2015年06月11日

サクランボ

 東北の山形盆地は今、佐藤錦をはじめ、サクランボの収穫シーズンです。全国の生産量の約75%が山形県。宝石のルビーのような美しい輝きが、雨にぬれたみずみずしい葉の緑によく映えます。
 日持ちがしないサクランボは、収穫すれば、短期間の勝負。この時を最高の品質に仕上げて迎えられるよう、農家は労苦を惜しまない。その宝石の輝きは、大地が人間の努力へ贈った“勲章”であり、生命の喜びの賛歌です。  

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2015年06月10日

セレンディピティー

 科学の世界には、偶然から生まれた発見や発明が数多くあります。一例をあげれば、ノーベルによるダイナマイトの発明、レントゲンによるエックス線の発見などが知られています。
 特筆されるのは、感染症を予防する、世界初の抗生物質・ペニシリン発見のきっかけもそうでした。イギリスの細菌学者A・フレミングがブドウ球菌を培養中、偶然にアオカビが培地に混入していました。よく見ると、その周辺でブドウ球菌が消えていたのです。
 「ペニシリン」はアオカビの学名に由来します。偶然の産物には違いありませんが、発見はそれだけでは生まれません。彼が四六時中、実験と格闘していた努力の裏付けがあればこそ、幸運を生かすことができたのです。
 近年、はやりの言葉でいえば「セレンディピティー」(偶然をきっかけに思わぬものを発見する能力)ですね。  

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2015年06月09日

おじさん・おばさん論

 海野弘氏の『おじさん・おばさん論』(幻戯書房)は、世界の歴史と文学作品に見られる「おじ・おば」と「甥・姪」の関係を点描した快作です。
 親子の情愛を「垂直」、友情や恋愛を「水平」とすれば、おじさん・おばさんは、子どもにとって、「斜め」の関係を結ぶ存在。「外の世界との交流のはじまり」であり、「彼らは他者への、世界への案内者」なのだ、と海野氏は綴っています。そして「現代における他者への想像力の貧しさは、おじ・おばの不在と関連しているのではないだろうか」と提案しています。
 核家族化が進んだ現在で は、血縁のおじ・おばと接する機会は少ないのが普通です。代わって問われるのは、「近所のおじさん・おばさん」が、子らの成長に関われるか否かではないでしょうか。  

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2015年06月08日

ジッドの芸術論

 「偉大なる芸術家とは」。フランスの作家アンドレ・ジッドは言いました。「難渋することによって鼓舞され、あらゆる障害を踏切台に用いる人間」のことである、と。ジッドが、例として挙げた逸話が興味深いので紹介します。
 ミケランジェロの代表作の一つ「モーセ像」の窮屈に座る姿は、「大理石が足りなかった」おかげで考え出されたという言い伝えである(『芸術論』河上徹太郎訳、第一書房。現代表記に改めた)。像は教皇の墓碑を飾るものとして依頼されたが、完成までの道は、墓碑計画の縮小、次の教皇による無理難題な別の仕事の押しつけなど、苦闘の連続でした。
 障害こそが、芸術家の創造力を引き出すバネとなった――ジッドの芸術論には、人生万般に通じる真理が含まれています。  

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2015年06月07日

道を開く”苦労の生涯

 青森が生んだ「板画家」棟方志功は、“道を開く”苦労の生涯でした。小学校の図画では、手本に似せて描かないために満足な成績をもらえず、後年、画家を志し、挑んだ「帝展」では落選続きでした。
 その後、版画に進みましたが、納豆売りをしてしのいだ日々もあったそうです。「ほんとうのものは大抵はいたましい中から生れる」。陶芸家の河井寛次郎から贈られた言葉を作品に残しました。
 苦に徹してこそ、本物が生まれ、磨かれていく――その揺るがぬ信念を自身の生命にも彫り込んだ人生は、誇り高い輝きを放っています。  

