2017年05月30日
小説家の有吉佐和子さん
「思い込んだら一直線」「天衣無縫の童女のおもむき」。友人だった小説家の有吉佐和子さんを、創価学会の池田先生はそう評しています。
有吉さんは、日本人にありがちな、場の空気を読む“あいまいの美徳”とは対極の人でした。認知症介護の現実を描いた『恍惚の人』をはじめ、先見の明ゆえに批判も多かったが、“世間が私を見る目が変わっても私は私”と信条を貫いた人でした。
自分の目で見て判断する彼女だからこそ、国交正常化前の中国に長く滞在し、“暴力宗教”などと色眼鏡で見られた創価学会のことも「まじめな団体」「若い人たちが多く、礼儀正しい」と、正確な目で評価しました。
その有吉さんが学会本部を訪ね、池田SGI会長と対談したのは1966年5月。“池田会長を中国に招待したい”という、周恩来総理の重要な伝言を携えていました。SGI会長はその2年後に日中国交正常化提言を発表。74年のきょう、初訪中を果たしたのです。同年12月には周総理との会見に臨んだ。以来、日中関係が嵐の時も、信義の道を貫き、友好の「金の橋」は揺るがぬものになったのです。
有吉さんは、日本人にありがちな、場の空気を読む“あいまいの美徳”とは対極の人でした。認知症介護の現実を描いた『恍惚の人』をはじめ、先見の明ゆえに批判も多かったが、“世間が私を見る目が変わっても私は私”と信条を貫いた人でした。
自分の目で見て判断する彼女だからこそ、国交正常化前の中国に長く滞在し、“暴力宗教”などと色眼鏡で見られた創価学会のことも「まじめな団体」「若い人たちが多く、礼儀正しい」と、正確な目で評価しました。
その有吉さんが学会本部を訪ね、池田SGI会長と対談したのは1966年5月。“池田会長を中国に招待したい”という、周恩来総理の重要な伝言を携えていました。SGI会長はその2年後に日中国交正常化提言を発表。74年のきょう、初訪中を果たしたのです。同年12月には周総理との会見に臨んだ。以来、日中関係が嵐の時も、信義の道を貫き、友好の「金の橋」は揺るがぬものになったのです。
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