2017年06月12日

会員になることを・・・

 今から80年ほど前。幅広い文化芸術の振興を目指し、帝国美術院が「帝国芸術院」に改組された時、だれもが選ばれるであろうと思っていた志賀直哉は芸術院会員の選から漏れました。会員には泉鏡花や幸田露伴など、そうそうたる顔ぶれに加えて、志賀より年下の菊池寛や谷崎潤一郎らも名を連ねていました。
 心中穏やかではない志賀の様子を、末弟子の阿川弘之氏がつづっています(『七十の手習ひ』講談社)。志賀は次期会員の打診を固辞し続け、周囲も説得を断念したという。だが、菊池寛だけは諦めませんでした。彼は志賀直哉に「話に行きたい」と電話しても、「来ても無駄だ」と一方的に切られました。それでも自宅に赴き、思いを語った。私心なく、芸術院の未来を思う菊池の“人間の豊かさ”に心打たれ、志賀は会員になることを承諾したそうです。

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