2011年12月11日

同じ生きるのなら、善をなせ、正義に生きよ

 早いもので今年も、あと3週間となりました。一年を振り返って、私は「今年はこれを成し遂げた」と胸を張れる人は幸せです。多忙な中にも、大いなる理想と目的に生き抜く人生には生命の充実感があります。

 世界文学の最高峰と評されるダンテの『神曲』。その中にハッとさせられる一節がありました。ダンテが師ウェルギリウスと地獄の門をくぐると、そこには嘆きの声を上げる亡者の群れがいました。この人たちは誰か?――ダンテの問いに師は答える。「これこそ、恥もなく、誉もなく、凡凡と世に生きた者たちの、なさけない魂のみじめな姿」(寿岳文章訳)と。
 悪はなさないが善もなさなかった傍観者をダンテは糾弾した。中途半端に生きた人間は結局、中途半端にしか死ねない。同じ生きるのなら、善をなせ、正義に生きよ!――不屈の詩人の叫びは、時代や宗教の違いを超えて輝きを放っています。

 私たち人間は、ともすれば困難や労苦のない安逸な世界に憧れます。しかし、建設や前進への苦闘なき自己満足の生き方は、いいように見えて真の魂の充足をもたらしません。  

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2011年12月10日

青年詩人

 多くの草花は、冬になれば花弁や葉、また、明るい色彩を失います。しかし、目に映る姿は、地味で味気ないかもしれないが、それは“永い冬”の間、滋養を蓄え、やがて美しい花を咲かせるため、懸命に耐えている姿なのです。

 「永い冬を耐えたわたしは/草のように甦える。/愉しげなひばりよ/どの畝からも歓喜に舞いあがれ」(「春」伊吹郷訳)。この詩の作者は戦争中、日本に留学した韓・朝鮮半島出身の尹東柱。日本の植民地支配に抵抗し、母国の文字ハングルで多くの作品を残した青年詩人です。
 これら数編の詩は、官憲の目を避けるため、土中に埋められました。その後、彼は治安維持法違反で逮捕され、1945年2月、27歳で獄死します。詩は、戦後になって日の目を見ました。不屈の魂は、不滅の共鳴を呼びます。彼の作品は現在、韓国や日本で広く読み継がれ、愛されています。

http://homepage2.nifty.com/taejeon/Dongju/dongju.htm  

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2011年12月09日

アメリカの心

 かつてアメリカで、この人物を描いた、こんな一文が感動を広げました。

 「小学校を中退した。田舎の雑貨屋を営んだ。破産した。借金を返すのに15年かかった。妻をめとった。不幸な結婚だった。上院に立候補。2回落選。下院に立候補。2回落選……」。この人こそ、アメリカ第16代大統領のリンカーンです。(ユナイテッド・テクノロジー社著『アメリカの心』岡田芳郎ほか訳、学生社)

 現在、アメリカで、全世界で「奴隷解放の父」と仰がれるリンカーン大統領の人生は、実は失敗続きだったのです。しかしリンカーンは「私は歩くのは遅いが、決して後戻りはしない」(鈴木有郷訳)と信念を貫き、偉業を成しました。
 人生の途上には、さまざまな起伏があります。今、悩みの真っただ中にある人もいるかもしれない。だが、最も苦労した人が、最も幸福を勝ち取れます。そう信じ、私たちも失敗を恐れないで、楽観主義で行きましょう。

http://blogs.dion.ne.jp/mrgoodnews/archives/2624611.html  

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2011年12月08日

旅する巨人

 大阪府の田尻町にある小学校。ここに日本を代表する民俗学者・宮本常一が、かつて教師として赴任していた学校があります。
 宮本常一は、第2次大戦前、戦中、そして戦後の高度経済成長期まで日本国中を歩き、調査を続けました。足で集めた膨大な調査データは、今も民衆史や民俗学研究には欠かせません。彼が生涯に旅した距離は延べ16万キロにのぼります。ゆえに彼は「旅する巨人」と呼ばれました。記録した写真だけで10万枚を数えます。なぜそれほどまでに歩いたのか。何を見、何を残そうとしたのでしょう。
 彼は言います。「一般大衆」は声を立てない。だからいつも見過ごされ見落とされる。しかし、耕地に、道に、あらゆるものに、そのつめ跡は刻みつけられている。それを書き残したい。そして、彼は日本の至るところに発見する。「むかしから戦争ぎらい」で、「生きぬく力をもち」「隣人を信じ」る「庶民」の姿を(「庶民の風土記を」から趣意)

 宮本常一データーベース http://www.towatown.jp/database/  

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2011年12月07日

近代史の奇跡

 「江戸無血開城」は、近代史の奇跡といえます。それは、時代も理念も社会構造も大きく異なるとはいえ、フランス革命やロシア革命は、一面から言うならば、おびただしい流血の惨事であったことを見ると。

 江戸へと進撃する薩長の官軍。迎え撃たんとする徳川勢。両者が激突すれば、江戸は火の海となり、多くの民が犠牲となったにちがいありませんでした。内乱の拡大は西洋諸国の介入を招き、日本は植民地にされていた可能性もありました。
 この無血開城が、勝海舟と西郷隆盛の肝胆相照らす交渉によって実現したことは、よく知られています。が、その陰には、女性の力も働いていたことを忘れてはいけません。

