2014年10月24日
この世は喜びに満ちている
児童発達支援センター・しいのみ学園(福岡市)創設者の曻地三郎氏は、1年前の11月27日に亡くなりました。明治生まれの107歳でした。
彼は、99歳から毎年のように世界中で講演。101歳から始めたロシア語をはじめ、六つの外国語に親しむバイタリティーには脱帽しますね。
その氏が、死を考えるほど打ちのめされたことがあります。長男に続き、次男にも障がいがあると分かった時でした。しかし、その葛藤は同学園の創設につながるのです。障がい児のための教育制度が不十分だった昭和20年代のことです。
「苦しさを踏みつけて、その上で踊っている」――当時をこう振り返っています。氏は、子どもを抱いて死を考えるほどの苦しみを「踏みつけて」生きる、「愚痴をいわない」と誓った。前を見ようとすれば、この世は喜びに満ちている、と(『106歳のスキップ』亜紀書房)
彼は、99歳から毎年のように世界中で講演。101歳から始めたロシア語をはじめ、六つの外国語に親しむバイタリティーには脱帽しますね。
その氏が、死を考えるほど打ちのめされたことがあります。長男に続き、次男にも障がいがあると分かった時でした。しかし、その葛藤は同学園の創設につながるのです。障がい児のための教育制度が不十分だった昭和20年代のことです。
「苦しさを踏みつけて、その上で踊っている」――当時をこう振り返っています。氏は、子どもを抱いて死を考えるほどの苦しみを「踏みつけて」生きる、「愚痴をいわない」と誓った。前を見ようとすれば、この世は喜びに満ちている、と(『106歳のスキップ』亜紀書房)
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