2013年01月31日

“分かっているつもり”が危ない

 歴史学者の故・阿部謹也氏は大学時代、尊敬するゼミの担当教授に大きな影響を受けました。教授は学生の報告に、いつも“それで何が解ったことになるのか”と問いかけたそうです。以来、阿部氏は読書などの際に、“それで何が解ったことになるのか”と、そう自問し続けたという事です。
 教授いわく“解るとは、それによって自分が変わること”。ただ「知る」のではない。徹底して思考を深め、研究対象の本質に迫っていく。心からの納得は、自身をも変える力を持つ、という意味であろうと論じたそうです。
 この恩師の言葉を踏まえつつ、阿部氏は「一見解っているように思われることでも、じつは何も解っていない」ことがしみじみ実感された、と述べている(『自分のなかに歴史をよむ』ちくま文庫)
 人はともすれば、表面だけを見て物事を判断してしまう。この“分かっているつもり”が危ない。成長への道を、閉ざしてしまっているかもしれないからです。  

Posted by mc1460 at 14:28Comments(0)TrackBack(0)つぶやき