 その一人である、薩摩から輿入れした篤姫(徳川13代将軍・家定の正室)は官軍側に進撃中止の書状を送り、皇女・和宮(同14代将軍・家茂に降嫁)は公家側の説得に力を注ぎました。その間のドラマは、例えば作家・植松三十里さんの『天璋院と和宮』(PHP文庫)、『大奥開城』(双葉文庫)などに詳しく書かれています。

天璋院と和宮
http://30miles.moo.jp/2008/%E3%80%8E%E5%A4%A9%E7%92%8B%E9%99%A2%E3%81%A8%E5%92%8C%E5%AE%AE%E3%80%8F/

大奥開城
http://30miles.moo.jp/2008/%E3%80%8E%E5%A4%A7%E5%A5%A5%E9%96%8B%E5%9F%8E%E3%80%8F/
  

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2011年12月06日

歴史家ミシュレ

 歴史家ミシュレは「未来とは、すでにつくられて待つだけのものではない。それは、みずからが創造せねばならぬところのものである」(桑原武夫訳)と述べています。
 輝く未来は一人一人の胸中にあります。要は、それを引き出す努力をするか否かです。

ミシュレ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AC

 彼は、青年たちに、ナポレオンのロシア遠征の工ピソードを紹介しています。
                   「ナポレオン軍の老兵たちの思い 」より

 1811年、ロシアから敗戦の兵士たちが西へ西へと帰ってきた。リトアニアにもやってきた。時は冬。日に日に温度は下がっていく。そこに、疲れ果てたナポレオン軍の兵士たちが着いた。一般の家も、公共の建物も、中学校もいっぱいになった。兵士たちは雪の中を何百キロも歩いてきた。生きているのが不思議だった。彼らは、若き日から、ナポレオンとともに転戦また転戦してきた老兵たちだった。家を捨て、青春をかけ、何の名誉も求めず戦ってきた。彼らは、人々がたいてくれた火を囲んでいた。不思議なことに、老兵たちは、皆、眠らなかった。体力の限界を超えてきたはずなのになぜ?実は、彼らはあまりにも苦しみと疲労になじんだために、もう眠りを失っていたのである。休息する習慣が体から消えていた。それほど戦い抜いてきた。ある少年が、思いきって、老兵たちにたずねた。「皆さんはとてもお年を召しています。一体どうして、こんなお歳になって、おはな国を離れてきたのですか、しかも今回は、こんなにも遠くやって来るために?」老兵たちは、まっ白な大きな口ひげを引き上げて、あっさりと答えた。「あの方(編集部注“ナポレオン)を離れることができなかったからさ。あの方をたった一人で行かせることが、ね」
 これが、ナポレオン軍が魂の底から発した言葉だった。今までずっと一緒に戦ってきたんだ。だから、それがどこであろうと、最後まで一緒に行くのさ。ナポレオンが没落するとナポレオンが偉くした将軍たちは、次々と裏切っていた。しかし、その時も、位の低い老兵たちは、流刑の地・エルバ島にもついていった。
 
 歴史家ミシュレの叫び「才人なんか、いくらでもいる」「必要なのは気骨ある人物だ」 心を見なければ何もわからない 「ずっと一緒に行くのさ!」。それは気高く万人の胸を打つ声だった。それは単なる英雄崇拝でもなければ、強制でもなかった。同じ遠大な目的に向かって、ともに進んできた「心の絆」であった。ミシュレは青年に言う。学生よ!ここにフランスの宝ものがある。目には見えないが、この老兵の「心」こそ、フランスを偉大にしたものなのだ。学生よ。それを民衆に学べ!

 彼は、フランス革命からナポレオン時代という「英雄の時代」を描くに当たって、将軍たちや権力者たちの表面の動きよりも、歴史の底流を動かしている根源をつかもうとしました。その象徴のひとつが、老兵たちの「一緒に行くのさ」だったのです。
 彼は青年たちが「民衆の心」を知らないかぎり、何ひとつ真実はわからないことを見抜いていました。民衆の、心を知らないエリートたちは、何もわかっていないのだということを、声をかぎりに訴えました。
「ひとかどの気骨ある人物だけが必要です」「才気はあり余るほど余っています。ところが人物はまれです。人物が、人間が、真実現れ出ますように」(大野一道訳、前掲書)。そして叫んだ。青年よ!強くなりなさい。そのために、強い人々に近づきなさい。強くしてくれる人々に近づきなさい。
  

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2011年12月05日

一通の便りが・・・・・

 今年も年賀状を書く季節になりました。メール全盛時代とはいえ、年賀状は日本独自の伝統文化です。

 虚礼にするか実礼にするかは出す方の心根しだいです。相手の幸せを願う、感謝と思いやりの、手書きの「一行」があれば誠意は伝わります。小さな紙片に「大きな真心」を乗せて、新旧の友へ送りたいものです。

