2017年06月20日

出し惜しみしちゃダメよ

 NHKの連続テレビ小説『ひらり』(1992年 - 1993年)の脚本を、初めて担当することになった内館牧子さんが、先輩の橋田壽賀子さんから言われた教えがあります。「出し惜しみしちゃダメよ」と。
 内館さんは、これまで書きためていた原稿を全部捨て、一から書き直したという。1回15分間のドラマを、半年も続けるためには、“見どころ”を小出しにしたくなるもの。だが、それを惜しまずに使い切り、また一から、生みの苦しみを始める。この労作業の積み重ねが道を開くことを、橋田さんは教えたのです。  

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2017年06月19日

本当の重さ

 戦中、母と息子が疎開した富山に、東京で暮らす父が大きな荷物を背にやってきた。食べ物を期待したが、それは母が大切にするミシンだった。“息子”である作家・小中陽太郎さんの少年時代の話です。
 小中さんは出世に縁遠く、社交性もない父の人生を、地味だと軽んじていました。大人になった小中さんがある日、ミシンを移動しようとしたが、あまりの重さに動かない。その時、一家を守るために父が背負ってきたものの“本当の重さ”を感じ、心を改めたそうです。  

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2017年06月18日

父の日

 今日は「父の日」です。発祥は米国で、ウィルソン大統領が、この日に関する演説をして定着したといわれています。演説から今年で101年。6月の第3日曜日が「父の日」と定められてからは51年となります。
 母の日があるなら、父の日もあるべき――20世紀初頭、米国で最初に提案したのは、女性の一市民でした。若くして母を亡くした彼女は、5人の兄弟と共に、父に育てられました。子の成長を見届けるように、やがて父は亡くなります。自らも子をもつ世代になった娘が、父が好きだった白バラを墓前に供えて、祈りをささげたのが6月でした。  

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2017年06月17日

夏目漱石の書

 夏目漱石が弟子の内田百閒の家を訪れると、床の間や柱などに、自分が贈った書が飾られていました。漱石は出来栄えが不満だったのか、書き直したいと言い、後日、百閒が持参すると、目の前で破り捨ててしまったそうです。
 これに心乱れた百閒は、漱石に手紙を書いきました。――あの書は単なる美術品ではなかった。見るたび、わが心は落ち着きを取り戻していた。「先生の書は私のただの品物ではなくなって居ります」と(出久根達郎著『漱石先生の手紙』講談社文庫)。書の価値は字の巧拙では測れない。「心」が宿っているからです。  

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2017年06月16日

親子の対話

 脚本家の山田太一氏が、親子の対話について記しています。
 子どもが聞く流行の音楽を無理に分かろうとするより、親は親で浪花節の味わいを愛し、集めたレコードに指一本触れさせない関係の方がよい。要は、親が子の前で「どんな人間として立ち現れているか」だと(『日本の名随筆』作品社)。親は子どもに寄り添うだけでなく、屹立した一個の人間像を示す必要がある。と示しています。  

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2017年06月15日

家康、江戸を建てる

 重版が続く歴史小説『家康、江戸を建てる』(門井慶喜著、祥伝社)は読み応えがあるよです。徳川家康が関八州へ移封されたころは、未開も同然だった江戸。その街づくりを手掛けた職人たちが主人公だそうです。
 東京湾に注ぐ利根川を太平洋に注ぐよう東遷させ、耕作地、居住地を広げた改修事業。貨幣を全国的に統一するための小判鋳造。武蔵野の源泉から飲み水を引き込む水路工事。江戸城の石垣に使う巨石を、伊豆の山の崖から取る、命懸けの作業もありました。
 それぞれ分野は異なるが、誰もが天下の大仕事を支える“主体者”の気概にあふれていました。同書は小説だが、事実、そうした心意気あればこそ、今日の東京に続く、江戸の礎が築かれたに違いない。早速購入して読んでみよう。  

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2017年06月14日

宗教コミュニティー

 ノンフィクション作家の石井光太氏が、宗教コミュニティーの良さとして、「共感し、肯定することができる」点を挙げていました。
 社会生活の中で人は、常に他者との比較にさらされる。自分を肯定できずに苦しむ人も少なくない。互いを掛け替えのない存在として認め合い、たたえ合う仲間の中でこそ、人間は自尊心を持ち、成長への勇気を得ることができるのです。  

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2017年06月13日

胸突き八丁

 「胸突き八丁」という言葉があります。これは富士登山で、頂上付近は急で、息がつまるほど苦しいが、登頂のためには一番大事な時である、というところから、「詰め」の大切さを言うのだそうです。
 人間国宝、桂米朝さんも「サゲ(噺の最後のこと)の前」が最も「大きな緊張」の時であり、この時に客が物を落とすなど、ハプニングが起こると、それまでのすべての苦労が「水の泡」になるといっていました。
 ゆえに、落語家は「あらゆる技術を駆使」して、「ラストの数分間」を乗り越える。サゲの前では、「無駄な言葉は一語も許されませんし、そして必要な言うべき言葉は一語も抜けてはいけない」(『芸道百般』筑摩書房)  

