2017年09月10日

蘭学と英語

 体調を崩したので寝ようと思い、枕を探すが見当たらない。その時、もう1年近く枕で寝ていないことに、はたと気付く。若き日の福沢諭吉である。諭吉は蘭学の勉強に熱中し、床で寝ていたのです。
 福沢はある日、横浜の外国人居留地に出掛けました。街の看板を見ても分からない。聞くと、それは英語でした。諭吉は時代は今や英語だと思い知ったそうです。あれほど蘭学を猛勉強したことが役に立たない。諭吉の落胆は大きかったはずだが、学問の情熱を一層燃やし、翌日から英語の勉強を始めたことは有名な逸話です。
 「情熱」を表す英語の「パッション」には「受難」の意味もあります。先のエピソードを通して脳科学者の茂木健一郎氏は「情熱とは苦労することから生まれる」と記した(「何のために『学ぶ』のか」ちくまプリマー新書) 納得!!  

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2017年09月09日

大事を成すには

〝人が変われば、会社は変わる〟――経営コンサルタントで実業家の大久保恒夫氏は語っています。彼は、かつて業績不振に陥っていたユニクロ、無印良品等を再建させた立役者です。その経営手腕に注目が集まるのは当然です。
 企業は、利益を生み出すために存在します。業績の数字に注目するのは当然ですが、氏は数字よりも「小売業の仕事はお客さまに喜んでいただくこと」だと訴えています。
 その基本は、気持ちの良い「あいさつ」。現場を支える従業員の誠実な姿と行動で顧客に満足してもらい、喜んでもらう。それが店舗への好感となり、やがて成果もついてくると大久保氏は考える(『すべては人なんだ』商業界)
 難事業を目の前にすると、全てを変えなければ、と焦り、結局、全てが中途半端になる場合があります。大事を成すには、基本に徹し、身の回りの小事から変えていくこと――氏の実践は、それを教えています。  

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2017年09月08日

第1候補は京都に決定

 原爆をどこに落とすか。事前にアメリカで「標的委員会」が開かれたそうです。18都市から京都、広島、横浜、小倉、新潟に絞られました。第1候補は京都に決定。これ に猛反対したのがスティムソン陸軍長官でした。
 古都の文化的価値も考慮には入れたが、彼には別の思惑がありました。「京都に原爆を投下すれば全世界がアメリ カの行動をヒトラーの暴虐と同等であると非難するであろう」。近刊の『暗闘――スターリン、トルーマンと日本降伏』(中公文庫)に詳しいので関心のある人は一読を。
 著者の長谷川毅 氏はワシントン大学で博士号を取得し、米国市民権を持ちますが、「他の都市に投下することも暴虐行為であることには思い及ばなかった」と手厳しく述べています。   

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2017年09月07日

新時代の夜明けを開いた

 「西の小京都」と称される山口・萩市。道の駅「萩往還」には、幕末の思想家・吉田松陰を中心に、高杉晋作、久坂玄瑞ら門下生の銅像群が立ち並んでいます。
 今年は松陰没後158年。刑死の前日につづられたのが、遺言の書「留魂録」である。死を覚悟した松陰は、「頼むぞ、心の底から頼むぞ」と、後事を弟子に託す言葉を紡ぎ続けた(奈良本辰也著『吉田松陰著作選』講談社学術文庫)。遺志を受け継いだ弟子たちが、新時代の夜明けを開いたのです。  

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2017年09月06日

革靴

 落語家といえば着物姿を思い浮かべますが、3代目古今亭志ん朝は普段、洋装を好んだそうです。2001年に志ん朝さんが亡くなった際、「足のサイズが同じだから」と革靴を形見分けされたのが、林家たい平さんだったそうです。
 まだ格付けで「二つ目」の頃、たい平さんは志ん朝さんに励まされました。革靴を持って「中途半端に売れちゃだめだよ」。自分が食べていける程度の売れ方でなく、落語界全体を盛り上げる人間になれとの約束だと、受け止めたそうです。  

