2015年10月04日

情報摂取量

 米国のある調査によると、一人当たりの情報摂取量は50年前の3倍になっているそうです。これは、情報のデジタル化のゆえですが、その 結果、現れたのは「ありあまるほどの答えを持ちながら、優れた問いのほとんど出されない社会」との指摘があります(『減速思考』R・ワトソン著、北川知子 訳)
 古典『荘子』に「機心」という言葉があります。「機械にとらわれる心」との意味。井戸水を手作業で汲む老人に“機械を使えば”と勧めると、老人はこう 答えた。“機械を持てば、機械による仕事が出てくる。機械による仕事ができれば、機械にとらわれる心が生じる。純白の度が薄くなり、精神が定まらない” (「外篇 天地第十二」)
 現代では、情報を「どう得るか」よりも「どう選び抜くか」が重要です。便利な情報の道具から離れ、人生にとって何が本質的に大事 かを「自身に問う」、つまり「考える」作業が、より必要となっています。  

Posted by mc1460 at 09:17Comments(1)TrackBack(0)つぶやき