2011年12月06日

歴史家ミシュレ

 歴史家ミシュレは「未来とは、すでにつくられて待つだけのものではない。それは、みずからが創造せねばならぬところのものである」(桑原武夫訳)と述べています。
 輝く未来は一人一人の胸中にあります。要は、それを引き出す努力をするか否かです。

ミシュレ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AC

 彼は、青年たちに、ナポレオンのロシア遠征の工ピソードを紹介しています。
                   「ナポレオン軍の老兵たちの思い 」より

 1811年、ロシアから敗戦の兵士たちが西へ西へと帰ってきた。リトアニアにもやってきた。時は冬。日に日に温度は下がっていく。そこに、疲れ果てたナポレオン軍の兵士たちが着いた。一般の家も、公共の建物も、中学校もいっぱいになった。兵士たちは雪の中を何百キロも歩いてきた。生きているのが不思議だった。彼らは、若き日から、ナポレオンとともに転戦また転戦してきた老兵たちだった。家を捨て、青春をかけ、何の名誉も求めず戦ってきた。彼らは、人々がたいてくれた火を囲んでいた。不思議なことに、老兵たちは、皆、眠らなかった。体力の限界を超えてきたはずなのになぜ?実は、彼らはあまりにも苦しみと疲労になじんだために、もう眠りを失っていたのである。休息する習慣が体から消えていた。それほど戦い抜いてきた。ある少年が、思いきって、老兵たちにたずねた。「皆さんはとてもお年を召しています。一体どうして、こんなお歳になって、おはな国を離れてきたのですか、しかも今回は、こんなにも遠くやって来るために?」老兵たちは、まっ白な大きな口ひげを引き上げて、あっさりと答えた。「あの方(編集部注“ナポレオン)を離れることができなかったからさ。あの方をたった一人で行かせることが、ね」
 これが、ナポレオン軍が魂の底から発した言葉だった。今までずっと一緒に戦ってきたんだ。だから、それがどこであろうと、最後まで一緒に行くのさ。ナポレオンが没落するとナポレオンが偉くした将軍たちは、次々と裏切っていた。しかし、その時も、位の低い老兵たちは、流刑の地・エルバ島にもついていった。
 
 歴史家ミシュレの叫び「才人なんか、いくらでもいる」「必要なのは気骨ある人物だ」 心を見なければ何もわからない 「ずっと一緒に行くのさ!」。それは気高く万人の胸を打つ声だった。それは単なる英雄崇拝でもなければ、強制でもなかった。同じ遠大な目的に向かって、ともに進んできた「心の絆」であった。ミシュレは青年に言う。学生よ!ここにフランスの宝ものがある。目には見えないが、この老兵の「心」こそ、フランスを偉大にしたものなのだ。学生よ。それを民衆に学べ!

 彼は、フランス革命からナポレオン時代という「英雄の時代」を描くに当たって、将軍たちや権力者たちの表面の動きよりも、歴史の底流を動かしている根源をつかもうとしました。その象徴のひとつが、老兵たちの「一緒に行くのさ」だったのです。
 彼は青年たちが「民衆の心」を知らないかぎり、何ひとつ真実はわからないことを見抜いていました。民衆の、心を知らないエリートたちは、何もわかっていないのだということを、声をかぎりに訴えました。
「ひとかどの気骨ある人物だけが必要です」「才気はあり余るほど余っています。ところが人物はまれです。人物が、人間が、真実現れ出ますように」(大野一道訳、前掲書)。そして叫んだ。青年よ!強くなりなさい。そのために、強い人々に近づきなさい。強くしてくれる人々に近づきなさい。


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