2011年11月01日

人を想う優しさ

 今日から11月です。旧暦名では「霜月」と11月を呼びます。天文観察により、人類は「暦」を発明しました。努力と英知の結晶といってよいでしょう。しかし、それに頼るあまり、時の流れを心で味わい、人を想う優しさを、現代人は失っていないでしょうか。

 江戸中期の文人・本居宣長は自身が書いた「真暦考」(しんれきこう)において、季節と結びついた「心の記憶」の豊かさを語っています。それは、親しい人の忌日についても、何月何日という覚え方より、例えば「此樹の黄葉のちりそめし日」を迎えて故人を偲ぶ……と。確かに、そこには季節と人間との、みずみずしい交感があります。


 法華経では一切衆生に仏性があると、すべての人々を礼拝し、軽んじなかった不軽菩薩の実践が説かれています。これは、目の前にいる人の可能性を尊敬し、ありのままを受け入れることが、実は自身の成長にもつながっていく。相手を受容する方向に心が向くと、それまで短所だと思っていたことも、批判的ではなく温かな目で見守る感性がわいてくることを示唆しています。

 このような考えによって、一面的に判断していた時には分からなかった長所さえ見えてきます。この気づきにこそ、境涯革命の第一歩があると考えます。
 相手ではありません。自分が変わることです。そうすることにより、自分しか出会うことのできない“一人”がいます。その気持ちを忘れずにいたいものです。
  

Posted by mc1460 at 19:27Comments(0)TrackBack(0)つぶやき