2013年01月27日
選択的知覚
企業の不祥事、重大な事故の報道が毎日のようにあります。それらが起きた後には、問題を傍観してきた関係者が、しばしば非難されています。しかし、そうした報道に接して、私達は「けしからん」と怒るだけでは生産的とはいえないと思います。「見て見ぬふり」は、人間に本来備わる特質から来ており、その意味で、自分自身の問題だからなのです。
「選択的知覚」という言葉があります。「人間は、情報をそのまま受け取るのではなく、自身の信条・関心・経験に添うものだけを都合よく選択して認識する」という意味です。具体的に言えば、現実に起きていることでも「見たくない」ものは「見えない」のと人間は選択するのです。
そういった意味で、あらゆる組織が馴れ合い、先送り、事なかれ主義と無縁でない理由がここにあります。問題はあるが、取りあえず組織は動いている。問題を指摘すると孤立するかもしれないし、人間関係など、自分の生活にストレスがかかる。そうして重大な問題も見過ごされ、限界点で“破裂”するわけなのです。
「選択的知覚」という言葉があります。「人間は、情報をそのまま受け取るのではなく、自身の信条・関心・経験に添うものだけを都合よく選択して認識する」という意味です。具体的に言えば、現実に起きていることでも「見たくない」ものは「見えない」のと人間は選択するのです。
そういった意味で、あらゆる組織が馴れ合い、先送り、事なかれ主義と無縁でない理由がここにあります。問題はあるが、取りあえず組織は動いている。問題を指摘すると孤立するかもしれないし、人間関係など、自分の生活にストレスがかかる。そうして重大な問題も見過ごされ、限界点で“破裂”するわけなのです。