2017年05月18日

慶長遣欧使節団

 仙台藩主・伊達政宗が派遣した「慶長遣欧使節団」がフィレンツェを訪れて401年。支倉常長らの使節団を乗せた船が、現在の石巻市を出航したのは1613年。慶長大津波が東北を襲った2年後でした。
 一行は、故郷の復興を願いつつ、命懸けで、7年の間に太平洋を2度往復し、スペイン国王やローマ教皇と謁見しました。だが、やがて日本は鎖国へ。交渉は実らず、壮挙は歴史の波間に埋もれてしまったのです。
 それが再び、日の目を見たのは幕末でした。岩倉具視を正使とする使節団が1873年、ベネチアの公文書館で、支倉が署名した書簡2通を観覧する。「堂々たる使節として処遇され、帰国した」と聞かされ、2世紀も前の東北人の奮闘に驚嘆したのです。支倉らの努力は、かの国の人々に鮮烈に刻まれていたのです。

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