2011年12月31日

楽観主義で

 吉田松陰は、大情熱で維新の英傑たちを薫育したことで知られますが、ユーモラスな一面もあったようです。
 例えば、松下村塾の増築工事を行った時のこと。塾生の品川弥二郎が、はしごの上から誤って壁土を落としました。なんと、それが松陰の顔に当たってしまいました。恐縮する弥二郎に対し、一言。「弥二よ、師の顔にあまり泥を塗るものではない」。時に議論が白熱する松下村塾にあって、しゃれや冗談をひねる松陰の人柄が、雰囲気を和ませた(一坂太郎著『時代を拓いた師弟』)

 悲観主義より楽観主義です。平成23年も今日で終わりです。良いお年を・・・・・


   

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2011年12月30日

人生の山の登攀

 文豪・ショーロホフは綴りました。「重要なのは頂上に達すること、どんなことがあってもたどり着くということだ!」(昇曙夢訳『祖国のために』角川文庫)と。
 今年もあと2日となりました。山の頂上に立てば展望は開けます。厳しい人生の試練も、勝ち越えた先に必ず喜びが待っています。そのことを確信し、明年も人生の山の登攀に挑んでいきます!  

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2011年12月29日

80歳でのエベレスト登頂を目指す

 平成20年5月、冒険家の三浦雄一郎氏がエベレストの登頂に成功しました。その時、氏は75歳。世界の頂上で、突風にあおられながら、無線を通じて、こう語りました。「本当に涙が出るほど、つらくて、厳しくて、うれしい」(『75歳のエベレスト』日本経済新聞出版社)

 60歳を過ぎてトレーニングを始めた三浦氏。過酷な労苦があっての、最高峰到達の喜びである。現在、80歳でのエベレスト登頂を目指すそうです。

http://www.aokisatoshi.com/interview/vol1-3.html  

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2011年12月28日

ヤクノヒナホシ

 4年前の平成19年11月に屋久島で新種の植物「ヤクノヒナホシ」が発見されました。悠久の歴史を超えて初めて人間に姿を見せたのは、直径5ミリほどのコンペイトウのような愛らしい花でした。また、この年の12月中旬には、インドネシア・パプア州の山中で、2種類の新種のほ乳類が見つかり、話題となりました
 動植物の“新発見”は、21世紀にも相次いでいます。一方で、急激な地球温暖化や環境破壊の実態を見れば、“人間が発見する前に絶滅させている種”も多いのではないか、との懸念を抱かざるをえません。
 環境問題は結局、「人間の生き方をどうするか」に帰着します。すなわち、個人の尊厳を冒すことなく、他者や他の生命と共生する道をどう打ち立てるかです。


ヤクノヒナホシ
http://www.asyura2.com/07/nature2/msg/463.html  

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2011年12月27日

歌の力

 古代中国の時代の出来事です。漢軍に完全に包囲され、楚の覇王・項羽は追い詰められていました。そのとき、どこからともなく故郷の歌が聞こえてきた。漢軍に下った、楚の兵士の歌声でした。懐かしい歌を聞き、望郷の思いにかられた兵士たちは戦意を喪失し、項羽は「漢は、もう楚を取ったか」と絶望しました。
 これは、孤立無援を意味する「四面楚歌」の故事ですが、中国の文豪・郭沫若氏は「楚の覇王にいかに山を抜き世を蓋う力があっても、ついに歌声に敵し得なかった」と、歌の力を強調しています。

 郭氏は「歌声が楚軍を打ち破ったのだ」と。歌には「味方の力を団結させる」力と「敵の士気をくじく」力がある、と(小野忍・丸山昇訳『郭沫若自伝6』東洋文庫)。先の故事は後者の例。前者の例は、「歌う革命」と呼ばれたバルト3国の独立運動をはじめ、無数に挙げられます。

項羽
http://dic.nicovideo.jp/a/%E9%A0%85%E7%BE%BD  

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2011年12月26日

日記や手紙

 年末になるとベートーベンの、「第九」の演奏が恒例になっています。

 耳が聞こえなくなったベートーベンは31歳の時、「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれる手紙を書きました。日ごとに悪化する難聴への絶望。だが彼は厳と綴った。「自分に課せられていると感ぜられる創造を、全部やり遂げずにこの世を去ることはできない」(小松雄一郎編訳、岩波文庫)
 その後、「第九」をはじめ傑作を次々に世に送り出しました。彼は、遺書というより今までの自分と決別するために書いたともいわれています。