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2017年06月12日

会員になることを・・・

 今から80年ほど前。幅広い文化芸術の振興を目指し、帝国美術院が「帝国芸術院」に改組された時、だれもが選ばれるであろうと思っていた志賀直哉は芸術院会員の選から漏れました。会員には泉鏡花や幸田露伴など、そうそうたる顔ぶれに加えて、志賀より年下の菊池寛や谷崎潤一郎らも名を連ねていました。
 心中穏やかではない志賀の様子を、末弟子の阿川弘之氏がつづっています(『七十の手習ひ』講談社)。志賀は次期会員の打診を固辞し続け、周囲も説得を断念したという。だが、菊池寛だけは諦めませんでした。彼は志賀直哉に「話に行きたい」と電話しても、「来ても無駄だ」と一方的に切られました。それでも自宅に赴き、思いを語った。私心なく、芸術院の未来を思う菊池の“人間の豊かさ”に心打たれ、志賀は会員になることを承諾したそうです。  

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2017年06月11日

サクランボ

 東北の山形盆地は今、佐藤錦をはじめ、サクランボの収穫シーズンです。全国の生産量の約75%が山形県。宝石のルビーのような美しい輝きが、雨にぬれたみずみずしい葉の緑によく映えます。
 日持ちがしないサクランボは、収穫すれば、短期間の勝負です。この時を最高の品質に仕上げて迎えられるよう、農家は労苦を惜しまない。その宝石の輝きは、大地が人間の努力へ贈った“勲章”であり、生命の喜びの賛歌でしょう。  

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2017年06月10日

大事業の陰には

 太平洋と大西洋を結ぶパナマ運河。この世紀の大工事を成功へ導いたのが、技師長のゴーサルズでした。
 彼は、あらゆる現場に足を運び、朝から夜まで働きました。日曜には、運河工事の関係者の誰もが面会できる「相談所」を開き、仕事をはじめ、あらゆる悩みに応じたそうです。病身の子の将来を案じる母の声にも、じっと耳を傾ける。胸の内を親身に聞いてもらえるだけで、皆うれしかった。歴史に残る大事業の陰には、“一人”に光を当てた人間の歴史があったのです。  

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2017年06月09日

高度な人間の能力

 チェコの作家カレル・チャペックが「ロボット」という言葉を世に出して97年です。人工知能(AI)が、囲碁で世界最強レベルの棋士に勝つ時代を迎えました。AIの活用は、日本の成長戦略の柱にも位置づけられています。医療の画像診断、車の自動運転などに用いることで、社会の安心・安全に寄与することが期待されます。
 一方、実験中とはいえ、人工知能が人種差別的な発言をした、というニュースもあります。インターネット上で人と会話を重ね、言葉と会話を学習するAIに、差別的な内容を覚えさせた人間がいたようだ。AIがもたらす未来へ、一抹の不安を抱かせる話でした。
 AIは“雑談”が苦手とされています。それは「パターン化された言葉の往復」をプログラムするだけでは、文字通り、お話にならないからです。
 言葉だけでなく身ぶり、表情、声の調子を感じ取る。相手の言葉に刺激され、次々と新しい発想、発見が生まれてくる――それが対話の醍醐味です。「対話する」ことは、とても高度な人間の能力なのです。  

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2017年06月08日

水をそのまま飲める

 蛇口の水をそのまま飲める国は、世界でも数えるほどしかありません。
 世界に冠たる日本の水道も、明治期の創設時は困難を極めました。先頭に立ったのは、“近代水道の父”中島鋭治博士です。彼は仙台で生まれ育ち、大学卒業後、ドイツで衛生工学を学んでいた時、水道整備の命を受けたのです。
 当時、木製の管は腐り、コレラも流行していました。東京の近代水道は1892年に着工しましたが、日清戦争や市民の反対運動などの試練が続きました。だが、「死すとも仕事を捨てぬ」の信条のまま、6年がかりで給水場を建設し、鉄管敷設を成し遂げたのです。
 彼は技術者を育てながら、各地で水道整備に尽力したのです。晩年に手掛けたのが福島市でした。その精神は受け継がれ、発展を遂げた技術は世界を潤しています。  

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2017年06月07日

夫婦は

 脚本家・松山善三さんと女優・高峰秀子さん夫妻。結婚当初、高峰さんは映画1本100万円の大スター、松山さんは月給1万円余りの無名の助監督でした。
 “この女性に見合う男にならねば”。松山さんは猛然と脚本を書いたそうです。結核を患いながらも仕事に向かう夫を、高峰さんも口述筆記をして支えました。20年後、収入は同等になった。名脚本家となった松山さんが後年、今度は、女優を引退した妻を支えました。
 夫婦は、家族であると同時に、“最も身近な他者”でもあります。常に寄り添い、守り合うとともに、互いの成長へ切磋琢磨し合う関係であれば、人生はもっと素晴らしいものになりますね。
  

