2014年03月11日

心のケア

今日で東日本大震災3年です。阪神・淡路大震災以来、「心のケア」という言葉が広まりました。ケアの言葉の起源は、数千年前のゲルマン系言語にさかのぼるといわれています。
意味は、「悲しみのあまり叫びをあげる」こと。困難に直面する人を見て自分自身が声をあげ、悲しむことをいいます。仏法でいう「同苦」に通じます。
「御心のうちをしはかるこそなみだもとまり候はね」(創価学会版・御書1509ページ)。「おもひやり候へば涙かきあへられず」(同1585ページ)。御書のいたるところ、涙の痕が見えます。家族を亡くした人の心中を「推し量り」、戦火や病に亡くなった人々に思いを馳せ、同苦する。これが日蓮大聖人です。  

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2014年03月10日

心の絆

目の不自由なランナーが伴走者と走る際、2人は1本の綱を握り合います。綱は、互いの気持ちを通じ合うための〝心の絆〟でもあるのです。
伴走者は通常、ランナーの真横か、半歩後ろを走ります。前に出るのは、誘導を要する危険な箇所のみで、それ以外の場面で、引っ張るようなことはしない約束になっています。ペースを考え走るのは、あくまでもランナー本人。伴走者は〝脇役〟に徹するのです。  

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2014年03月09日

不器用なこと

 「当代随一」と仰がれる宮大工の棟梁が、弟子を取る際、基準を定めています。それは、不器用なこと。なぜか。器用な人は、ある段階までは早く上達する。だから、仕事を甘くみて、楽をすることを覚えてしまう。結局、成長の“伸びしろ”が小さいという。
「千年の大建築」を手掛ける宮大工の世界では、要領や小手先など通じないそうです。遅くても、一つ一つ階段を上らなければ、大きな仕事を成すことはできない。「不器用の一心に勝る名人はない」と(小川三夫著『棟梁』)  

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2014年03月08日

なんくるないさ

沖縄の言葉で、よく知られている「なんくるないさ(何とかなるさ)」。これは前向きな心を表すとして親しまれる一方、「どうせ何とかなる」という場当たり主義の響きも否めません。
本来は、「まくとぅそーけー(正しいことをすれば)なんくるないさ」という決まり文句です。「くじけずに正しい道を歩むべく努力すれば、いつかいい日が来る」との意味だそうです。  

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2014年03月07日

絵ろうそくまつり

雪国では冬の間、花の代わりに絵ろうそくを飾ったともいわれます。私は行ったことがありませんが、東北に「絵ろうそくまつり」があるそうです。静寂な夜の雪原に揺らめく光の連なりが、宝石箱のように美しいようです。
英国の科学者ファラデーは『ロウソクの科学』に記しています。「ダイヤモンドの夜の光輝は、それをてらす炎のおかげ」(三石巌訳)。苦難の闇夜に包まれても、ダイヤはダイヤです。炎という助けを得たとたん、美しく輝き始める。炎は「心」、花も「心」です。  

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2014年03月06日

「介護」は「ケア」とも呼ばれます

「介護」は「ケア」とも呼ばれます。「ケア」は、語源からたどると、「思いやり」と「心配・不安」との二つの意味があります。
かわいそうだから助けてあげようという「上からの同情」ではなく、「同苦」――自分のこととして心を痛めることが、まず大切なのです。  

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2014年03月05日

ブナ

 木は真っすぐ伸びた方が美しいと思っていましたが、浅い考えと思い知らされました。それは雪深い山の斜面に生えたブナを見た時です。
ブナの根元付近の幹が、斜面の下り方向に沿って、グニャリと大きく曲がっています。これは「根曲がり」といわれる現象です。大量の雪がのし掛かることによって起こるらしいと考えられています。だがブナは折れない。雪解けをじっと待ち、太陽に向かって上へ上へと伸びていくのです。
ブナを通し生きようとする強い意志、圧倒的な迫力と美しさを感じませんか。  

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2014年03月04日

希望の火

ゲーテの『ファウスト』に、こんな場面があります。人を導く対話は難しいと嘆く書生に、ファウストは答えました。「心の底から出てこなくては、人の心に届かない」(池内紀訳)
心の奥底に宿した思いの深さは、本人が気づかずとも、自然と振る舞いににじみ出るものです。自分が燃えてこそ、友の心に希望の火をともすことができるのです。  

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2014年03月03日

実行すれば

 ウォルマートといえば全米一、いや世界一の小売業チェーンストアです。このウォルマートは1962年、アーカンソー州の小さな安売り店から始まりました。そしてわずか40年で、年商数十兆円のビッグ企業に成長したのです。
発展の秘訣は何か? 創業者サム・ウォルトンの全従業員への呼び掛けが、それを物語っています。「お客が一〇フィート(約三メートル)以内にやって来たら、お客の目を見て挨拶し、『何かお手伝いしましょうか』と尋ねると約束してほしい」(渥美俊一ほか監訳『私のウォルマート商法』講談社)
「丁重に、こちらから声を掛ける。ささやかに見える、この率先・自発の対応が、躍進への原動力になったのです。」と彼は言っています。そうした対応が苦手な従業員もいるだろう。でも、実行すれば、人間として成長できる、と。  

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2014年03月02日

まことの花

 真っ先に咲く梅に続いて杏や桃、李が花開き、桜が暖かい春を彩る――また楽しみな季節がやってきました。公園や庭園など各地の名所に、今年も大勢の人が足を運ぶことでしょう。
「桃李もの言わざれども下自ら蹊を成す」とは、中国の言葉です。桃や李は何も言いませんが、その花の美しさや果実に引かれて人が集まり、自然と木の下に道ができます。
同じように、徳ある人のもとには自然と人々が寄って来ます。魅力のある人をよく「花のある人」と言います。世阿弥は著書『風姿花伝』で、能楽者の「花」について「時分の花」と「まことの花」に分けています。前者は若さによる華やかさ、後者は修行によって身についた美しさです。苦労で自分を磨き、内面からにじみ出た輝きこそ、「まことの花」なのでしょう。  

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2014年03月01日

勝つ

「勝つ」とは、宿命にひるむ自分の殻を破り、強い自分、負けても立ち上がる自分を築きゆく挑戦の異名でしょう。
宇宙も地球も私たちの人生も、「無常」であり、絶えず変化しています。それに応戦するのをやめることは、「停滞」ではなく、「衰退」であると戒めたいものです。
法華経は現世安穏を説いています。その意味を、創価学会の池田名誉会長は「何があろうが、堂々と、人生に勝利していける姿」と綴っています。「自分に勝ち、一家の勝利、地域の勝利へ走りたい。私たちは、勝つために生まれてきたのだから」と。  

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