2013年12月11日

教育・育成の根本

 直木賞作家の葉室麟氏が小説『霖雨』で、近世日本最大の私塾「咸宜園」(大分・日田市)を巡る人間模様を描いています。
 初代塾主・広瀬淡窓の教育への信念を、「努力を粘り強く見守ることが、ひとを教えるということ」と綴っている場面が印象的です。広瀬淡窓は、江戸時代にあって「三奪」を唱え、塾生の年齢・学歴・身分の三つを〝奪って〟平等に遇し、個性重視の人間教育を行った人物です。
 明治になって、大分の隣県・熊本には、第五高等学校(現在の熊本大学)が設置されました。そのキャンパスには今、「師弟の和熱ハ育英ノ大本タリ」と刻まれた碑が立っています。これは夏目漱石が、同校の開校10周年記念式で、教員総代として述べた祝辞の一節です。
 努力を重ねる学生と、その成長を見守り、励ましに全力を注ぐ教師――両者が和して互いの情熱が燃え盛るところに、教育・育成の根本があります。  

Posted by mc1460 at 11:36Comments(0)TrackBack(0)つぶやき

2013年12月10日

ハングル

 「永い冬を耐えたわたしは/草のように甦える。/愉しげなひばりよ/どの畝からも歓喜に舞いあがれ」(「春」伊吹郷訳)。詩の作者は戦争中、日本に留学した韓・朝鮮半島出身の尹東柱。日本の植民地支配に抵抗し、母国の文字ハングルで多くの作品を残した青年詩人です。
 これら数編の詩は、官憲の目を避けるため、土中に埋められたそうです。その後、治安維持法違反で逮捕され、1945年2月、27歳で獄死。詩は、戦後になって日の目を見ました。不屈の魂は、不滅の共鳴を呼びます。彼の作品は現在、韓国や日本で広く読み継がれ、愛されています。  

Posted by mc1460 at 11:33Comments(0)TrackBack(0)つぶやき

2013年12月09日

言葉の力は無限

 何気ない一言が心に残り、一生を決める場合さえあります。「おまえには、星をめざすことだってできるんだよ」。米国初の女性宇宙飛行士サリー・ライドさんを宇宙に導いたのは、子どものころに聞いた父の一言だった(『私の人生を変えた黄金の言葉』主婦と生活社)。
 「次は女性の番だね」。人類初の女性宇宙飛行士ワレンチナ・テレシコワさんを生んだのも「ガガーリン少佐、宇宙へ」のニュースを聞いた母のつぶやきだったそうです。
 言葉の力は無限です。洗練された言い回しでなくていい。励ましの声をかけ続けること。そこから人生の美しい劇が花開くのです。  

Posted by mc1460 at 13:04Comments(0)TrackBack(0)つぶやき

2013年12月08日

カラマーゾフの兄弟

 ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』(岩波文庫)の中に、一人の貴婦人が、信仰の確信を得られない悩みを長老に問うシーンがあります。その答えは「実行の愛」。人のために怠りなく行動することで確信は得られると説諭しています。
 さらに、ある医師の話が続いています。空想の中では人類をも愛する自分だが、驚くのは、そんな自分が目の前の一人と関わると、自らの狭量さが前面に出て、愛どころか憎悪さえ生まれるとの告白です。

カラマーゾフの兄弟 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%BE%E3%83%95%E3%81%AE%E5%85%84%E5%BC%9F  

Posted by mc1460 at 16:03Comments(0)TrackBack(0)つぶやき

2013年12月07日

この世学問

 明治の文豪・幸田露伴は、自分の娘に魚のおろし方などを手ずから教えました。が、『論語』の素読だけは、家庭教師を付けたそうです。
 その人は、露伴が理髪店で知り合った近所の老人でした。ところが老人は、論語だけでなく、娘を凧職人に会わせたり、寿司の食べ方を教えたり……。娘に「この世学問」を説く露伴のねらい通りだった。
 明治大学の齋藤孝教授は「まったく違う世界で生きている人たちの生態にじかに接することが、生きていく強さ、人間としての幅広さになる」と指摘しています。相手との間に、自分とは違うという「気づき」を実感しつつ生きるのが人生というもの。だが“同種”の中でしか生きなくなった若い人には、「気づく」力が不足していると(『違和感のチカラ』角川書店)  

