2014年08月05日
玉川上水
東京にある玉川上水は今から361年前、江戸幕府の命を受けた玉川庄右衛門、清右衛門兄弟によって開削されました。上流域では、今も水道水の原水として使われています。
上水は、わずか8カ月で完成したが、事業は困難の連続でした。多摩川の取水口(羽村市)から終点の新宿御苑付近に至る43㌔は、ほぼ平たん。標高差は92㍍しかありません。一説には、微妙な勾配を見極めるため、線香束の火を光源にした方法で、夜間に測量を重ねたとも伝えられています。
さらに、地質の問題による経路変更もありました。こうした問題から、幕府から与えられた資金が底をつき、玉川兄弟は家を売って事業を続けました。しかし〝水不足に苦しむ庶民のため〟という大情熱が、兄弟を突き動かしました。
羽村取水堰の近くには2人の銅像が立ち、流れを見守っています。人の寿命は尽き果てても、ささげた誠は、受け継ぎ守る人を得て、百年千年の時を潤し流れるのです。
上水は、わずか8カ月で完成したが、事業は困難の連続でした。多摩川の取水口(羽村市)から終点の新宿御苑付近に至る43㌔は、ほぼ平たん。標高差は92㍍しかありません。一説には、微妙な勾配を見極めるため、線香束の火を光源にした方法で、夜間に測量を重ねたとも伝えられています。
さらに、地質の問題による経路変更もありました。こうした問題から、幕府から与えられた資金が底をつき、玉川兄弟は家を売って事業を続けました。しかし〝水不足に苦しむ庶民のため〟という大情熱が、兄弟を突き動かしました。
羽村取水堰の近くには2人の銅像が立ち、流れを見守っています。人の寿命は尽き果てても、ささげた誠は、受け継ぎ守る人を得て、百年千年の時を潤し流れるのです。