吉永小百合さんにその手紙が送られたのは、3年前の2月の事でした。英オックスフォード大学日本問題研究所の苅谷剛彦教授からでした。吉永さんのライフワークである原爆詩の朗読会を、同大学で開きたいという。”吉永さんの平和への思いを「種」として、この大学にまいてほしい”。教授は思いを切々とつづった。そして”その種は、きっと学生の心の中で根を強く張り、いつか平和に向かう大きな森に育っていくと信じています”と。
 8カ月後、朗読会は実現しました。聴衆は百数十人と、それほど多くはない。しかし、未来を担う若者の心に、平和の種は確かに植えられました(早川敦子著『吉永小百合、オックスフォード大学で原爆詩を読む』集英社新書)  

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2014年08月16日

一流

 「行動は言葉より雄弁」とは、150年前に奴隷解放宣言をした米リンカーン大統領の言です(高木八尺・斎藤光訳『リンカーン演説集』岩波文庫)。
 誠実、懸命な振る舞いは必ず人に伝わり、感動を呼びます。技術を磨くことは勝つための前提条件である。その上で、高いレベルでの勝敗を分けるのは、その技術を表現するために、心を磨いているかどうか。それを知る人を「一流」と呼びます。スポーツであれ、仕事であれ、どんな世界にも通じる方程式です。  

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2014年08月15日

20世紀の教訓

 日本語に置き換えにくいカタカナ語の一つに「アイデンティティー」があります。「自己同一性」「主体性」「帰属意識」「自分らしさ」などとカッコ書きされます。要するに「あなたは何者?」と問われた時の「答え」なのです。
 しかし、国家や民族への帰属意識をことさら強調する社会は、危険な国家主義や民族主義に傾きがちとなっています。違いを煽ることで隣国や異なる民族と紛争の泥沼に陥ってきたのが、20世紀の教訓なのです。
  

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2014年08月14日

ひたむきな歩み

 「吾、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず……」。これは有名な孔子の人生訓です。しかし、これを裏から読むと面白い光景が見えてくる、と中国古典研究者の守屋淳さんは語っています。
 つまり、孔子でさえ十四歳までは学問に志さなかった。二十九歳までは自立できなかった。三十九歳までは惑いっぱなしだった……。孔子の偉大さは「常に、自分の弱点を自覚し、それを克服しようと努力し続けた」この点にあるのでは、と守屋さんは考える(『「論語」に帰ろう』平凡社新書)
 人間はいくつになっても“未完成”なのです。孔子も、そうでした。六十歳近くまでは他人の忠告を素直に聴けず、七十歳近くまでは欲望のままに振る舞うと周りに迷惑をかけてしまったというのだから。
 とはいえ、彼の生涯を一貫して彩るものは、学問に発憤しては食事も忘れ、道を楽しんでは心配事も忘れ、「老いの将に至らんとするを知らざるのみ(やがて老いがやってくることにも気づかずにいる)」(金谷治訳注『論語』岩波文庫)というほどの、ひたむきな歩みでした。  

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2014年08月13日

人材は実践の中で 育つ

 軽妙なトークで場を盛り上げ、テレビに欠かせないお笑い芸人。毎年のように新しい人が現れ、お茶の間を賑わせます。だが、だれが今年売れるかを予想して当てるのは至難の業という。それは、人々が求める笑いは常に変化するからなのです。
 業界を牽引する吉本興業の大サキ洋社長が語った人材育成法は興味深いものがあります。売れる「面白い人間」をどうやって育てるか――。理屈を学び、練習すれば面白くなるとも、売れている人間から教われば面白くなるともいえない。だからこそ、持ちネタを披露する、多くの「場を与える」ことに力を注ぐ。客の前でネタを披露する実践の中で、才能をめきめきと開花させていくのだという。ここにも「人材は実践の中で 育つ」という鉄則が生きています。  

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2014年08月12日

一冊の本

 32年前の夏。卒業を翌年に控えた創価大学生の集いに、創立者の池田名誉会長が出席し、ある映画の一シーンを語ったことがありました。
 軍隊で鬼のような上官から侮辱される青年。彼が肌身離さず持っていた一冊の本。それはモンテーニュの『随想録』だった。本を読んでいると言っては殴られ、本を蹴飛ばされ、ついに裂けてしまう。若き日に同書を愛読した創立者は、青年の苦悩を分かち合うかのように回想しました。そして『随想録』の一節を紹介し学生を激励。「真っすぐな櫂も水の中では曲がって見える。単に物を見るだけではなく、いかに見るかということが大事」――社会の荒波に立ち向かう学生にとって、「真っすぐな櫂」は、まるで自身の象徴のように思えた事でしょう。  

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