2012年05月11日
かけはし
私たちの地域ではまだ始まっていませんが東北は今、田植えの季節です。過去、東北の米が、沖縄に救われたことがあるそうです。
それは1993年の記録的な冷害の時でした。この年は東北地方だけに限らず、全国的に稲は凶作に見舞われました。中でも岩手県の稲作は壊滅的だったそうです。多くの農家が、翌年のための種もみすら確保できない事態まで発展しました。
悩んだ結果“冬でも温暖な南の島で、何とか増やせないか”との突拍子もない提案が浮かび上がりました。さっそく沖縄県に打診をしたそうです。なんと、岩手県の要請を沖縄県が快諾しました。二期作を行っていた石垣島の農家は“大変な時こそ助け合いを”と、島の水田の5分の1を提供してくれました。この結果、種もみを2トンから116トンに増やすことができたそうです。岩手へ持ち帰られた種もみによって、その秋には大豊作になったそうです。
この米は公募で「かけはし」と命名されました。以来、岩手県と沖縄県の交流は今も続いています。交流は米の品種改良の技術開発のみならず、スポーツや文化、学校同士の交流などに広がっています。北と南、同じような行事でも発想が違っています。互いに学ぶところが多いようです。冷害という難が、双方に価値を生んでいます。
それは1993年の記録的な冷害の時でした。この年は東北地方だけに限らず、全国的に稲は凶作に見舞われました。中でも岩手県の稲作は壊滅的だったそうです。多くの農家が、翌年のための種もみすら確保できない事態まで発展しました。
悩んだ結果“冬でも温暖な南の島で、何とか増やせないか”との突拍子もない提案が浮かび上がりました。さっそく沖縄県に打診をしたそうです。なんと、岩手県の要請を沖縄県が快諾しました。二期作を行っていた石垣島の農家は“大変な時こそ助け合いを”と、島の水田の5分の1を提供してくれました。この結果、種もみを2トンから116トンに増やすことができたそうです。岩手へ持ち帰られた種もみによって、その秋には大豊作になったそうです。
この米は公募で「かけはし」と命名されました。以来、岩手県と沖縄県の交流は今も続いています。交流は米の品種改良の技術開発のみならず、スポーツや文化、学校同士の交流などに広がっています。北と南、同じような行事でも発想が違っています。互いに学ぶところが多いようです。冷害という難が、双方に価値を生んでいます。