Posted by mc1460 at 11:29Comments(0)TrackBack(0)つぶやき

2013年12月06日

毎日一案

 蒔絵師の大場松魚氏は「漆聖」と呼ばれた松田権六氏に師事しました。そこで学んだことの一つが、「一日一図案」だった(松田権六著『うるしの話』)
 大場松魚氏は師の松田権六氏から「毎日一つ、図案を描きとめるよう」に言われたそうです。1カ月で30、1年で365……それが1000案にもなれば、良いものが必ずあると。ある日、大場氏は意気込んで、1日に100案描いてみせたそうです。
 そうしたら「数の問題じゃあないんだ、こつこつ努力した一案が大切なのだ」と、ひどく叱られたそうです。調子の善し悪しによらず“毎日一案”描いて、何もしない日をつくらない。この地道さが、後に師と同じ「人間国宝」へと大場氏を大成させたのでしょう。  

Posted by mc1460 at 11:32Comments(0)TrackBack(0)つぶやき

2013年12月05日

一通の便り

 時に、たった一通の便りが人の人生を変えることもあります。フランスの文豪ロマン・ロランの挿話がそれを物語っています。
 ロマン・ロランが無名の学生時代、トルストイに人生の悩みを訴える手紙を出しました。思いもよらず、大文豪から誠実な励ましの返信が届きました。歓喜した彼は、終生トルストイを人生最大の師と仰ぎ、数々の名作を著す文豪となったのです。  

Posted by mc1460 at 11:31Comments(0)TrackBack(0)つぶやき

2013年12月04日

ある実験

 福沢諭吉が旅すがら、とある実験を試みたそうです。向こうから人が来る。偉そうな態度で道を聞く。相手は、かしこまって丁重に答える。また向こうから人が来る。今度は物腰低く尋ねてみる。相手は横柄な態度に出る。
 この実験を通して、こちらの出方次第で、相手は伸びたり、縮んだり。まるで〝ゴム人形〟のよう。困ったものだ、と諭吉は嘆く。「世間に圧制政府という説があるが、これは政府の圧制ではない、人民の方から圧制を招くのだ」と。『福翁自伝』に見える逸話です。  

Posted by mc1460 at 11:33Comments(0)TrackBack(0)つぶやき

2013年12月03日

コミュニケーション能力

 日本経済新聞社がまとめた「人事トップが求める新卒イメージ調査」によると、採用したい人材像の具体的な項目で「コミュニケーション能力」が全体の約60%を占めました。
 家族や学校という閉じた空間での対話には、共通の基盤があります。それに対し、社会で要求されるのは、異なる年代、文化、業種の人々の価値観を理解し、説得できる力です。
 言語教育の専門家である北川達夫氏は、「自分のことばが通じないということの体験」が重要だと語っています。「いつでも通じていたら表現は上手にはならない。わかってくれない人という存在が絶対に必要になってくる」(共著『ニッポンには対話がない』三省堂)  

Posted by mc1460 at 11:31Comments(0)TrackBack(0)つぶやき

2013年12月02日

みんなの家

 岩手の釜石に「みんなの家」があります。これは世界的建築家の伊東豊雄さんたちがつくった施設です。
 伊東さんは被災地で、非人間的な毎日を少しでも人間的に生きようとする人たちを見ました。テーブルを提供し語り合いの場をつくる人、楽器ができるからと、ミニコンサートを開く人。自分なりの何かを提供し、みんなで共有する無数の試み――伊東さんは、そこに未来を見たという。
 「みんなの家」は、そういう試みを支援する場になればと、仙台、釜石、陸前高田などにつくられました。「みんなの家」の理念は「贈与」と「交流」。自分にできることを提供し、共有すれば、真心と感謝が行き交い、明るい笑いが響き合う社会が生まれます。

みんなの家 http://itojuku.or.jp/ourhome  

Posted by mc1460 at 11:27Comments(0)TrackBack(0)つぶやき

2013年12月01日

1行

 作家の向田邦子さんは、とにかく筆の走りが速かったそうです。「四」の文字を書く時間さえ惜しいのか、棒線を横に4本引いたという話も残っています。
 ただ、書き出すまでが長かったそうです。中でも“冒頭のセリフが浮かばない”と筆を執るまで深く思い悩んだ一作が、後に、その執筆をライフワークにしたい、と言った名作『だいこんの花』でした。思いを込めた作品ほど、筆者は最初の1行に全魂を傾けるのでしょう。

  

Posted by mc1460 at 11:47Comments(0)TrackBack(0)つぶやき