2017年05月20日

人材はどこにでもいる

 肥後の「鳳凰(ほうおう)」とうたわれたのは熊本藩主・細川重賢です。彼は画期的な財政改革を成し遂げ、米沢の鷹山(上杉治憲)、紀州の麒麟(きりん)(徳川治貞)らと共に、江戸中期屈指の名君とされています。
 重賢の改革は「隗(かい)より始めよ」との格言を合言葉に進められましたた。「隗(かい)より始めよ」とは中国の戦国時代、人材を求める燕の王に対し、郭隗(かくかい)が“まず私のような凡庸な者を用いれば、これを伝え聞いた優秀な人材が、自然と集まるでしょう”と語った故事にちなんだ言葉です。
 重賢の評伝を読むと、この名言について、重賢の側近が「真意は、むしろ逆のように思われまする」と言っています。「人材はいつ、いかなるところにも、実はいるということです。要は、それを見出す人物、登用する者が、あるかないかにかかっているだけのこと……」(加来耕三著『非常の才』講談社)。それぞれの長所を生かした人材登用から、改革は大きく動きだしたのです。

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