2014年10月11日

思いを伝える難しさ

 「男が飛んだんだから、次は女の番だね」。人類初の女性宇宙飛行士・テレシコワさんの運命を決めたのは、「ガガーリン少佐、宇宙へ」の報を聞いた、母の一言だったそうです。
 幼いころにしてもらったこと、言われた一言が、後々まで心に残ることがあります。逆に、相手を思っての行いや言葉がうまく伝わらず、かえって反発される事もあります。
 「ある人は十銭をもって一円の十分一と解釈し、ある人は十銭を以て一銭の十倍と解釈すと。同じ言葉が人によって高くも低くもなる」。夏目漱石は、思いを伝える難しさを『虞美人草』に綴っています。  

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2014年10月10日

お茶の味と香り

 お茶の味と香りは、数種類の茶葉を混ぜ合わせる「合組」という作業によって決まるそうです。その為、茶葉の選択と組み合わせが、茶師の一番の腕の見せどころです。
 茶師の前田文男氏は、江戸時代からの伝統の技を受け継ぐ茶のプロフェッショナル。「思わずうなってしまうような特別なお茶は、欠点は多いが磨けば伸びる茶葉から生まれることが多い」と語る(『人生と仕事を変えた57の言葉』NHK出版新書)。欠点のある茶同士を組み合わせると不思議と欠点が消える、とも語っています。  

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2014年10月10日

お茶の味と香り

 お茶の味と香りは、数種類の茶葉を混ぜ合わせる「合組」という作業によって決まるそうです。その為、茶葉の選択と組み合わせが、茶師の一番の腕の見せどころです。
 茶師の前田文男氏は、江戸時代からの伝統の技を受け継ぐ茶のプロフェッショナル。「思わずうなってしまうような特別なお茶は、欠点は多いが磨けば伸びる茶葉から生まれることが多い」と語る(『人生と仕事を変えた57の言葉』NHK出版新書)。欠点のある茶同士を組み合わせると不思議と欠点が消える、とも語っています。  

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2014年10月09日

成功の秘訣

 「まだ下手な間は、人に知られないようにしよう。ひそかに習得してから人前に出れば、とても立派に見えるだろう」。こんなことを言う人は、一芸も物にできない――。と、『徒然草』で吉田兼好が断じています(第150段、趣意)
 “芸が未熟なうちから、上手な人の中に交じって、けなされたり、笑われたりしても意に介さず、打ち込む人は、ついに名人の域に達し、長所も伸び、名声を得る”と兼好は続けています。諸道に通じる「成功の秘訣」でしょう。人はやはり、人の中に飛び込んでこそ磨かれるのです。  

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2014年10月08日

故郷

 童謡の「故郷」の発表はなんと100年前です。時代を超越して、日本人の心の襞に染み込むこの名曲が、大震災以降、各地で歌われています。山河の思い出をかみしめ、父母や友の安否を問う。そして、「志をはたして」帰るべき郷里の自然美を歌い上げます。
 『詩経』に「心に在るを志と為し、言に発するを詩と為す」との言葉があります。作詞した高野辰之は当時、志半ばでした。しかし、努力を重ねて国文学の大家となり、郷土・信州の誇りとなったのです。   

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2014年10月07日

台地

 収穫の秋を迎えた台地の畑作地帯を歩くと、その豊かさに驚かされます。多くの台地には火山灰層があり、土壌の水はけが良いため、農業を営むには用水の整備が不可欠でした。
千葉の台地、北海道・十勝の台地――いずれもそうです。東京・小平市を流れる玉川上水も武蔵野台地にあります。当初は江戸市民の飲み水のためでしたが、新田開発の後は農地の灌慨に大いに役立ちました。
玉川上水を開削した玉川兄弟が、武蔵野台地を貫く難工事に挑んだのは約350年前。途中まで掘った後、水門を開けてみると火山灰層のために、水がしみこんで消えてしまった。2度目は岩盤に当たり、失敗。資金が底をつくと家を売り、ついに羽村から江戸まで水を引いたのです。
  

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2014年10月06日

ピア・サポート

 今、福祉や医療のさまざまな分野で、「ピア・サポート」という言葉が注目されています。「ピア」とは英語で「仲間」「同輩」などの意味で、上下関係のない、「同等」「対等」の仲間による支援を「ピア・サポート」と呼びます。
 病気や障がいを経験した人が、同じ悩みを抱える他の当事者を支える。その周りの家族や友人による「支えの広がり」も、広い意味での「ピア・サポート」です。福祉や医療の専門家は、その広がりの「一員」として支えます。
 「ピア・サポート」の基本的な考えは、「全ての人が回復することができる」ということ。「回復」といっても、病や障がいから回復するという話だけではありません。病や障がいは人生の一部です。それ以外に、人には多くの可能性があるのです。病や障がいがあっても、希望や夢を持って生きていけるはずです。その姿が、どれほど他の人たちのサポート(支え)になり、希望になるのです。  

