2012年11月10日
教育環境
「これでは日本の将来が危険である」。創価学会が創立された1930年、牧口初代会長は友人に綴ったそうです。当時、第1次世界大戦の余波で、政治や経済が大混乱。教育界にも、しわ寄せが及び、初代会長の苦悩は極まっていました。「最近の教育行政も、また実務にあたる学校教師も全く事務的で精神がなく、教育の破壊をしている」と。
実は、大正から昭和初期、教育界は、数字上は発展期でした。中学の生徒数は1920年からの10年で倍増。18年の大学令以降、大学の認可が相次ぎ、大学生の数も8倍近くになりました。しかし教育内容は、国家主義の傾向を強めていったのです。
牧口会長の憂慮から15年、日本は敗戦を迎えました。一見、飛躍的な教育環境の前進の中で、行く末に警鐘を鳴らした慧眼が光っています。
実は、大正から昭和初期、教育界は、数字上は発展期でした。中学の生徒数は1920年からの10年で倍増。18年の大学令以降、大学の認可が相次ぎ、大学生の数も8倍近くになりました。しかし教育内容は、国家主義の傾向を強めていったのです。
牧口会長の憂慮から15年、日本は敗戦を迎えました。一見、飛躍的な教育環境の前進の中で、行く末に警鐘を鳴らした慧眼が光っています。