2014年05月11日

傾蓋旧の如し(けいがいきゅうのごとし)

5月のロンドンは、一斉に花が咲き香る美しい季節だそうです。イギリスの歴史学者トインビー博士は創価学会の池田名誉会長に、5月のロンドンで対話をと要望しました。それに応え、名誉会長は1972年と73年の5月に渡航しました。対談集『21世紀への対話』は約40年を経た今も、世界中で読み継がれています。
博士と名誉会長には、初めて出会った時から親しい雰囲気が漂っていました。中国の故事に「傾蓋旧の如し(けいがいきゅうのごとし)」とあります。これは孔子と程子が道で出会って車を止め、車を覆うかさを傾けて語り合ったことを通して、ちょっと会っただけで、旧知のように親しくなるとの意です。
 それと同じように、人類の未来への責任感ゆえに、博士と名誉会長の心は、会って瞬く間に通じ合ったのでしょう。さらに、そこには少しばかり、5月の花と風と緑の演出もあったのかもしれない。心を通わせるには絶好の季節です。  

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2014年05月10日

宗教的なもの

 19世紀前半のフランスには、「精神の空白」が広がっていました。その原因は、大革命後、理性中心の時代が到来。聖職者や宗教が否定された結果、若者は信じるものを失い、「世紀病」と呼ばれる鬱々とした風潮に包まれていったのです。
その中で、新たな価値観を求める思想運動が活発化しました。人間性の解放をうたった文豪ユゴーの活躍も、このころの事です。若きユゴーに多大な影響を及ぼした思想家ラムネは、人々を結ぶ精神的支柱として「宗教的なもの」の必要性を訴えた(宇野重規ほか編著『社会統合と宗教的なもの』白水社)
「宗教的なもの」は「宗教」とは違います。その定義の一つは、人間の内にある宗教性=根源的な力のこと。「善きもの、価値あるものを希求しゆく人間の能動的な生き方を鼓舞し、いわば、あと押しするような力用」と、創価学会の池田名誉会長は論じています。  

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2014年05月09日

無限の可能性を開く鍵

内閣府の調査によれば、「学校で皆の前でほめられたり、表彰されたりした」経験がある子は、ない子に比べて、自分の将来に明るい希望を持っている割合が高いと指摘しています。親からよくほめられた経験の有無で見ても、同じ傾向にある(平成23年度「親と子の生活意識に関する調査」)
創価学会の池田名誉会長は、小学1年の担任の先生が作文をほめてくれた思い出を通し、”体の弱かった私が、文筆の道で生きていきたいと思うようになったのも、先生にほめられた影響が大きいのかもしれない”と綴ったことがあります。「ほめる」ことは、子どもの無限の可能性を開く鍵でなのです。  

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2014年05月08日

詩人の柴田トヨさん

昨年の1月、101歳で亡くなった詩人の柴田トヨさんの話です。柴田さんは90歳を超えてから詩作を始め、99歳の誕生日を前に、初の詩集『くじけないで』(飛鳥新社)を刊行しました。その中の、心の機微を率直に綴った一節 一節が胸に染みります。
うれしいことも辛いことも、たくさん経験した1世紀の人生。柴田さんは「人生、いつだってこれから。だれにも朝はかならずやってくる」 をモットーに生きてきました。「貯金」という詩は、こう始まります。「私ね 人から/やさしさを貰ったら/心に貯金をしておくの」と。
  

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2014年05月07日

富楼那の情熱

古代インドの話です。釈尊の十大弟子の中で「説法第一」とされた富楼那が、故国への布教を決意した時のこと。釈尊から「迫害を受けたら、どうする?」と問われました。彼は「仏法のために、この身をなげうてることは、大いなる喜びです」と明言したそうです。その言葉通り富楼那は、あらゆる迫害に耐え、生涯で9万9千人も釈尊に帰依させたと伝えられています。
この話で強調したいのは、富楼那は話が巧みだから、「説法第一」になったのではないのです。彼の力の源泉は「師の教えを何としても弘めたいという『情熱』ではないだろうか」と創価学会の池田名誉会長は論じています。
  

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2014年05月06日

マンデラ元大統領

27年半の投獄に耐え、南アフリカの人種隔離撤廃を実現したマンデラ元大統領。その足跡を知り、悠然たる笑顔に接すれば、完全無欠の勇者に思えてきます。
作家のR・ステンゲル氏による元大統領の評伝『信念に生きる』(英治出版)に、1994年の体験が紹介されています。元大統領を乗せた飛行機が故障し、大事故の危機に陥る。だが元大統領は、同行者に事情を聞くと、あとは新聞を読みふけり、安着すると、何事もなかったように笑顔を振りまいたそうです。
しかし、空港で氏と落ち合うと、目を見開いてこう言ったのです。「怖かったよ! 空の上で身の縮む思いだった!」。権力の弾圧と戦った日々を、元大統領は振り返ります。「私は、己の恐怖心を外から悟られないようにするために、ありとあらゆる方法で恐怖心を克服しようと努めてきた」(前掲書)と。  

