2017年06月06日

5年後のことでした

 日本で最初に「乳児死亡率」をゼロにした岩手の沢内村(合併して現在は西和賀町)。同村は、最新設備のある大病院を誘致したわけではありません。長く医師すらおらず、「死亡率ゼロ」達成の数年前まで、10人に1人近くの乳児が、1歳に満たずに亡くなっていたそうです。1年の半分近くを雪に閉ざされ、「雪・病・貧の三重苦」の村といわれました。
 そんな村に、1957年、深沢晟雄氏が村長となって行った試みが、成果をもたらしました。保健師の採用です。後に村にできた病院で副院長、院長を務めた増田進医師は「保健師活動の始まりとともに、死亡率が急激に下がった」と証言しています。
 保健師が何を行ったか。それは、徹底した家庭訪問でした。一人一人の健康だけでなく、生活、家族の人間関係も詳細に把握。だから、信用もあり、現場に即した発想も出ました。「住民と対話している強みです。医師は技術者として保健師さんの意見に従い、いい結果が出た」と増田医師。「死亡率ゼロ」は、保健師採用のわずか5年後のことでした。

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