2016年09月19日
人間は、木の存在に人生を重ねるものらしい
向田邦子さんのエッセーは、何げないエピソードの中に味わい深い人生の機微がにじみ出ていて、引き込まれてしまいます。
彼女が脚本家の駆け出しだった時の話。山道のセットで使う植木代が、自身の脚本料と同額だった。以来、「私の書くものには、滅多に木が出てこない」と書いています(『夜中の薔薇』講談社)。だが、木を書かない理由は、本当は費用の問題ではなかったのです。
父が転勤族だった向田さんは、子ども時代、家の庭で木が育っていく過程を見る機会がなかった。自分と一緒に成長し、悩みにつぶされそうな時に抱きついて泣く、”心の故郷”となるような大木がない、と真の理由をつづっています。
人間は、木の存在に人生を重ねるものらしい。
彼女が脚本家の駆け出しだった時の話。山道のセットで使う植木代が、自身の脚本料と同額だった。以来、「私の書くものには、滅多に木が出てこない」と書いています(『夜中の薔薇』講談社)。だが、木を書かない理由は、本当は費用の問題ではなかったのです。
父が転勤族だった向田さんは、子ども時代、家の庭で木が育っていく過程を見る機会がなかった。自分と一緒に成長し、悩みにつぶされそうな時に抱きついて泣く、”心の故郷”となるような大木がない、と真の理由をつづっています。
人間は、木の存在に人生を重ねるものらしい。