2014年04月11日

絵本の読み聞かせ

 騒ぎ回っていた子どもたちが、ぴたりと静まり返った。目を輝かせ、夢の世界へ。小さい子を膝に乗せ、いつも通り大人が始めたのは、絵本の読み聞かせです。
3万5千冊の絵本を所蔵する北海道・剣淵町の「絵本の館」では、20年以上、ボランティアによる読み聞かせが続いています。絵本コンテストも町の伝統になりました。町への年間の観光客は人口の170倍にあたる約60万人に上ります。絵本の読み聞かせは郷土の活性化にもつながっています。  

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2014年04月10日

開拓は百年先の見通しが大切

瀬戸大橋は、岡山と香川を全長9368メートルで結びます。道路と鉄道の併用橋としては世界一の規模です。六つの橋からなり、最長の南備讃瀬戸大橋は、1723メートルのつり橋となっています。耐震性や耐風性はもちろん、瀬戸内海に浮かぶ島々の、美しい景観との調和も重視されています。
本州と四国に橋を架けるという大構想――最初に提唱したのは大久保じん之丞という人物です。彼は私費を投じて四国新道を開くなど、先見性に富む政治家だったと、瀬戸大橋記念館(香川県坂出市)の展示で知ることができます。「開拓は百年先の見通しが大切」。これが彼の強い信念だったそうです。  

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2014年04月09日

J・F・ケネディ

J・F・ケネディが大統領選出馬の際、一つの政策ビジョンを掲げました。有名な「ニュー=フロンティア(新たな開拓)」です。キューバ危機の打開、核実験の縮小、宇宙開発の推進、公民権法の制定――多くの実績を残したケネディ。しかし、これらは、大統領就任前は「まだ地図に記されていない」「まだ解答の出ていない」、まさに〝未開拓〟の難問ばかりだった(中屋健一訳『ケネディ・上』河出書房新社)
誰もやったことがない。前例がない。「だから、やめておこう」ではなく、「それなら、自分が〝前例〟をつくってみせる」と奮起する。それが、青年指導者・ケネディの気概だった。彼は語る。「人間は自らが望むだけ偉大になれる。人間の運命の問題で人間の手がおよばないものはない」と。  

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2014年04月08日

希望

ドイツの文豪ゲーテの作品に「希望」と題する詩があります。「わが手の営む日々の仕事/これを完成する高い幸福を与えてくれ!/わたしは中道で倦むことがないようにしよう!/いや これはむなしい夢ではないのだ/今は枝も葉もなく棒さながらのこの樹も/いつかは実をつけ影を落とすのだから」(山口四郎訳『ゲーテ全集1』潮出版社)
1775年、26歳のゲーテは、ワイマールのカール・アウグスト公に顧問として迎えられました。以来57年間、政治家として活躍します。この詩は、ワイマールで新しい仕事を始めた翌76年の作品です。ワイマールを、自身の枝や葉を伸ばし、実をつける“使命の天地”と定めた、青年ゲーテの心が伝わってきます。  

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2014年04月07日

マニュアルに頼らず

 宿泊客が求めていることを、求められる前に提供する――。これは石川県の、ある老舗旅館における「おもてなし」の定義です。この「おもてなし」実現のため、客室係が接客に集中できる環境づくりが行われています。
サービスの世界大会で審査員を務めた下野隆祥氏は、著書『世界一のサービス』で、サービスの根源には「お客さまに対する『歓迎や感謝』の気持ち」がなければならないと強調しています。相手の気持ちになって考え、その要望の一歩先をいく――これこそ日本人が育んできた「おもてなしの心」にほかならない。
接客業の中にはマニュアルで対応するところも少なくない。これは一定以上の、均質なサービスを提供するためです。しかし、マニュアルばかりに頼ると、目の前の顧客が見えなくなり、サービスが悪いと受け取られるケースもあります。
価値観が多様化する現代にあって、相手の望むことに気付くのは難しい事です。人の気持ちを推し量るには、マニュアルに頼らず、人と会い、会話する機会を増やし、自分を磨くことが大切です。  