 日蓮大聖人は、弘安5年の正月7日、四条金吾をはじめとする人々に一通のお手紙を出されています。
    「春のはじめの御悦びは月のみつるがごとく・しをのさすがごとく・草のかこむが如く」
 弟子門下たちの新出発を祝う慈愛の心が脈打っています。“これほど励ましてくれる師がいる”。大聖人の真心に門下は、新年の決意を新たにしたに違いありません。

 時に、たった一通の便りが人の人生を変えることもあります。フランスの文豪ロマン・ロランの挿話です。無名の学生時代、トルストイに人生の悩みを訴える手紙を出しました。まだ若く、無名だったロマン・ロランに思いもよらず、大文豪から誠実な励ましの返信が届きました。歓喜した彼は、終生トルストイを人生最大の師と仰ぎ、数々の名作を著す文豪となりました。
  

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2011年12月04日

牛渡川

 バイカモが生育し、清流にすむ小魚をカワセミが狙い、そして晩秋にはサケが遡上してくる牛渡川は山形県の遊佐町を流れます。その川に架かる橋を渡るのに、10歩と要りません。幅わずか5メートルの川に、今年も数万のサケが帰ってきました。この集落で、ふ化事業が始まったのは明治41年(1908年)。今年で103年になるそうです。

 サケにとって、帰るべき母川は一つしかありません。たとえ、地図で判別しにくいほど小さな川であっても、サケは次に命をつなぐために、命懸けで世界の海を泳ぎ、「起点」の地を目指します。「起点」のあるなしは、人生にとっても大事なことです。それは、力強く生き抜く「原点」ともなります。


 バイカモ 冷たい流れのある川などで群生している多年草です。春から秋にかけて白い小さな花を次々に咲かせます。濃い緑色の葉はどんどん分裂し川の流れに沿って1mも伸びます。この草は止水では上手く育たず、特に水槽では水流のあるところに植えても難しい草です。
 東京の戸外では、特に流れを作らなくても消滅するようなことはありませんが、やはり山間の冷たい清流を好むようです。バイカモは漢字で梅花藻と書き梅の花に似た花が咲くことからきています。またこの草は山菜として食用にもなるようです。


牛渡川 http://www3.ocn.ne.jp/~tyokai/ushi.htm
  

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2011年12月03日

すみませんが

 道を尋ねる時、私たちは「すみませんが」という言葉を最初に添えませんか?実用からいうと、この言葉はなくてもよくて、「駅はどっちですか?」と言えば、用は足ります。しかし、それではあまりにぶっきらぼうです。「すみませんが」と言い添えることで、心の温かみが伝わってきます。

「すみませんが」等、簡単でも心を伝える“必要な言葉”を、いつも携えていたいものです。
  

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2011年12月02日

才能は必ず磨かれる

 私たちは人生で様々な困難に出あいます。しかし、それを乗り越えるたびに、きっと何かの才能を鍛え、生かしているのだと思いませんか。挫けず前を向いて進む限り、才能は必ず磨かれると思います。

 作家の井上靖氏は自伝的小説の中で、小学生時代、野山を駆け回る少年だったと記しています。一方、息子の修一さんが叔父から聞いた話によると、井上氏は座っていた畳がへこむほどの勉強家だったと語っています。正反対な証言ですね。
 
 修一さん曰く、父の井上氏は「才能に恵まれて後に小説家になったのではなく、才能はあったかもしれないが、子供の頃からずっと勉強を続けた末、幸運に恵まれて世に出たのである」(「北國文華」第12号、北國新聞社)と。勉強し続けるということ自体、氏の才能の一つだったのでしょう。

 才能は、人生において、どう花開き、実を結ぶか分かりません。ゆえに、一時の成功や失敗をもって、才能の有無を言うのは浅はかでは? 大切なのは、「誰でも才能が芽吹き成長する可能性の大地を、自分の中に持っている。」と、いうことでは無いでしょうか。

  

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2011年12月01日

カラッと笑顔で話しかけましょう

 顔の表情は基本的に、喜び、悲しみ、怒り、驚き、不安、嫌悪、の、わずか6パターンに大別されるそうです。それも世界共通だというから面白いですね。
 意識して表情をつくることもできますが、普通、意識しないでいることが多いのではないでしょうか。
よく不満や文句が「顔に出る」といいます。6種類の表情のうち、4種類が怒りなど負のイメージですから、気をつけたいものです。

 人類史で大弾圧を受けてきたユダヤの言葉に、「人間の中でも、賢い人ほど、よく笑う」とあります。「ユーモア」や「笑い」は、人間の強さを引き出す力となってきました。

 法華経に「五十展転の功徳(ごじゅうてんでんのくどく)」が説かれています。この意味は、法を聞いて歓喜した人が、至る所で喜びを語る。その話を聞いた人が、さらにほかの人に語っていく。50番目に聞いた人でさえ歓喜を得ることができます。最初に語った人の功徳は計り知れない、という意味です。
 笑顔や喜びは伝染し、幸福を呼びます。人に尽くせば、新たな生命力が湧いてきます。相手がどういう態度であっても、カラッと笑顔で話しかけましょう。そこから信頼と友情の連帯が幾重にも広がることを信じて。
  

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