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2014年05月05日

こどもの日

臨床心理学の第一人者、故・河合隼雄氏の名を冠した「物語賞・学芸賞」があります、これは長男の俊雄氏(臨床心理学者)が、東日本大震災の被災地支援に取り組んだ経験をきっかけに、人に力を与える文学・学術を顕彰する賞として考えました。「生きるとは、自分の物語をつくること」という父の知見を社会に根付かせたいという。
隼雄氏の子息は、3人とも学究の道で活躍しています。3氏の目には父親は〝戦友〟と映ったそうです。次男の幹雄氏(法社会学者)は〝人づくり〟に励んだ父親の姿から、人が育つには親子の葛藤や濃密な人間関係が必要であることを学んだと述懐しています。
自身の物語を懸命に紡ごうとする親の姿ほど、子どもの人生に影響を与えるものはありません。「こどもの日」は、大人の役割を再確認する日でもあるのです。  

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2014年05月04日

牧口初代会長

創価学会(創価教育学会)の牧口初代会長が『人生地理学』を発刊したのは1903年のことでした。牧口初代会長は軍国主義に傾斜する日本にあって、軍事的競争、政治的競争、経済的競争の時代から「人道的競争」の時代へ転換することを訴えました。その先見は、111年後の今に輝きを放っています。
“何のために競う”か。その目的次第で競争は善にも悪にもなる。自分の利益のみを求める競争は対立を生み、それが国対国ならば戦争さえ引き起こします。牧口初代会長は競争が何のためかを問い、利己主義の争いから「自他共の幸福」を目指す競い合いへ、“競争の質”を変えることを提唱したのです。  

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2014年05月03日

5月3日

創価学会の戸田第2代会長は、「城聖」を名乗る 前に幾度か名前を変えました。若き日の筆名は「桜桃」。青雲の志に燃えた17歳は、そう名乗る理由を記しています。「桜の如く咲き桃の如く実を結ぶ」「あたら散って たまるか、桃の如く実を結ばずして」との思いが含まれていました。
後年、軍部権力による投獄、師匠・牧口初代会長の獄死、事業の失敗――苦難の連続の人生であった戸田第2代会長が遂に、創価学会の会 長として立ったのは60年前のきょう。五月晴れでしただ。陰には〝師匠を断じて会長に〟との、弟子の死闘がありました。逆境の日々、ただ一人、師を支え抜いた池 田名誉会長は詠んでいます。「古の 奇しき縁に 仕えしを 人は変れど われは変らじ」 爛漫の桜と共に逝いた戸田会長は、広宣流布という、自らの一生をかけた 悲願の結実を不二の弟子に託した。同じ五月晴れの5月3日に会長に就いた池 田名誉会長によって、それは実現されました。
三代会長の死身弘法ありて、今、私たちは妙 法の大功徳を受け、どんな苦難をも恐れない人生を生き抜くことができます。永遠の師弟の栄光が刻まれた日。報恩と誓願の旅立ちの日。それが「5月3日」です。  

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2014年05月02日

心が通じ合うこと

 心が通じ合うことは難しい事です。『平家物語』を読むと、こんな場面が出てきます。
京都に攻め上った源義仲のもとに、一人の貴族が相談に訪れました。昼時、義仲は山盛りの食事を勧めるが、当時、貴族は朝夕2食がリズムでした。一方、武士は1日3食。無理強いされたと感じた貴族は、相談する気が失せた、と。  

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2014年05月01日

梅干し

 百年を超える梅干しがあります。さすがに長い年月の間にすっかり干からびていますが、梅酢を足すと膨らんできて見事に蘇るという。
梅の専門店を経営する乗松祥子さんも、百年持つ梅干しを目指しているそうです。決め手は、仕上げの“干し”の工程にあるそうです。あと1、2時間で干しを終えるもの、もう1日必要なもの――何百とある梅の一つ一つを見分ける。素人には気の遠くなるような作業に思えます。が、乗松さんは“自分の思いが梅干しの出来上がりに表れる”と語る。“梅の表情が見える”とも(『百年の梅仕事』筑摩書房)。
梅に百年の生命を宿らせる。その決め手は、梅の一つ一つに個性を見るほどの愛情と実感しました。  

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