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2014年04月06日

チョコレート

 中国瀋陽雑技団の本部には、特製のガラスケースに入った「チョコレート」があるそうです。中身はレプリカ(複製)ですが、包み紙は40年前のままです。それは、周恩来総理から雑技団に贈られたものなのです。
1971年の「ピンポン外交」は、米中関係の正常化につながった文化交流として知られています。この流れを一段と広げたのが翌72年の「雑技外交」で、瀋陽雑技団は、その使命を担いました。
周総理は、約1カ月に及ぶ雑技団の米国公演中、毎日、団員の体力保持と栄養補給のためにチョコレートを届けたそうです。当時の中国でチョコは貴重品でした。支給は、その後の中南米公演でも続けられました。ある時、チョコが盗まれてしまい、団員に届かないことがありました。それを知った総理は、雑技団の帰国後、ポケットマネーでチョコを購入して届けたそうです。真心に感動した団員が、もらったチョコを2個ずつ出しあい、「永遠の栄誉」として保管したのです。  

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2014年04月05日

勝利の春

 「師をしたふ こころに生くる卯月かな」。これは飯田蛇笏の句です。彼は高浜虚子に師事し、後年、俳壇の重鎮として活躍しましたが、その人生は順風ではありませんでした。戦中、戦後に両親と3児を失う悲運に耐える中で句境を深めました。“人生の冬”を越え、勝利の春を開いた人の心に宿るもの。それは、自身を支え続けてくれた人への感謝の思いです。
4月は新年度の春、入学や就職で新たな活躍の舞台に進出する友の心にも、家族、友人、そして師と、お世話になった人の顔が思い浮かぶことでしょう。  

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2014年04月04日

人の思い

 「なぜ山に登るのか」「そこに山があるからだ」と、英国の登山家が語った話は有名です。同じ問いに、日本の登山家の小西浩文氏は“人の思い”に気付けるから、と答えています。
険難の峰を登るには、周囲の励ましや支えがあってこそ実現できます。こうした“人の思い”は、普段はつい見過ごしがちとなります。が、生死を分かつ極限状態に置かれると、ダイヤのように尊く輝いて見えるという。「その『宝物』があるからこそ、人は新たな困難に、次の限界に挑むことができる」(『生き残る技術』講談社+α新書)  

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2014年04月03日

「忘れる」と「忘れない」

「忘れる」とは「心」の上に「亡」と書きます。これは、心の中のものが「隠れてわからなくなる」ことを意味します(『漢字語源辞典』)。
それに対して、「忘れない」とは、単に記憶にとどめるだけでなく、苦闘の中にいる人々の「心に寄り添い続ける」ことです。  

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2014年04月02日

師から弟子へ

 東京・信濃町に、慶応義塾大学医学部があります。初代医学部長は、世界で初めて破傷風の血清療法を確立した北里柴三郎。彼が本格的に医学を志したきっかけは、熊本医学校時代の師マンスフェルトとの出会いでしたた。“君は本当に医学者になる意思で勉強しているのか?”との問いに奮起。後年の活躍は師の薫陶の賜物です。
ドイツ留学時代の師コッホ、そして、帰国後の窮地を救った福沢諭吉も北里を支え続けました。終生、師恩を忘れなかった北里自身も師となりました。彼の門下から、赤痢菌を発見した志賀潔や、黄熱病の克服に尽くした野口英世が出ました。
近代日本の発展の基には、師から弟子への連綿たる継承があるのです。  

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2014年04月01日

元患者

 「ここには、ハンセン病の患者は一人もいません」。岡山県のハンセン病の国立療養所を訪れた時、はじめに担当者が説明してくれます。
この療養所には、現在270人余の入所者が暮らしています。だから、初めて訪問する人の中には、漠然と、“この療養所には、多くの患者がいる”と思い込んでいる場合が少なくないようです。
1940年代にプロミンなど同病の特効薬が開発され、入所者は、後遺症があっても、すでに“元患者”なのです。  

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