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2017年09月05日

250年以上を経た今も

 肩書や富を他人と比べて卑屈になったり、目先の成果を求めて策に走ったり。一つの事にのめり込むほど、視野が狭くなり、根本の目的を見失ってしまうのが人間の常です。
 「客観視」「俯瞰する眼」を心理学では「メタ認知」ともいいますが、自身の行動を、別の視点から見たり、より長い時間軸の中で考えたりすることで、見えてくるものがあります。
 1753年(宝暦3年)、徳川幕府は、濃尾平野を流れる木曽三川の氾濫を防ぐ工事を薩摩藩に命じました。費用も資材の調達も藩の負担。あまりにも理不尽な幕命に、藩内からは“反旗をかざそう”との意見も出ました。しかし、工事の責任者を務めた家老・平田靱負の視点は違っていました。幕命の是非はともあれ、「水難に喘ぐ気の毒な現地の住民を救済」するのだと(坂口達夫著『宝暦治水・薩摩義士』春苑堂出版)。
 大目的を掲げ、衆議をまとめあげました。難工事は、人的にも経済的にも、藩の重荷となりましたが、幾多の困難を越えて完成した工事は、250年以上を経た今も、現地の人に感謝されています。  

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2017年09月04日

ためらわず書き直した

 マンガ家の手塚治虫氏。デビュー作の「マアチャンの日記帳」という4こまマンガに始まり、生涯に描いた原稿は15万枚という膨大な数に上ります。氏の生前から刊行された全集は400巻に上っています。その編集に当たり、担当者は当初、既存の作品を調整して再録するだけと考えていたが、予想に反して完成に時間がかかったそうです。
 手塚氏は多忙な中でも、過去の作品の古めかしい表現や気に入らない箇所を、ためらわず書き直したという。全面的に直した作品もあった。より良いものを後世に残そうという情熱は、並大抵ではなかったのです(丸山昭著『トキワ荘実録』小学館文庫)  

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2017年09月03日

IO比

 「IO比」という言葉があります。Iはインプット(入力)、Oはアウトプット(出力)のことです。例えば、100冊読んで1冊の本を書けば、IO比は100対1となります。IO比が1対1に近づくほど、書いた内容は中身が薄く、人の話の受け売りに近くなってきます。
 一方、「その圧縮比が高いほど、情報がたくさんつまったいいものが書ける」(立花隆ほか共著『読む力・聴く力』岩波現代文庫)ことになるのです。
 人に励ましの言葉を掛けるときも、原理は同じでしょう。人生経験というインプット、つまり苦労の多さ、大きさに応じて、アウトプットされる言葉の説得力も違ってくるはずです。  

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2017年09月02日

青年・学生の交流

 全国紙の記者を48歳で辞め、以来28年を、妻と二人三脚で日中交流にささげた大森和夫さんの手記があります(『夫婦の「手作り・日中交流」28年』日本僑報社)
 夫妻は日本の歴史や四季等を紹介する日本語教材を自主制作し、210を超える中国の大学に寄贈。日本語作文コンクールも中国で16回開いてきました。その中で、中国の学生には、日本の国と人々を理解したいという熱意があり、互いを知ることが友好の基盤だと痛感したという。
 創価学会の池田SGI会長が開いた日中友好は、青年・学生の交流に最も力を注いできました。1968年9月の国交正常化提言も対象は学生で、“日中の青年同士、手を取りあおう”と訴えています。一人と一人の友情から国と国の友好へ――ここに平和への王道はあるのです。  

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2017年09月01日

大いなる飛躍

 「治乱興亡」という熟語があるように、歴史は、さまざまな勢力による興隆と滅亡の繰り返しとして描かれてきました。多くの歴史小説を著す中津文彦氏によれば、興隆・滅亡には“方程式”があると語っています。
 滅亡に至る共通項は「準備不足」「孤立」「奇策」の三つ。一方、興隆の共通項も三つあり、最初の二つが「周到な準備」と「連携」。滅亡の方程式とは反対の事柄です。しかし氏は、最後の3点目に、全く同じ「奇策」を挙げていのす(『日本史を操る興亡の方程式』PHP文庫)
 どういうことか。準備不足で、孤立した者が策に走ると滅亡を招くが、準備を重ね、強い連携を築いた上で、定石を破った大胆な策に打って出るときには、大いなる飛躍が期待できる、ということです。  

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