 私たちも、日記や手紙など文字で自身を見つめ、1年を振り返り、総括することにより、明年への決意を新たにできます。  

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2011年12月25日

新しいことに挑戦

 3年前に公開された映画「私は貝になりたい」。中居正広さんがこの映画に出演を決めた理由について、「『成功』は約束されないけれども、『成長』は約束されてるんじゃないかと思ったんです」と語っています。

 中居さんは、この映画の出演で「自身の成長」に“希望”を見いだしました。逆に言えば、ここに真の成功の因があったと。自身の成長なくして、「成功」を手にすることはできません。自分が成長した分だけ、「成功」に近づくことができます。しかも、その「成功」は、より実り多いものとなることでしょう。

 私たちは、何か新しいことに挑戦しようとする時、私たちはそれが「成功」するかどうかを気にします。「失敗する確率のほうが高い」と思ってしまうのが私たちです。その自身の不安を振り切ったとき、成功に一歩前進します。
 人は誰びとも、“約束された将来”などあり得ません。それでも、未来に何らかの“希望”を見いだせなければ、人は前に進めません。
 今年も後わずかになりました。明年は弱い自分に挑戦して、何か新しいことに挑戦しませんか。
  

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2011年12月24日

“未来の宝”

 日本の学校でもあるのでしょうか? 満点が20点のテスト。その最高点は「22点」――フランスの小学校では、あり得るケースだそうです。

 フランスでも模範解答、配点は、あらかじめ決められてはいますが、文章での解答形式が多く、子どもたちの答えは多種多様。模範解答を超える“想定外”の素晴らしい答えには、5点満点の設問にも、6点や7点が与えられる(田崎真也著『言葉にして伝える技術』祥伝社新書)そうです。

 その背景に見えるのは、子どもたちの持つ豊かな創造力。そして、それを抑えつけず、どんどん伸ばそうという教育哲学が感じられます。もちろん、集団教育の場に、一定の基準や規律は必要です。しかし、子どもたちを見る目まで“枠”にとらわれては、無限の可能性を開花させることはできません。

“未来の宝”に秘められた力は、大人の常識や経験では、はかり知れません。
  

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2011年12月23日

のらくろ

 昭和を通じ、子どもたちに絶大な人気を博した漫画に「のらくろ」がありました。私は戦後生まれなのですが、子どもの頃に見たような記憶があります。この「のらくろ」実は“雑誌を買えない子”のために誕生したそうです。

 当時、子どもの年季奉公や職人見習が珍しくなかった昭和初期。貧しい彼らに、少年誌は高根の花でした。豊かな子弟から借りて、回し読みするのが精いっぱい。作者の田河水泡は、何百万人といたであろう、そうした健気な子たちに思いをはせ、「のらくろ」を書き始めました。
 主人公は、天涯孤独の野良犬に決めました。社会から見向きもされないような犬が、失敗を繰り返しながらも成長していく姿を描くことで、“買えない子”に声援を送ったのだ(NHK映像ファイル「あの人に会いたい」)と。

のらくろ
http://www.youtube.com/watch?v=CK3Gj9rpLw4
  

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2011年12月22日

「異体同心」の団結

 戦いにおいて、団結の重要性は、どれほど強調しても強調し過ぎることはありません。思いの合わぬ人間がいかに集まっても、結局は「烏合の衆」となり、勝利をつかむ事はできません。仏法では、心を合わせる「異体同心」の団結を重視しています。
 
 日本中世の軍記物として有名な「平家物語」に、そうした逸話が登場しています。破竹の勢いで平家を追討した源義経に関するエピソードです。
 屋島の戦いに船出する淀川河口で、軍議に臨んだ義経。部下から、平家方の攻撃に備えて、船を後退しやすくするよう進言されましたが、それを「逃げ支度」と罵倒します。生じた感情の“しこり”は解けるどころか、その後、事有るたびに増幅していきます。結果、機転・行動力にたけた義経も、平家滅亡の後、非業の最期を迎えることに。

 相手への深い信頼を欠いた言動は、感情的な反発を生み、団結が破れる因となります。逆に、相手へのこまやかな配慮は、団結の“核”として、皆の心を結びます。「異体同心」の団結が勝利への道です。
  