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2015年06月06日

最近の若い人は…

 厚生労働省によると、大卒新入社員が入社3年以内に辞める離職率は31%に上るそうです。その解決策として、新入社員に「アドバイザー」を付けて応援する企業が、近年では増えているそうです。
 人種差別や軍国主義と戦った米国の女性作家パール・バックは、「私は世界中の人々の抱えている諸問題について、あたかもそれが自分の責任であるかのごとく真剣に考えています」と言った(丸田浩訳、『パール・バック伝 下巻』舞字社)
 責任感の有無は、行動によって測られます。〝最近の若い人は……〟と嘆いているうちは所詮、人ごとなのです。心を砕き、一緒に汗を流す中で、人は伸びる。育てる人にも、成長と充実をもたらしてくれるはずです。
  

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2015年06月05日

サッカー王国・ドイツ

 サッカーで3度の世界王者に輝くドイツの誇りが地に落ちたのは2000年の事でした。欧州選手権で代表チームが1勝もできなかったのです。サッカー王国・ドイツは真剣な復権への取り組みが始まりました。
 ドイツ連盟が打った手は、名監督の招聘でも、代表チームの集中的な強化でもありませんでした。子どもたちに目を向けました。育成プログラムの改革と徹底によって、技術に優れた若手が次々と育ち、10年の歳月をかけて、「勝負強いがつまらない」とやゆされたサッカーが、攻撃的で魅力にあふれたスタイルに変わったのです。  

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2015年06月04日

生かされない自分

 「こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ」。これは石川啄木24歳の時の歌集『一握の砂』に収められた歌です。自分が理想とする仕事がほしいという苦悩、生かされない自分への、若さゆえの焦りと憤りが読み取れます。  

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2015年06月03日

よき出会いは・・・・

 お隣の中国に、「青天で太陽と月とが衝突したようである」と言われる出来事があります。大詩人である李白と杜甫の出会いです。近代中国の古典学者である聞一多が、「我が中国四千年の歴史の中で、これほど重大で、これほど神聖で、これほど記念的な出会いはない」と、太陽と月の衝突に譬えたのです。時に李白44歳。杜甫33歳。李白は宮廷から追われ、杜甫は科挙の試験に失敗し、共に失意の中での出会いでした。
 出会いの後、2人は旅に出ます。杜甫は李白から大いなる啓発を受けたのでしょう。「李白よ、あなたは詩にかけては天下に敵がなく、その詩想は、凡俗を超越し、なみはずれている」等と、李白を憶う詩を15編も残しています(石川忠久編『漢詩鑑賞事典』講談社学術文庫)
 よき出会いは、人と人を結び、心を磨き、互いの人生を輝かせていきます。そんな出会いを、いくつ重ねられるか――ここに人生のロマンがあります。  

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2015年06月02日

無縁の人は一人もいません

 生老病死の「四苦」から無縁の人は一人もいません。それにどう向き合うかは人生の根本問題です。経験豊かな看護師は語ります。大病を乗り越える人の共通点は――①絶対に生き抜くとの強い決意がある②感謝の心を持っている③よく笑う、の3点です。そして、〝人のため〟という生き方を貫いてきた人は、患者となっても光っています、と。  

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2015年06月01日

今日は「歓喜の歌」が日本で初演された日

 「運命はこのように扉を叩く」。交響曲第5番、「運命」と呼ばれる曲の冒頭の音律について、ベートーベンは、こう語ったと言われています。
 楽聖ベートーベンの曲が今も胸を打つのは、聴覚が失われゆく苦悩との闘いの中から作品を生み出したからです。「苦悩を突き抜けて歓喜へ」。彼の言葉を通し、創価学会の名誉会長は綴っています。「試練に負けず、勇気をもって苦難に打ち勝つ、その時、自分らしい『歓喜の歌』が、わが生命の青空に轟き渡る」と。
 運命を切り開く力は、わが生命の中にある。6月1日は、1918年、「歓喜の歌」が日本で初演された日。どんな苦難にも、断じて前へ――歓喜に至る前進を開始したいものです。  

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