2017年09月05日

250年以上を経た今も

 肩書や富を他人と比べて卑屈になったり、目先の成果を求めて策に走ったり。一つの事にのめり込むほど、視野が狭くなり、根本の目的を見失ってしまうのが人間の常です。
 「客観視」「俯瞰する眼」を心理学では「メタ認知」ともいいますが、自身の行動を、別の視点から見たり、より長い時間軸の中で考えたりすることで、見えてくるものがあります。
 1753年(宝暦3年)、徳川幕府は、濃尾平野を流れる木曽三川の氾濫を防ぐ工事を薩摩藩に命じました。費用も資材の調達も藩の負担。あまりにも理不尽な幕命に、藩内からは“反旗をかざそう”との意見も出ました。しかし、工事の責任者を務めた家老・平田靱負の視点は違っていました。幕命の是非はともあれ、「水難に喘ぐ気の毒な現地の住民を救済」するのだと(坂口達夫著『宝暦治水・薩摩義士』春苑堂出版)。
 大目的を掲げ、衆議をまとめあげました。難工事は、人的にも経済的にも、藩の重荷となりましたが、幾多の困難を越えて完成した工事は、250年以上を経た今も、現地の人に感謝されています。  

Posted by mc1460 at 14:08Comments(830)TrackBack(0)つぶやき