2013年12月07日
この世学問
明治の文豪・幸田露伴は、自分の娘に魚のおろし方などを手ずから教えました。が、『論語』の素読だけは、家庭教師を付けたそうです。
その人は、露伴が理髪店で知り合った近所の老人でした。ところが老人は、論語だけでなく、娘を凧職人に会わせたり、寿司の食べ方を教えたり……。娘に「この世学問」を説く露伴のねらい通りだった。
明治大学の齋藤孝教授は「まったく違う世界で生きている人たちの生態にじかに接することが、生きていく強さ、人間としての幅広さになる」と指摘しています。相手との間に、自分とは違うという「気づき」を実感しつつ生きるのが人生というもの。だが“同種”の中でしか生きなくなった若い人には、「気づく」力が不足していると(『違和感のチカラ』角川書店)
その人は、露伴が理髪店で知り合った近所の老人でした。ところが老人は、論語だけでなく、娘を凧職人に会わせたり、寿司の食べ方を教えたり……。娘に「この世学問」を説く露伴のねらい通りだった。
明治大学の齋藤孝教授は「まったく違う世界で生きている人たちの生態にじかに接することが、生きていく強さ、人間としての幅広さになる」と指摘しています。相手との間に、自分とは違うという「気づき」を実感しつつ生きるのが人生というもの。だが“同種”の中でしか生きなくなった若い人には、「気づく」力が不足していると(『違和感のチカラ』角川書店)
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