2011年10月06日

福沢諭吉の男女平等論

 153年前(安政5年)の10月、福沢諭吉が江戸で小さな塾を開きました。今日の慶応義塾の始まりです。建学に当たり、諭吉が重んじたのは「自我作古」の精神。「慶応義塾の記」(『福沢諭吉教育論集』所収、岩波文庫)で、蘭学を始めた先覚者らの挑戦を讃え、「自我作古の業にのみ心をゆだね、日夜研精し寝食を忘るる」と描いています。
 「自我作古」とは「我より古を作す」と読む。“まず自分が、前人未踏の分野に挑め! 源流となって、後進の道を開け!”との志です。その通り、諭吉自身、開国前の日本で、暗殺の危険も顧みず、洋学の礎を築き、幾多の大事業を成し遂げています。

 諭吉は、明治維新になって欧米諸国の女性解放思想をいちはやく日本に紹介し、「人倫の大本は夫婦なり」として一夫多妻や妾をもつことを非難し、女性にも自由を与えなければならぬとし、女も男も同じ人間だから、同様の教育を受ける権利があると主張しました。その証として、 自身の娘にも幼少より芸事を仕込み、ハインリッヒ・フォン・シーボルト夫人に芸事の指導を頼んでいました。

 1874年(明治7年)に発足した慶應義塾幼稚舎は、1877年(明治10年)以降しばらくの間、男女を共に教育した例があり、これは近代化以降の日本の教育における男女教育のいち早い取り組みでした。 
  

Posted by mc1460 at 21:00Comments(2)TrackBack(0)つぶやき