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2017年06月06日

5年後のことでした

 日本で最初に「乳児死亡率」をゼロにした岩手の沢内村(合併して現在は西和賀町)。同村は、最新設備のある大病院を誘致したわけではありません。長く医師すらおらず、「死亡率ゼロ」達成の数年前まで、10人に1人近くの乳児が、1歳に満たずに亡くなっていたそうです。1年の半分近くを雪に閉ざされ、「雪・病・貧の三重苦」の村といわれました。
 そんな村に、1957年、深沢晟雄氏が村長となって行った試みが、成果をもたらしました。保健師の採用です。後に村にできた病院で副院長、院長を務めた増田進医師は「保健師活動の始まりとともに、死亡率が急激に下がった」と証言しています。
 保健師が何を行ったか。それは、徹底した家庭訪問でした。一人一人の健康だけでなく、生活、家族の人間関係も詳細に把握。だから、信用もあり、現場に即した発想も出ました。「住民と対話している強みです。医師は技術者として保健師さんの意見に従い、いい結果が出た」と増田医師。「死亡率ゼロ」は、保健師採用のわずか5年後のことでした。  

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2017年06月05日

アジサイ

 アジサイが美しい季節とな2ました。アジサイは土の酸性の度合いによって、藍色からピンク色まで、さまざまな色を咲かせます。その麗しい姿は、古くは万葉集にも歌われています。まさに6月を象徴する花といえましょう。
 アジサイを市町村の花とする自治体も多くあります。長崎市と並んで、同じ港町の神戸市が有名です。1970年に市民アンケートを行い、最も人気が高かったことから選ばれたという。六甲山系の山野には、自生するアジサイも見られます。
 だが歴史をひもとくと、アジサイの咲くころ、神戸は何度も水害に見舞われてきました。河川の改修などの治水対策が進みましたが、38年(昭和13年)の阪神大水害、61年、67年をはじめ、水害は約1400年の間に70度ともいわれます。
 泥水につかるたびに、神戸の庶民は、軒下まで来た砂をかき出し、土砂に埋まった市電の車両を必死に掘り出しました。助け合い、苦境から何度もよみがえった神戸――その「不死鳥」の心は、95年の阪神・淡路大震災でも発揮されました。
 アジサイのがく片は一片一片は小さいですが、それが一つに固まって、手まりのような、かれんな形になります。さらにその“手まり”が、色とりどりに集まって、美の供宴を届けてくれる。アジサイの心とは「団結の尊さ」だと思えますが、あなたはどう思いますか。  

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2017年06月04日

バロンドール

〝サッカー界の英雄〟メッシ選手。だが彼の思春期は、成長ホルモンの異常疾患で、低身長に悩む日々だったそうです。
 彼は〝プロのサッカー選手に〟との夢を抱きしめ、家族と共にアルゼン チンからスペインへ渡ったのは13歳の時でした。懸命な治療とトレーニングで、小柄ながらも一瞬で相手を抜き去るスピードと技術を磨き、バロンドール(世界年間最優秀選手賞)に輝くなど世界のトップ選手へと成長を続けています。
 「最も大切なことは、眼前の人生にいかなる労苦があろうと『決してくじけない』ということ」と語ったのは、膝のけがなど、何度も逆境を乗 り越え、同じくバロンドール(世界年間最優秀選手賞)に輝いたロベルト・バッジョ氏です。  

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2017年06月03日

コーヒー

 コーヒーを入れました。ふと、コーヒー豆のパッケージを見ると、生豆生産国はブラジルとコロンビアで、その販売者として、東京の企業名が記されていました。
 ビジネスと言ってしまえば、それまでですが、出会ったことのない多くの人々の手を介し、“おいしさを届けたい”と、地球の反対側から海を越えてやって来たコーヒー豆……そう思うと、味わいも違ってくる気がしました。  

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2017年06月02日

○○の父

 もうすぐ父の日ですね。ガリレイが「近代科学の父」と尊称されるように、その道の先駆者を“○○の父”と呼びます。また「必要は発明の母」というように、物事を生み出すもとを“○○の母”と形容します。先月は母の日がありました。  

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2017年06月01日

「歓喜の歌」が日本で初演された日

 「運命はこのように扉を叩く」。交響曲第5番、「運命」と呼ばれる曲の冒頭の音律について、ベートーベンは、こう語ったと言われています。人生の苦難は、しばしば突然、襲ってきます。
 楽聖ベートーベンの曲が今も胸を打つのは、聴覚が失われゆく苦悩との闘いの中から作品を生み出したからでしょう。「苦悩を突き抜けて歓喜へ」。彼の言葉を通し、創価学会の池田先生は綴っています。「試練に負けず、勇気をもって苦難に打ち勝つ、その時、自分らしい『歓喜の歌』が、わが生命の青空に轟き渡る」と。
 運命を切り開く力は、わが生命の中にある。6月1日は、1918年、「歓喜の歌」が日本で初演された日です。どんな苦難にも、断じて前へ――歓喜に至る前進を開始したいものです。  

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