2012年12月07日
袖振り合うも他生の縁
「袖振り合うも他生の縁」。ここの「他生」は「多生」とも書くそうですが「多少」は間違いだそうです。袖が少し触れ合った程度の関係でも、多生、つまり、過去世までさかのぼれば、何かしらの縁はある、という意味なのです。
平成22年の世相を反映する流行語の一つに「無縁社会」が選ばれています。これは孤独死や結婚難、リストラ、児童虐待などの社会現象は、日本人がかつて持っていた家族や地域、会社などとの結びつきを、急速に失いつつあるところから生まれています。この無縁社会化は、雇用や家族の在り方など、社会構造の変化と深くかかわっています。ゆえに、安易に「心の問題」とすることはできません。その上で確かなのは、袖振り合うほどの縁もない人は、一人もいないということです。
無縁社会にも縁はあります。無くなったものがあるとすれば、それは縁を大切に育み、強め、広げていく人間の振る舞いではないでしょうか。
平成22年の世相を反映する流行語の一つに「無縁社会」が選ばれています。これは孤独死や結婚難、リストラ、児童虐待などの社会現象は、日本人がかつて持っていた家族や地域、会社などとの結びつきを、急速に失いつつあるところから生まれています。この無縁社会化は、雇用や家族の在り方など、社会構造の変化と深くかかわっています。ゆえに、安易に「心の問題」とすることはできません。その上で確かなのは、袖振り合うほどの縁もない人は、一人もいないということです。
無縁社会にも縁はあります。無くなったものがあるとすれば、それは縁を大切に育み、強め、広げていく人間の振る舞いではないでしょうか。