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2014年10月05日

輝きを増していく姿

 この季節、公園には色付いた落ち葉やドングリが落ちています。それを見ると、いつの間にか秋の気配が濃くなってきたことに気付かされます。
 なぜ葉の色が変わるのか。それは葉の〝老化〟によって起こるとされています。日照時間がだんだんと短くなり、気温が低くなると、葉の細胞内でさまざまな変化が起こります。その結果として、全体として葉の働きが弱くなり、色素が分解されたり、新たに色素が合成されたりして、黄や紅に変わるという原理です。
 〝老化〟とはいえ、季節の移ろいに応じ、美しく色付き、輝きを増していく姿には、凜とした気品があります。
  

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2014年10月04日

熊本城

 熊本城の大きな特徴の一つが、加藤清正が近江国から連れてきた石工集団に造らせたとされる「武者返しの石垣」です。下部はゆるやかな傾斜ですが、上に向かうごとに急になる独特の造りとなっています。一見、裾は扇のように広がっているため容易に登れるように見えますが、上に行くほど反り返るため、現実には困難です。
 清正公が約6年かけて建てた熊本城が〝難攻不落の名城〟であることが証明されたのは、築城270年を経た1877年の西南戦争の時でした。官軍が立てこもる熊本城を薩摩軍が3日にわたって総攻撃するも、一兵たりとも入ることができず、籠城戦は官軍の勝利で終わりました。薩摩軍を指揮した西郷隆盛が「わしは官軍に負けたのではない。清正公に負けたのだ」と語った話が伝わっています。  

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2014年10月03日

助言

 運動会の季節です。「徒競走に出たくない」。運動会の前日、小学生が半べそで訴えたそうです。理由は、練習で何回走っても同じ子に負けるから、と。親が“走ってみないと結果は分からない”と諭しても、表情は曇ったまま。そこに高校で陸上部の姉が現れました。速く走るコツをアドバイスすると、小学生はニコニコと笑顔に変わったそうです。
 スポーツに限らず、習い始めの初心者にとって習熟した人の助言はありがたいものです。先輩が後輩に的を射た指摘ができるのは、自身もかつては初心者として、同じ過程を歩んできたからでしょう。  

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2014年10月02日

百科全書

 フランスの哲学者・ドニ・ディドロが生誕し301年。彼は、本文17巻、図版11巻の『百科全書』を編さんしました、18世紀フランスの哲学者の彼がこの仕事に着手したとき、34歳。意気盛んな青年でした。
 王侯、貴族、聖職者の特権階級が依然、民衆を支配していた当時のフランス。”人類の知の遺産”を体系化し、万人に開く百科全書は、保守勢力から徹底的に弾圧されました。ディドロは100日以上、幽閉され、当局は発刊を禁止、そして、誹謗・中傷の嵐……。仲間も一人また一人と去っていったのでした。
 だが、彼は屈しなかった。最大の支援者は民衆だった。予約購読数は当初の4倍に膨れあがり、政府も抑え切れなくなった。構想から26年後、ついに百科全書は完結したのです。ディドロは記しています。”人を偉大な事業に向かわせるのは、情熱、それも偉大な情熱だけだ”と。
 しかし、情熱だけなら、利己主義の人間にもあります。小さな自己を超えた、大いなる価値に人生をささげようという無私の”偉大な情熱”だけが、迫害の連続にあっても、人を支え続けるのです。  

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2014年10月01日

サラエボの冬

 東ヨーロッパのボスニア・ヘルツェゴビナの首都に、〝サラエボの冬〟という国際芸術祭があります。本年2月で30回目を迎えました。第1回は1984年。サラエボ五輪を記念して始まったそうです。
 この国には、90年代にボスニア紛争がありました。武装勢力に包囲されたサラエボでは、一般人さえ狙撃されました。そうした過酷な状況下でも、芸術祭は毎年、市民の手によって続けられてきました。驚くべき歴史です。
 13回目に出演した、国際的ピアニスト・舘野泉氏は感動を禁じ得なかったそうです。〝文化・芸術が自分たちを支え、未来への力となり、人と人を結ぶことを、不条理な世界の中でも信じ続け、実現してきた人々がいるのだ〟と(『ひまわりの海』求龍堂)  

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