2012年10月05日

烈日

 空気はすっかり秋です。ギラギラした夏の太陽が去り、ほっとしている人も多いはずです。
 作家・井上靖氏は年を重ねるごとに、あの夏の太陽を指す「烈日」という言葉が好きになったそうです。それは、自身の人生を振り返っての思いと重なっていると語っています。
 創価学会の池田名誉会長との往復書簡で、氏は「失意の日も、得意の日も、それから長い歳月が経つと、すっかり消えてしまい、真剣に烈しく生きた時の思いだけが、いかに小さくても、消えないで残っているようであります」(『四季の雁書』)と。烈しく何事かをなそうとした気持ちだけが、生きた証しとして命に刻まれたと綴っています。
 烈しく生きる――それは、浮き沈みの派手な生活や、感情の起伏に左右された人生のことでははありません。むしろ、静かに、忍耐と不屈の炎を胸に燃やして、まじめに、真っすぐに、信じる道を歩き通すことではないでしょうか。“烈しく生きる道”を持てる人は幸福です。その情熱が、悩みを燃やし、後悔を燃やし、見栄など焼き切って、人生の希望を照らし出していくに違いありません。  

Posted by mc1460 at 11:24Comments(0)TrackBack(0)つぶやき