2012年08月20日
京街道
天下を統一した豊臣秀吉が淀川の治水のために建設した「文禄堤」があります。後に徳川の時代となり大阪と京都(伏見)を結ぶ最短コースの道「京街道」として整備されました。今も石垣のようになった堤の跡が、大阪の守口市駅(京阪本線)の周辺に残っています。
この街道、江戸時代には道中奉行が管轄する幕府の主要路の一つでした。文禄堤の完成後、守口は交通の要衝として栄えました。現在も守口市本町付近には、当時の街道の宿場の面影があります。
この街道、江戸時代には道中奉行が管轄する幕府の主要路の一つでした。文禄堤の完成後、守口は交通の要衝として栄えました。現在も守口市本町付近には、当時の街道の宿場の面影があります。