2018年10月20日
開拓の歴史
北海道北広島市には「寒地稲作発祥の地」を記念する石碑があります。1873年、中山久蔵が赤毛種を用いた稲の栽培に成功しました。その後、彼は種もみを無償で提供し、北海道の稲作の普及に尽力。「寒地稲作の父」と仰がれています。
彼は、もともと農業には全くの素人で、開拓使からは侮蔑的な言葉も浴びせられました。日本政府は北海道での稲栽培を“不可能”と考え、畑作を強制しましたが、久蔵は諦めない。深夜、風呂の残り湯を苗代に運び、水温を上げるなど、必死の努力を続けたのです。3年目、執念は実を結び、石狩・空知地方へと米作りは広がっていったのです。
久蔵の稲作にみられる通り、北海道の歴史はあらゆる点で「開拓の歴史」といえましょう。
彼は、もともと農業には全くの素人で、開拓使からは侮蔑的な言葉も浴びせられました。日本政府は北海道での稲栽培を“不可能”と考え、畑作を強制しましたが、久蔵は諦めない。深夜、風呂の残り湯を苗代に運び、水温を上げるなど、必死の努力を続けたのです。3年目、執念は実を結び、石狩・空知地方へと米作りは広がっていったのです。
久蔵の稲作にみられる通り、北海道の歴史はあらゆる点で「開拓の歴史」といえましょう。