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2011年12月21日

温かい支え

 フロイトの心理学は、患者に人間としての「自立」を求め過ぎています。人生においては、むしろ「成熟した依存関係」をはぐくむことが大切だ――これは米国の心理学者・コフートの主張です(和田秀樹著『「自己愛」と「依存」の精神分析』PHP新書から)

 「一人立て」との呼びかけも、「一人を大切に」という温かい支えを伴ってこそ、真実の力となるにちがいないとおもうのだが――

フロイト
http://www.d4.dion.ne.jp/~yanag/kora6.htm

コフート
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%88  

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2011年12月20日

和の本来の姿

 「和」の字は、さまざまな意味を持ちます。和服、和食といった使い方は、「日本独自のもの」であることを示します。
 しかし、例えば、着物は「日本独自のもの」なのでしょうか? その起源をたどってみると古代中国の衣装にたどり着きます。材料の絹や木綿も中国から渡来しました。
 和食の代表ともいえる、天ぷらの原型が大航海時代、ポルトガルから伝わったことは有名な話です。このように「和」を冠しても、実際には「外国」由来の物が混在しているところが興味深いものです。これらは、「日本独自のもの」というより「日本で進化したもの」と呼んだほうが・・・・・
 
 俳人の長谷川櫂氏は指摘します。西洋化された住宅の中に、畳の間が違和感なく存在している――つまり、異質のもの、相容れないもの同士が引き立てあいながら共存すること。それが日本人が培ってきた和の本来の姿である、と(『和の思想』中公新書)
  

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2011年12月19日

フィッシャーマン(漁師)セーター

 一段と寒さが厳しくなってきました。私の住んでいる所から伊吹山や御岳などを見ると、いつの間にか白雪がかかっています。
 この季節、時代を超えて人気のある服に、フィッシャーマン(漁師)セーターがあります。アイルランドのアラン諸島が発祥だそうです。
 特徴は、縄を編んだような柄で、模様は各家庭で異なります。この地方では母から娘、嫁へと代々、その家庭の、柄と模様が編み継がれてきています。
 北の海での漁は、死と隣り合わせです。万が一の海難事故のとき、身元判別になったともいわれている(野沢弥市朗著『アイルランド/アランセーターの伝説』繊研新聞社)。夫や息子らの無事と豊漁への願いを編み込む女性たちの思いは、どれほど深かったことでしょう。

フィッシャーマン(漁師)セーター
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20110124/1034273/  

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2011年12月18日

最上川夢の桜街道

 山形県を流れる最上川の流域に美しい桜街道を造る取り組みが、各市町村で進められています。これは最上川が流れる地域の景観向上を目的に、各市町村が選んだ場所に苗木を植え、従来の桜の名所とつなげて“花の回廊”を築く一大プロジェクトです。
 関係者は「この寒い季節が勝負所」と語っています。「剪定、植樹、桜守の現地研修など、厳寒の冬に行う準備が、春の開花を左右します」と。

最上川夢の桜街道
http://www.mogamigawa.gr.jp/sakura/about/forum01.html

 桜と言えば岩手県・越前高田市で「桜ライン311」の推進が始まっています。311はあの東日本大震災の3月11日のことです。越前高田市も多大な被害を受けました。この計画は津波の到達地点に10メートル間隔で桜の木を植え、津波と震災の記憶を後世に伝えるものです。

桜ライン311
http://sakura-line311.org/  

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2011年12月17日

新しい手帳

 平成23年もあと2週間。そろそろ明年の準備を始めています。一番に行うのは、新しい手帳に新年の予定を書き込みます。その横には、この一年お世話になった手帳が、"まだまだ予定はありますよ"と。
 今年の手帳を持ち、ページを繰り、振り返ると、あれもできた、これもできたと、目的を果たせた充実感がある半面、あれはできなかった、これもできなかったと、及ばなかった苦い経験が蘇ります。
 誰でも失敗はしたくない。必ず勝って喜びを得たい。が、そうはならないのが人生の一面でもあります。成功と失敗。勝利と敗北。この繰り返しこそ、人が歩む道なのでしょう。

 冒険家の堀江謙一氏は「冒険航海でも、目的地に向かって進む過程は、常に失敗の連続」と。だが、そこに意味があることを指摘し、若い時は失敗を恐れず挑戦をと語っています。

