2016年09月08日
第五福竜丸
「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」。これは1954年(昭和29年)9月、アメリカの水爆実験による〝死の灰〟を浴びて亡くなった、無線長・久保山愛吉さんの悲痛な叫びです。
この言葉は、東京・江東区の第五福竜丸展示館の記念碑に刻まれています。そして、久保山さんが亡くなる半年前の3月、マーシャル諸島のビキニ環礁で被ばくした漁船「第五福竜丸」の名は、歴史に残っています。
この言葉は、東京・江東区の第五福竜丸展示館の記念碑に刻まれています。そして、久保山さんが亡くなる半年前の3月、マーシャル諸島のビキニ環礁で被ばくした漁船「第五福竜丸」の名は、歴史に残っています。