2018年08月11日

山というのは幸せだ

 今も胸に残る言葉があります。「視界に入るものの中で一番高くそびえるのが、高層ビルではなく、山というのは幸せだ。山は人を謙虚にさせる」。山は言葉を発することはないが、見る人に何かを語り掛け、心を満たしてくれますね。
 石川啄木は詠んでいます。「ふるさとの山に向ひて/言ふことなし/ふるさとの山はありがたきかな」。郷里の岩手山を仰ぐ啄木の心には、畏敬や感謝とともに、その威容のように自己を築き上げる決意が込み上げたのではないでしょうか。
  

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2018年08月10日

花火

 『こども歳時記 母と子で読むにっぽんの四季』(第三文明社)。ここには折々の風物詩をテーマに、安井康二さんの愛らしい童画と、橋出たよりさんによる、子ども目線のエッセーが光る。「花火たいかい」では、「わくわくするのに/なんだかちょっとさびしいきもち」と、子どもの繊細な心がつづられます。
 童心のままに生き、絵を描いた画家・山下清の代表作の一つに、貼り絵「長岡の花火」があります。七つの大小の花火を見上げる群衆が、精緻に表現された傑作です。新潟・長岡の花火大会は、140年前にその起源があるそうですが、戦後は、戦争被害者の慰霊、恒久平和の思いを込めて打ち上げられてきました。そして2005年以来、中越地震からの復興を願う「フェニックス」(不死鳥)と名づけられた花火が、夜空を彩るようになっています。
 花火が好きだった山下画伯は言っています。「世界中の爆弾を花火に変えて打ち上げたら、世界から戦争が無くなるのにな」(映画「この空の花―長岡花火物語」)
 この夏、親子で花火を楽しむ機会があれば、平和への思いを一夜の大輪に寄せて、子どもの素直な心に語ってみてはどうでしょう。  

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2018年08月09日

ナガサキ、ヒロシマ

 ナガサキ、ヒロシマには、同じ名称の建物があります。「国立原爆死没者追悼平和祈念館」――ここでは亡くなった被爆者の名前・遺影を登録し、追悼しています。
 昨年3月、漫画家・中沢啓治氏が追加登録されました。彼は小学1年の時、学校付近で被爆。父やきょうだいを失ったのです。後年、自らの半生を基に『はだしのゲン』を描きました。
 炎が燃え広がる市街、ウジのわいた死体。言葉には言い表せない惨状でした。世間からは“残酷だ”などと批判が相次いだが、あえて描いたのです。「私たちのような体験をする世の中にしないでくれと願っている」(『「ヒロシマ」の空白 中沢家始末記』日本図書センター)。原爆への憤怒と平和への渇望を胸にペンを走らせたのです。  

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2018年08月08日

食生活

 冷たいものを飲み過ぎたり、出先でつい食べ過ぎたりと、食生活が乱れがちな時期ですね。世間ではグルメ番組の影響などもあり“あの店がいい”“これがおいしい”といった話題にも事欠きません。
 料理研究家の土井善晴さんは、最近は「食べる人」が主役になったと語っています。食べるだけの人は、おなかがすくと機嫌が悪くなる。“デパ地下”に行けば、つい食べきれないほど買い込んでしまう。健康面を考えると、「食べる人」ではなく「作る人」こそ主役になる必要があると指摘しています。
 料理を「作る人」は、たとえ1人暮らしでも、台所に立てば肉ばかりでなく、自然と野菜も加えようとするものです。料理を作る行為には、栄養バランスまで正しく「調整する機能」が本来的に含まれています。日頃の食事で「作る」を基本にすることが、自身や家族の幸せにもつながると、強調しています。  

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2018年08月07日

ワンオペ育児

 「ワンオペ育児」という言葉が広まりつつあるそうです。ワンオペとは、飲食店などで従業員が一人で全業務を行うこと(ワンオペレーション)。この過酷な労働と同じように、核家族では、一人で育児を行う若い母親が増えています。
 「夫の仕事が忙しくて頼れない」「たまに家にいても、非協力的」などの悩みを抱える人も少なくない。「疲れがたまり、追い詰められ、つい子どもに強くあたってしまい、さらに落ち込む」という人もあるそうです。共働きだと、状況はより過酷になるのは深刻ですね。  

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2018年08月06日

73年前の今日、午前8時15分

 73年前の今日。午前8時15分、一発の原子爆弾がさく裂しました。3000度以上の熱線に肌は焼かれ、爆風で飛ばされたガラスの破片が体に刺さる。今も続く放射線障害。被爆者の“心の傷”は癒えません。
 15歳で被爆した日本画の巨匠・平山郁夫氏。後年も、8月6日が近づくとうなされたという。被爆から34年後、「平和記念式典」で心に浮かんだ情景を描きました。171センチ×364センチを赤い炎で埋め尽くした「広島生変図」。一枚の原爆絵は「広島は生きているんだぞと主張している」(『平和への祈り』毎日新聞社)と。  

