2011年11月20日

何を書き留めるか

 昭和35年、文豪・山本周五郎のもとに、読者から一通の便りが届きました。「誰もがまことの幸福を得なければならないのに、今はただ己の生きることに鎬をけずらなければならない」と、その便りには書いてありました。

 昭和30年代といえば、日本が高度経済成長のスタートラインに立ったころの時代。労使対決、保守・革新の政治対立が繰り返されていました。だが、多くの民衆は、労働運動や政治から見放され、生活苦に沈んでいた時代です。
 周五郎は、貧しい中でも、力強く生きる庶民を愛しました。先の便りに対しても、「政治にもかまって貰えない、道徳、法律にもかまって貰えない最も数の多い人達」のことを、書く場合に一番考えると返答しています(随筆「小説の効用」)

 吉田松陰の没後150年を記念して建設された、「至誠館」が山口県・萩市にあります。松陰の遺墨を中心とする展示品の中に、「福堂策」があります。これは吉田松陰が密航に失敗して投じられた野山獄で記された小論文です。

 彼は囚われの身となっても、落胆するどころか、野山獄を「福堂」に変えようと情熱を燃やしました。福堂とは、「智者は囹圄(牢獄)を以て福堂と為す」との中国の古言によるもので、罪人を、いたずらに苦しめる場ではなく、教育して更生させる施設という考えです。
 そして、獄中で「孟子」や「論語」を講義。時には、俳句の会などを催して、多くの囚人を改心させました。まさに、後世に輝く獄中教育の範といえましょう。
  

Posted by mc1460 at 11:06Comments(0)TrackBack(0)つぶやき