 若いころに挫折を経験するのは悪くない。と述べるのは作家の塩野七生さん。「それによって、自らに疑いをいだくことを学ぶようになる。次なる跳躍は、これまでのやり方に疑いを持つことなしには絶対に訪れない」とも(『日本人へ 国家と歴史篇』文春新書)

 失敗を生かすとは、そういうことだろう。なぜ果たせなかったのか。謙虚にして冷静な眼を自分に向け、敗北を踏み台にして戦いを開始できるかどうかです。この勇気と賢明さを持つ人が次の勝者となります。
  

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2011年12月16日

一家の歴史の象徴

 今では珍しいですが、囲炉裏に鍋をかけるため天井の梁からつるす民具に「自在鉤(じざいかぎ)」があります。
 山形・庄内地域の郷土資料館にあるものは、鉤を支える竹筒に何本もの縄が巻き付けられ、直径が約50センチにもなっています。
 かつてこの地域では、大みそかを迎えるたび、新年への決意を込め、新たに1本の縄を巻いていたそうです。その太さこそ一家の歴史の象徴であり、刻んできた「節目」が一目でわかるわけです。

http://www.youtube.com/watch?v=JEOmavai6yA  

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2011年12月15日

 “顔がない”“顔が見えない”といわれる今の社会。政治家には、国民の顔が見えていません。そして、ネット上には“顔の見えない暴言”が氾濫しています。互いの<顔>が見えないところに、不幸と悲劇は生れます。

 哲学者E・レヴィナスが指摘したように、他者性のシンボルは<顔>でr(『全体性と無限』岩波文庫)。<顔>が浮かぶ。それは人権意識の表れです。<顔>を忘れたとき、自らの心の中で相手は“モノ”と化しています。
  

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2011年12月14日

優れた人材

 古代中国の名宰相・周公は、人が訪ねてくると、沐浴中でも3度、洗髪を中断し、食事中でも3度、吐き出して、迅速に応対したそうです。それほど誠実に接しても、どこかで礼を欠いて優れた人材を見逃していないかと常に心配していたという(司馬遷『史記』)

 同じく中国の古典『貞観政要』にも、人材の発掘にまつわる話があります。「登用すべき人材が見あたらない」と言い訳をする臣下に、唐の名君・太宗は「いつの時代でも賢才がないということがあろうか」と。逸材がいるのにそれを見逃してはならぬ、と注意を促したそうです。

 この周公や太宗は、“世の中には、自分が気付いていないだけで、必ず有能な人物がいる”と信じていました。だからこそ、日ごろから寸暇を惜しんで人材を見つけることに心を砕いたのでしょう。
  

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2011年12月13日

望遠鏡が宇宙を変えた

 先日、皆既月食が日本列島の津々浦々で見れました。冬の星天は、ひときわ美しいものです。またたく光は、はるか彼方から長遠な時間を経て、私たちに降り注ぎます。宇宙は壮大ですね。その探究の旅は約400年前、イタリアのガリレオ・ガリレイが“筒眼鏡”を夜空に向けた時から加速しました(リチャード・パネク著『望遠鏡が宇宙を変えた』東京書籍)

 ガリレオの“筒眼鏡”からは、月面の山や谷、無数の星の集合だった天の川が――。これは当時の天文学の常識を覆す発見でした。しかし、周囲の眼は冷ややかでした。中には“彼が筒眼鏡に惑星を張り付けたのだ”と難癖をつける者もいたようです。
 “あり得ない”という世の人々の固定観念。しかし、ガリレイら学者たちは自身の信念を貫きました。彼らの真理探究への執念が、新たな発見を生み出す原動力となったのです。

ガリレオ・ガリレイ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%AC%E3%82%A4  

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2011年12月12日

昔は書籍は大変に貴重でした

 デジタル書籍は本を持ち歩かなくてもいつでもどこでも読めます。しかし、中世の昔は書籍は大変に貴重で、ヨーロッパの図書館では鎖につながれていたそうです。その鉄鎖を断ち切った力とは何か。印刷機の普及でした。大量に印刷・製本ができるようになり、多くの人が、同じ本が読めるようになったのです。

 ナポレオンは、印刷に深い関心を寄せていました。遠征中でも旗艦に印刷設備を整え、指令や布告を刷ったそうです。占領したエジプトでは、印刷機を駆使して文化の興隆に力を注ぎ、日刊新聞も発行した(D・J・ブアスティン著『大発見』鈴木主税・野中邦子訳、集英社)

ヨハネス・グーテンベルク
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF  

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