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2018年08月05日

アウトプットする能力

 哲学者の萱野稔人氏は「知性の本質は、言葉をアウトプット(出力)することにある」と語っています。高校までの勉強は正確なインプット(入力)の能力が試されるが、大学や社会で求められる知性とは、アウトプットする能力。言葉を使って表現することで、自分の考えが明確になったり、物事を十分に理解していないことが分かったりする、と(木村俊介著『「調べる」論』NHK出版)
 自分の考えを言葉にするには、時に勇気が必要かもしれない。だが、そこに“新しい自分”との出会いや視野の広がりもあるのですね。  

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2018年08月04日

あなたは今、どこから来たの?

 東京・葛飾区の柴又が舞台の映画「男はつらいよ」。主人公「寅さん」の妹さくら役を演じた倍賞千恵子さんが、撮影中の出来事を振り返っています(『倍賞千恵子の現場』PHP新書)
 手前に寅さんとさくらのアップを捉え、背景に通行人が通り過ぎる場面。芝居が始まった途端、山田洋次監督がダメ出しをしました。そして、通行人役のもとに駆け寄り、問い掛けた。「あなたは今、どこから来たの? どこに帰る人なの?」と。
 子どもが待っているから帰宅を急ぐ。夕焼けに見とれつつ、ゆっくり歩く――。おのずと歩き方一つにも違いが出るはず、と。全ての役に、みずみずしい命を吹き込もうとした監督の姿勢が、国民に長く愛される人情喜劇を生んだのでしょう。
  

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2018年08月03日

ながら食事

 「いただきます」「ごちそうさまでした」――小学生の頃、給食の時間に皆で声をそろえたことが懐かしいですね。しかし独りの食事だと、何となく食べ始め、食事中もテレビや携帯電話を見ながら……ということが、つい多くなってしまいます。
 食の総合コンサルタントの小倉朋子さんは、この“ながら食事”に警鐘を鳴らしています。「なんとなく食べていると、お腹はいっぱいになっているのに、なぜか気持ちは『まだ食べたい』のです。お腹が満足しても心が『つまらない』のですね」と。
 満足な食事をするコツとして、小倉さんは「食べ始め」「食べ終わり」のあいさつを勧めています。自分でオン・オフのリズムをつくれば、心も食事に向き合うことができ、満足感も生まれやすいという(『私が最近弱っているのは毎日「なんとなく」食べているからかもしれない』文響社)納得!!  

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2018年08月02日

一通の手紙

 核兵器の歴史は〝一通の手紙〟から始まったといえると指摘されています。アインシュタインが署名し、米国大統領に原爆開発計画の推進を求めた、1939年8月2日付の書簡です。ナチスの脅威下での決断とはいえ、彼は後日、署名したことは「大きな誤り」と認めています。
 被爆体験は「どうしても言葉にならない」という。記録映画の中で、被爆者が言っています。あの地獄の苦しみは「体験したもんしか分からんですよ」と。けれども、だからこそ、その一分でも「分かろう」とする努力を怠ってはいけないのです。  

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2018年08月01日

戦後73年の今

 きょうから葉月です。終戦73年の8月が巡りきました。昭和20年は、当たり前ですが「戦前」の終わりであり「戦後」の始まりでもあります。
 戦後73年の歩みには光も影もありました。その光を見ず、返す刀で、戦前をことさらに美化する声が、次第に大きくなっている風潮があります。書店に並ぶ本の表紙を観察するだけで、その傾向はうかがえます。
 私が進行しています創価学会にとって昭和20年は、戸田第2代会長が出獄し、一人、組織の再建に歩み始めた年であります。平和と民衆の幸福を打ち立てる闘争は、池田第3代会長に引き継がれ、今日の世界的発展を見るに至っています。それを可能にした内発的な条件は、地涌の菩薩を呼び現した、三代の会長の「広宣流布の信心」にあります。
 一方、外的条件は、戦前の体制の解体がもたらした自由、とりわけ「信教の自由」です。学会の「精神の正史」である小説『人間革命』の第1巻は「真に力のある宗教は、信教の自由を欲し、力のない宗教は、権力と結託しようとする」と国家神道を批判し、連合国軍総司令部による民主化を「梵天、帝釈の御計らい」と記しています。
 社会の変化に応じて、広布の運動の在り方は変わるべきだ。一方で、師弟の精神、平和と自由の砦であり続ける誓いだけは変わってはならない。戦後73年の今、そう思います。  

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