2014年05月03日

5月3日

創価学会の戸田第2代会長は、「城聖」を名乗る 前に幾度か名前を変えました。若き日の筆名は「桜桃」。青雲の志に燃えた17歳は、そう名乗る理由を記しています。「桜の如く咲き桃の如く実を結ぶ」「あたら散って たまるか、桃の如く実を結ばずして」との思いが含まれていました。
後年、軍部権力による投獄、師匠・牧口初代会長の獄死、事業の失敗――苦難の連続の人生であった戸田第2代会長が遂に、創価学会の会 長として立ったのは60年前のきょう。五月晴れでしただ。陰には〝師匠を断じて会長に〟との、弟子の死闘がありました。逆境の日々、ただ一人、師を支え抜いた池 田名誉会長は詠んでいます。「古の 奇しき縁に 仕えしを 人は変れど われは変らじ」 爛漫の桜と共に逝いた戸田会長は、広宣流布という、自らの一生をかけた 悲願の結実を不二の弟子に託した。同じ五月晴れの5月3日に会長に就いた池 田名誉会長によって、それは実現されました。
三代会長の死身弘法ありて、今、私たちは妙 法の大功徳を受け、どんな苦難をも恐れない人生を生き抜くことができます。永遠の師弟の栄光が刻まれた日。報恩と誓願の旅立ちの日。それが「5月3日」です。  

Posted by mc1460 at 11:34Comments(1)TrackBack(0)つぶやき